FC2ブログ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

* 第十四話 * ~橙子の場合~ ①

待って。

行かないで。

お願い。

堕ちる。


「貴昭、待って!」

 


自分の声で目が覚めた。


全身にビッショリと汗をかき、パジャマは肌に、髪の毛は頬や首筋に張り付いていた。


目尻からは涙が流れている。


 ―― 泣いてたんだ…、私。


カーテンの閉まった窓に目をやると、その明るさから、朝はとっくに終わっていることが分かる。


窓の外から聞こえてくるアブラゼミの鳴き声が、暑さを倍に感じさせる。


堀川橙子は、布団から起き上がると、流しに水を飲みに行った。


都心で一人暮らしを始めて、かれこれ10年近くなるというのに、お洒落な生活とは縁遠い。


橙子は、小さな劇団に所属する舞台女優。


もう今年で32歳になる。


たまに再現ドラマのオファーは来るが、あれに出たら役者として終わりだと思っている。


プライドだけがこの生活を支えていた。


実態は、毎日バイト三昧の売れない女優だ。


コップ一杯の温い水道水を飲み干すと流し台に両手をつき、溜息をついた。


夢見が悪かった。


 ―― 貴昭…。


昔の恋人が、なんで今頃、夢になんか出てきたのだろう。


あの男と出会って、別れて、ケチのつけ通しの人生だった。


谷内貴昭は、橙子を捨てたフリーの舞台照明家だ。


7年前…、この小さな身体に、あの男の子どもを宿した。


あの子が生まれていたら、もう小学生だったのか。


橙子はそんなことを思って、そのまま流しで煙草に火をつけた。



人気ブログランキングへ

* 第十四話 * ~橙子の場合~ ?

橙子はザッとシャワーで汗を流し、出掛ける仕度を始めた。


日焼け止め程度の薄化粧を終え、髪の毛を後ろにひっつめると、マジソンバッグを掴んだ。


履き古し、踵の潰れたキャンバススニーカーを足に引っ掛け、炎天下の中、稽古場に向かう。


電車代が勿体無いので、アパートから稽古場までは自転車だ。


駅3つ分なので、大した距離ではないが、ものの5分で汗だくだった。


9月の下旬に、下北沢のスズナリで芝居を打つ。


今日から、その舞台の為の稽古が始まるのだ。


どんな役がつくのか、そればかりが楽しみだった。


「橙子さん、おはようございまーす」


稽古場に着くと、後輩の女の子が声を掛けてきた。


若い子には負けられない。


看板女優の意地として、橙子はあまり後輩の女優に優しくなかった。


「おい、橙子」


呼ばれた方向を向くと、作・演出の柴田達矢が珍しくもう来ていた。


「あら、柴田、早いじゃない?」


「これ、見てみろよ」


柴田は演劇誌を橙子に差し出した。


「そのスタッフ賞獲った照明って、お前の昔のコレだろ?」


柴田が親指を立てる。


橙子は目を見張った。


大きな演劇賞の受賞の知らせのページの隅に、小さく賞を獲得したスタッフが載っている。


「ああ…」


そこには、紛れもない、彼の名前が掲載されていた。


 ― 谷内貴昭(照明)。


「随分、立派になっちゃったわね」


橙子は苦笑しながら、雑誌を柴田に返した。


「海外行ってたんだな、谷内って」


「そうなのね、知らなかったわ」


今朝の夢見の悪さはこれかと、橙子は感じた。


水のペットボトルのフタをグイとひねった。


「別れてから一度たりとも連絡は来なかったし、…まあ、逃亡したんでしょうけど」


「噂だけどさ」


柴田は一度言葉を切った。


「谷内ってゲイなんだってな」


橙子は飲んでた水を噴出しそうになった。


「…?!」


柴田は雑誌を丸めて、ニヤニヤしていた。


 ― なん…ですって?



人気ブログランキングへ

* 第十四話 * ~橙子の場合~ ③

「ゲイだと聞いて、思い当たる節ないのかよ?」


ニヤニヤしながら尋ねてくる柴田を橙子はキッと睨んだ。


「あんたが想像してるまんまよ」


何を隠そう、柴田と橙子の間には身体の関係がある。


お互いの気が乗ると一緒に寝る…、謂わばセックスフレンドの間柄だった。


演出家と役者のそんな関係なんか、よくある話だ。


柴田がニヤけているのは、橙子の性癖を指してのことだと容易に判る。


彼女は、アナルを攻められるのが好きだったからだ。


そして、そこを最初に開発したのは、言わずもがな噂の貴昭である。


なるほど、そっちの気があったのかと、ついつい想像してしまうには十分すぎる理由だった。


「橙子、今夜は俺の部屋に来いよ」


変な想像をして興奮したのか柴田が誘ってきた。


「谷内の話で盛り上がろうぜ」


「まったく、悪趣味ね」


橙子もその誘いに応じた。


でも、それはただ単に一人になりたくなかったからに他ならない。


今夜、一人で過ごすには、心が重すぎた。


橙子はそっと下腹部に触れた。


柴田が目ざとくそれを認めたが、話題にはしなかった。


「さ、稽古始めよ」


「おし」


パンパンと高らかに手を叩いた柴田がパイプ椅子から立ち上がる。


「身体あったまってるかぁ。まず、エチュードからやるぞ~」


散らばっていた劇団員が一斉に柴田に顔を向けた。


橙子は、部屋の一番隅に陣取った。


今日は気分が乗らない。


適当にやり過ごすつもりで、柴田の位置から少し離れる。


明るすぎる窓の外を眺め、目を細める。


青空の真ん中を一筋の飛行機雲が通っていた。


 ― 海外逃亡が、こんなことになるとは、ね。


シャワシャワとした蝉の声で少し気が遠くなった。




人気ブログランキングへ

* 第十四話 * ~橙子の場合~ ?

橙子は、柴田の部屋にいた。


柴田はムードにこだわる男だ。


間接照明は、アロマキャンドル。


低い音でジャズが流れる。


心地よい香りに包まれながら、柴田の脚の間にソファのようにして、肢体を預けていた。


後ろから、柴田が橙子の耳を甘噛みして、囁いた。


「で、谷内ってどんなヤツだったの?」


「付き合うのは私が初めてだって言ってたわ。いつもいろんな女に言い寄られてきたけど、逃げてきたって」


「なんで、橙子とは付き合ったんだろう?」


「さあね。お愛想だったんじゃない?あの頃、私の後ろには大御所の照明家がいたわ」


柴田が橙子の脇の下から腕を通すと胸をぎゅっと掴んだ。


「その時にゲイだって気付かなかったのかよ」


「いーたーいっ」


橙子はくるりと柴田の顔の方に向き返り、首筋に唇を這わせた。


「お尻にしか興味ない男だったのよ。笑っちゃう」


貴昭のことを思い出すと、様々なそれっぽいヒントが思い出されて、可笑しくて仕方がない。


尊敬する人、イチロー。


憧れのファッションは、中田ヒデ。


よく聴く音楽は、槇原に明菜。


演劇界にいるだけあって「ガラスの仮面」が好きだった。


昼ドラとか大映ドラマとか、ドロドロしたのを好むのが男性なのに変わってるなと感じていた。


女好きだと本人は言ってたけど、よく男友達の家に居候してたっけ。


今思うと…。


そんな偏見ではあるけれど。


「オカマちゃんではなかったみたいだけどね」


「だったら、お前と寝ないだろ」


柴田は掌で歯で指で舌で、執拗に橙子の胸を攻めた。


他の男の話をしながら、嫉妬心が燃え上がっているのかもしれない。


貴昭は、大して胸にも執着がなかった。


前戯もお情けのような、さっぱりしたセックスだった。


アナルも気持ちよかったけれど、一応貴昭を愛していた橙子はその行為が背徳的で怖かった。


そういう性癖の人なんだと納得しようとも思ったけれど。


たった一度だけ、橙子がお願いして膣に挿入した貴昭は、初めての感覚に戸惑ったのか、中で果てた。


橙子が妊娠したのはそのたった一度の行為だった。


「そう、女の私相手でもちゃんと勃ったワケだからね」


「俺も」


柴田はそう言って、橙子の脚を広げると、優しく中に入ってきた。



人気ブログランキングへ

* 第十四話 * ~橙子の場合~ ?

「やだ、貴昭、中で出しちゃったの?」


「ごめん、タイミングが…」


橙子は枕元からティッシュを何枚か取り、貴昭に渡すと、自分も股から液体を拭き取った。


「ま、大丈夫よ。危険日ではないはずだから」


橙子はそう言ってゴミ箱に丸めたティッシュを捨てた。


貴昭はギュッと橙子を抱きしめた。


胸が高鳴る。


貴昭を愛しているとしみじみ感じた。


こういうひと時がこのまま止まってしまえばいいと思う。


今の射精で、いっそのこと受精してしまったら、貴昭はずっと橙子のそばにいてくれるのだろうか。


急に独占欲が電流のように身体を駆け巡り、結婚したいと思った。


貴昭と結婚出来るのなら、女優としての成功なんて要らない。


「ねえ、もしも妊娠したら、どうする?」


「…困るね」


「まあ、無責任なこと」


「逃げる…かな、多分」


悪い冗談だと橙子は笑った。


この時の会話がまさか現実のものになるとは、誰が予想するだろうか。


まさかと思ったまま、二ヶ月近く経って、橙子がようやく妊娠に気付いたとき、全身が震え上がる程の恐怖と喜びを同時に感じたものだ。


数週間前から、妙にけだるく、胃がムカムカしていた。


生理が遅れることはよくあることなので、気にも留めなかった。


二日酔いが続き、風邪でも引いたのかもしれないと貴昭にはこぼしていた。


それが、命の芽生えだったとは。


病院に行った帰り、橙子は真っ先に貴昭に電話をした。


「ねえ!私、出来たわ。あなたとの赤ちゃんよ」


「やっぱり…」


貴昭は確かにそう言った。


「今から、部屋に行ってもいい?これからのことを相談したいの」


「今夜は、小屋入りしないといけないから、明日おいで」


橙子は勿論産む気でいた。


この答えで貴昭も受け入れてくれるものだと思っていた。


ついに結婚するのだ。


安定期に入ったら、式を挙げられるだろうか。


いや、そんな贅沢は言わない。


籍を入れて、無事に健康な赤ちゃんが生まれてくれれば、それでいい。


橙子はウキウキしながら、翌日に貴昭の部屋へ向かった。


部屋の前に着くと、ドアが外側に大きく開き、ストッパーがかけられていた。


すぐ脇の窓も半分開いている。


橙子がひょっこりと中を覗くと、がらんどうの部屋の中で管理人さんが掃除をしていたのだった。



人気ブログランキングへ

プロフィール

香月 瞬

Author:香月 瞬
短編小説を主に、様々な恋路を綴ってまいります。
友達のコイバナを聞くようなつもりで読んでいただけると嬉しいです。

検索&ランキング
参加しています。
にほんブログ村 小説ブログへ 人気ブログランキングへ
よろしくどうぞ。
カテゴリ
最新記事
Twitter
リンク
このブログをリンクに追加する
MicroAd
CHECK IT!
RSSリンクの表示
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。