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* 第十壱話 * ~杏子の場合~ ①

自宅の二階の洗面所。


ジャージャーと水道から水を出しながら、正面の鏡を見た。


右手には、眉毛剃り用の剃刀。


木村杏子は、自分の左手首を勢いの良い水流にあてた。


「…できない」


思わず、床に両膝をつく。


水道を一旦止めた。


膝をついたまま、洗面台に額を押し付ける。


 ―― 死ななきゃいけないのに。


杏子の鼓動は早まる。


数分前に、自宅にあった置き薬をありったけ飲んだ。


風邪薬。


朦朧とすらしない。


弱い薬しか家にはない。


どうやったら確実に死ねるのかもよく分かっていない。


とりあえず、杏子にあった知識は、薬を大量に飲むことと、手首を切ることしかなかった。


落ち着いた赤いセーターと細身のジーンズ。


そんなありふれた普段着。


さっきまで、年の瀬の大掃除をしていた。


自分が死んでから万が一見られると困るようなものは全て処分した。


両親と共に夕食もとった。


悟られてはいけないと思ったから、いつもどおりを装った。


偶然にも、杏子の大好物である母親特製のおでんだった。


男友達である有野毅には、さっきファックスを送った。


死ぬことをほのめかした最後の手紙だった。


 ―― もう、明日が来るのが怖いの…。


杏子の視界が涙で少し滲んだ。


洗面所の前で、手首に刃を当てては放すを繰り返していた。


階下から母親の足音が聞こえてきた。


トントントン…。


階段を上がってくる。


杏子は焦った。


もうこのまま自室に戻るには遅すぎる。


バレる。


今しかない。


蛇口をひねる。


母親の足音が二階に到達した。


 サクッ…


杏子は思い切って、強く左手首に刃をひいた。


 カツン…ッ


右手から離れた剃刀は水流に押され、そのまま排水溝の小さな穴に吸い込まれてしまった。


「杏子っ!?」


母親の声が耳の奥に聴こえた。


「あんた、何やってんの!!!」


バタバタと母親が水道を止め、そばにかかっていたタオルで杏子の腕をとる。


杏子の腰は抜け、グニャリと経っていられなくなり、顔は涙でグチャグチャになった。


 TREEEE,TREEEE…


緊張が解けて、遠くなる意識の先に自宅の電話の呼び出し音が響いていた。



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* 第十壱話 * ~杏子の場合~ ②

母親の絶叫を聞いて、1階にいた父親は異変を感じていたようだ。


 TREEEE,TREEEE…


電話に出たらしい父は、なんとか理由をつけて切り、1階から駆け上がってきた。


自室に戻った杏子と母親の姿を見た父親は絶句した。


「お父さん、見てよ、この手!杏子ったら、バカな真似を…」


母親は怒りながら、杏子の左手首の手当てをした。


そして冷たい口調で言い放つ。


「みっともないから、病院なんか行かせないからね」


父親が杏子を抱え、そっと背中を撫でた。


「そんな傷、ほっといてもくっつくんだから…」


母親はそのまま階下へ降りていった。


杏子はボロボロと涙を流した。


泣けなかったのに、父親の胸を借りて、やっと泣くことができた。


「何やってんだ?辛いことがあったならいつでも相談しなさい」


父親の温かい手が杏子の頭をポンポンとすると、杏子の中でたまらなく大きな罪悪感が沸き上がった。


「…ごめんなさい」


「お前、芳野さんて知ってるか?今、電話があったけど…」


芳野浩太。


同じバイト先であり、サークルの先輩だ。


おそらく、有野毅から芳野へ連絡が行ったのだろう。


杏子は、知っていると頷いた。


「娘さんを出してくださいって偉い剣幕だったけど」


娘の部屋に長居するのに気が引けたのか、父親はゆっくりと立ち上がった。


「お前からちゃんと連絡しろよ。心配してたぞ」


そう言って、部屋を出て行こうとして、もう一度ドアを開けた。


「一人で大丈夫か?もうしないよな?」


父親はそう確認し、出て行った。


一人になった杏子は、ベッドに仰向けになり、呆然と包帯でぐるぐる巻きの左手首を眺めた。


 ― どうしよう…。死ねなかった…。


また大粒の涙がこみ上げてくる。


 ― 毅に…、許してもらえない…。


頭の中は他の死ぬ方法でいっぱいだった。


やっぱり飛び降りるべきだったか。


それとも…。


 ジ・ジーッ。


杏子は突然の音にビクっと飛び起きた。


部屋のファックスが受信された。


数日前、クリスマスイブの日に別れた斉藤忠則からだった。


杏子は、吐き出される紙を見つめた。


すべて繋がっている。


有野…、芳野…、斉藤…。


彼らは繋がっている。


『キョン、大丈夫か?何かあったんなら、電話しろよ。  斉藤。』


杏子は、斉藤に電話しようと思った。



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* 第十壱話 * ~杏子の場合~ ③

ちょうど二ヶ月前、杏子の参加しているイベントサークルの皆十数名で、紅葉狩りに行った。


特急スペーシアの個室で向かった先は日光。


いろは坂。


華厳の滝。


中禅寺湖。


あの日の出会いによって、杏子の運命は少し変わった。






杏子はサークル内で有名になってしまうほど、有野に片想いしていた。


有野も気持ちには気付いていたようだが、一切それに対しては我関せず。


恋愛事情には当たらず触らずという姿勢を貫いていた。


そのくせ、杏子とは馬が合うらしく、どうしても一緒にいることが多くなる。


杏子にとっては蛇の生殺しもいいところだった。


ただ、有野は少し子供染みたところがあって、気に食わないことがあるとすぐに吹っかけてくる。


そのせいで、杏子と有野の間には喧嘩が絶えなかった。


なんだかんだと気が合うのである。


たとえ、それが負の力だとしても…。


そして、この日の紅葉狩りの前夜にも、電話口で二人は大喧嘩をしたばかりだった。


もちろん、その喧嘩を引きずっての参加である。


しかも、喧嘩のせいで紅葉狩りなどどうでもよくなった杏子は、まんまと寝坊した。


今朝は、サークルの名誉部長である芳野に電話でたたき起こされたのだ。


お陰で、浅草でスペーシアに乗り損ね、大急ぎで北千住まで母親に車で送ってもらった。


文字通りギリギリセーフで杏子はスペーシアに間に合ったのだった。


「おー、おはよう。よく間に合ったな」


芳野がワシワシと杏子の頭を撫でた。


「浩太さん。ごめんなさい…。つい寝坊しちゃって…」


チラリと有野を見たが、有野はそ知らぬ顔で車窓の外を眺めていた。


「まー、お前はネタに事欠かねえな。一人ひとネタのお約束は達成したな」


みんながドッと笑った。


このサークルのメンバーは、大体同じ大学だったり、バイトだったり、友達が引っ張ってきたり、特に制限はなく、母体の幅は広い。


芳野は、杏子と同じ文学部の先輩であるが、とっくに卒業した4歳も上の大先輩である。


ただ、杏子と芳野は池袋にある屋内レジャー施設でバイトをしているのだが、そこでは同期だ。


「キョン、こいつ、先週から遅番に入った斉藤」


芳野が突然紹介したその人が、斉藤忠則だった。


「工学部の斉藤です。よろしく」


「え?遅番て?」


「うん、俺のアトラクの遅に入ってきてさ、聞いたら大学も一緒っていうから、今日のにも誘ってみた」


さわやかな笑顔の斉藤はにこやかに杏子に向かって会釈した。


「そう…。よろしく。木村杏子です」


同じ大学の工学部ということだったが、文学部とはキャンパスが違うので、同い年らしいが全く面識はなかった。


ちなみに、有野は隣にある音楽の専門学校の学生で、杏子の1歳下。







杏子は、その日、何かの意図を感じていた。


サークル内みんなで担いで、斉藤と杏子をくっつけようという動きがある。


それには、当然、有野の意向が大きく関わっていることも、杏子は勘付いていた。



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* 第十壱話 * ~杏子の場合~ ④

有野と斉藤は、既に親交を深めているようだった。


昨日の有野との喧嘩で、少し気まずい杏子は有野と同じスペーシアの個室に乗ったものの、黙っていた。


「キョンちゃんは、あんまり喋らないんだね」


斉藤に話しかけられて、杏子は曖昧に笑顔を返した。


「こいつ、いつもこんな感じ。ブスっとしてるんだよ。本当にブスだけど」


有野が混ぜっ返す。


「そんなことありませんー。毅がいるから喋ってないだけですー」


「お前なー、みんなで遊びに来てんのに、個人的感情持ちこんでんじゃねえよ」


「はあ?昨日ワケ分かんない事言って、喧嘩吹っかけてきたの自分でしょうよ」


「うるせ。お前がそんなだからだろ」


「あーあーあー。やっぱり来るんじゃなかった。もっと思い切って寝坊すりゃ良かった!」


有野と杏子のやりとりに斉藤はポカンとするばかり。


他のメンツはニヤニヤしているだけ。


「斉藤くん、大丈夫。こいつら、いつもこうだから。ほら、気にせず飲もうぜ」


芳野がとりなした。


有野がホッとした表情で、渡された缶ビールを受け取った。


杏子は“斉藤は大人だな”と思った。


 ― 外見もまずまずだし。賢そうだし。仲良くしとこ。


杏子は、そう考えて、有野をわざと押し退け、斉藤の隣に座った。


「斉藤くん、カンパーイ」


有野は含んだ笑みで杏子を見た。


「何よ」


「いーえー、いいんじゃなーい?ラブラブでー」


「毅、ほんっとムカつく!」


憎たらしい言い方で杏子を茶化す有野の相手をするのはやめた。


今日は、そのお言葉通り、斉藤と一日過ごしてやろうじゃないか。


心の奥がチクリと痛みながら、憎まれ口しか叩けない杏子も有野も、自分自身の気持ちが繊細過ぎて、持て余していたのだった。


言い合ってばかりで最後に傷つくのなら、今日はいつもと変えて、相手をするのはやめよう。


有野への恋心がなくなって、気持ちが斉藤に移ろえば、それはそれで大変望ましいことなのだ。


「斉藤くん、あとで一緒にボート乗ろう」


杏子は思い切って斉藤を誘った。


「いいけど…、有野くんはいいの?」


「大丈夫よー。関係ないからー」


大袈裟な笑顔で応える。


「ひゅーひゅー」


周りの皆がすかさず囃し立てる。


杏子は、すっと斉藤の腕をとって、宣言をした。


「斉藤くんはキョンがお預かりいたしマース」


ドッと席が沸く。


向かいの席にいた芳野は、そんな杏子を複雑な思いで見ていた。


誰にもわからないように、眼鏡の奥から…。




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* 第十壱話 * ~杏子の場合~ ⑤

天高く馬肥ゆる秋。


青空に、滝に、湖に、映える紅葉。


紅葉狩りにはうってつけの好天に恵まれ、サークルのメンバーたちも上機嫌だった。


駅前の蕎麦屋で遅い昼食をとっていると、杏子に芳野が話しかけてきた。


わざとなのか、温かいお蕎麦の湯気で曇った眼鏡を拭き拭き、重たくならないように。


「大丈夫か?お前、無理してるだろ」


芳野は、杏子の有野への気持ちをよく知っている。


いつも相談しているからだ。


「え?平気よ。今日は、いつもより楽しいくらい。やっぱ斉藤くんいるからかな」


「随分、気が合うみたいじゃない」


「気が合うって感じではないけどー、うん、まあ、連れてきてくれて浩太さんありがとって感じかな」


斉藤の存在のお陰で、有野との確執も穏やかに済ませられていた。


確かに無理はしていたが。


でも、気が立っている時の有野には手が付けられないのだ。


有野は杏子には他の人より甘えてくる。


だから、些細な言葉の刃が真剣なのだ。


油断すると心を切られてしまう。


だけど、そんな脆い有野を一番分かってあげたくて、そばにいてあげたいと願う杏子もまた真剣なのだった。


お互いが寄り添いたくても、近づくと切り合ってしまう。


傷つくことが分かってても、杏子は有野を見捨てられなかった。


それだけ心の闇が深いのを知っていたから。


世間では、それを【共依存】と呼ぶことなど、杏子は知る由もなかったが。


 バッシーン。


「ッたっ!!」


有野が突然杏子の頭を後ろから持っていたカバンではたいた。


「こら、毅っ!」


芳野が見かねて突っ込む。


「のんびり食ってんじゃねえよ。行くぞ」


「終わってるわよ。痛いなー」


キャハハと有野は笑った。


「欲求不満女が男つかまえて舞い上がってんじゃねえぞー」


「どっちが欲求不満だ、バカ」


大丈夫?と気遣う斉藤に杏子はすかさずフォローを入れる。


「気にしないで。毅、寂しがりやなのよ。ごめんね、変な風に言われちゃって」


いや、と斉藤は先に店を出て行った有野の背中を見送った。


自然と斉藤が杏子の手を握っていた。


 ― ちょっ…。


ドキン…。


杏子は、振り払うことも出来ず、俯いてしまう。


「行こう」


斉藤は、強引に杏子を引っ張って店を出た。


 ― 私、同情されちゃったかな…。




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プロフィール

香月 瞬

Author:香月 瞬
短編小説を主に、様々な恋路を綴ってまいります。
友達のコイバナを聞くようなつもりで読んでいただけると嬉しいです。

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