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* 第三話 * ~亜弓の場合~ ⑧終

翌日。

仕事上がりに、職場から少し離れた裏道で待ち合わせ、横付けされた鈴木の車に亜弓は素早く乗り込んだ。

「昨日はビックリしたよ。で、どうしたの、亜弓が誘うなんて珍しいじゃん」

「うん…、話さなくちゃいけないことがあってね」

鈴木はふかしていた煙草を消した。

「嬉しい話?」

「うーん、どうかな。鈴木くんにとって嬉しい話かもしれないよ。着いてから話すけど」

二人は薄暗い和食の店に入った。

「亜弓、飲み物は?」

「今日は飲まない。このお茶でいいよ」

鈴木は少しピンときた顔で亜弓を見たが、すぐにメニューに目を移し、注文を済ませた。

最初に来た冷奴をつつきながら、亜弓はどう切り出すか迷っていた。

これは、嬉しい話なのだろうか。

にこやかに伝えればよいのだろうか。

迷いつつ、ふいに口から勢い良く言葉がこぼれた。

「あのね、私、離婚することになった」

言われた鈴木の虚を突かれた表情はきっと忘れない。

真面目な顔を装おうと、結果半笑いになった鈴木は返答に窮しているように見えた。

亜弓は笑った。

「嘘だよ。妊娠したの」

「えっ?」

沈黙が漂った。

「どっちが本当?」

「…子供が出来たのが、本当」

「そか…、うん、そっか。やっぱりな、さっき、そうかなって思ったんだ」

鈴木は一生懸命平静を取り戻そうとしていた。

「そっか…、えっと、じゃあ、おめでとうだよな」

亜弓の胸がドキンと鳴った。

「そうだね…」

とびきりの笑顔を作らなきゃと、亜弓は真っ正面から鈴木を見た。

「だから、今日が二人で会う最後だよ」

その後、二人は当たり障りのない話をして、食事を終え、店を出た。

「じゃ、帰るね」

一人で行こうとした亜弓を鈴木は引き止めた。

「いや、途中まで送るよ」

と、亜弓を助手席に乗せた。

いつもは通らない国道へ出る。

心なしか、いつもよりスピードを感じた。

「俺ね、彼女と本気で別れようかと思ったの」

亜弓は窓の外の流れを見ていた。

「亜弓のこと本当に好きになったから、このままじゃ彼女に失礼だなって」

胸が締め付けられ、どうしていいかわからなくなった亜弓は、場違いに声高らかに笑った。

「あははは、な~に言っちゃってんのよ」

わざと笑い続けた。

そうでもしないと泣きそうだった。

「でも事実だ」

亜弓は真顔になった。

「ありがとう。私だって…」

 ―― 好きよ。

最後の言葉は飲み込んだ。

「授かったからには子供は産まなきゃ。私はこれから主人をもう一度好きになる」

「そうだな」

車は人気のない河川敷の脇道に停車した。

ボツッ。

大きな雨粒がフロントガラスを叩き始めた。

二人は黙ったまま、どれだけの時間が流れただろう。

雨足は強まる一方に思えた。

亜弓はやっとの思いで鈴木を見た。

「ごめんね、今まで、優しくしてくれてありがとね」

「ううん、俺もごめん」

鈴木はハンドルに両手をかけ、うなだれた。

「優しくなんかない。…俺、ずっと隠してたことがある」

亜弓は窓にコツンと頭を付け、目をつぶった。

「それは、妻子持ちってこと…かな?」

鈴木がハッと亜弓の方を向いたのが分かった。

「気付いてた…のか」

「ん、一緒にいれば大体は察しつくよ。最初からずっと葛藤してたの分かったもん」

「は…、なんだ、力抜けるな」

鈴木は背もたれに体全体を預けた。

「けど、さっき言ったのは、別れようとかは、本当に考えたんだぜ」

「いいよ、もう。お互い様じゃない」

鈴木は亜弓の左肩に手をのばし、自分の方を向かせた。

「一度くらい、抱いときゃ良かった」

鈴木の顔が近づく。

「あなたがそういうこと出来ないのも分かってる」

「…参ったな」

鈴木は亜弓の身体を引き寄せると、背中をポンポンと二度叩いた。

「たまには宝くじ付き合えよ」

亜弓はかぶりを振った。

そっと身体を離すと、うつむく亜弓の頭を鈴木の手がわしわしと撫でて、ニヤリと笑った。

「本当に振られたな、俺」

亜弓は、鈴木の明るさに救われる思いでいた。

「元気な子、産めよな」

「うん」

きっと忘れられる。

亜弓はそっと下腹部に誓った。

「梅雨入り…かな」



 -終-

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* 第三話 * ~亜弓の場合~ ⑦

鈴木の電話番号を携帯電話に表示させたまま、亜弓は迷っていた。

通話ボタンの上の指が少しでも動けば、すぐさま鈴木につながる。

しかし、今日は日曜日なのだ。

なんとなく暗黙の了解として、二人は日曜に連絡を取り合うことをしない。

それでも亜弓は、今、電話をしようとしている。

メールでもなく、明日会えるまで待つでもなく…。

夫は近所のコンビニまで出ている。

こちらの都合としては今しかないのだ。

亜弓の指が思い切った。

「もしもしっ、どした?」

呼び出し音も短く、鈴木の驚いた声が届いた。

「ごめん、突然」

「いや、大丈夫だけど、こぉらっ…」

受話器の向こうに、今まで感じたことのない違和感を覚えた。

「今…、どこ?」

「あーごめん、車。子供が…、姪っ子が一緒にいるんだ」

「ああ、その声か」

亜弓は、その巡り合わせに一人で納得した。

「随分、可愛がってるんだね、休みの日まで」

「ああ、オジっつっても父親みたいなもんだから。…で?何?」

「うん、明日、夜に会いたいの。夕飯、平気?」

「あ~、あ~、うん、わかった」

少し考えていたようだが、鈴木は了承した。

こんな日にまで、わざわざ電話をしてきたことに、ただならぬ空気を感じたのだろう。

「じゃ、仕事帰りに、いつもの道で拾うよ」

「ん、そうして」

「じゃ」

亜弓は電話を切ろうとする鈴木を引き止めた。

「あっ、ねえ!」

「はい?なになに?」

「子供って可愛い?他人の子でも自分の子でも」

鈴木は笑った。

「うん、まあ、可愛いよ~。俺、子供好きだしね」

ガチャガチャ。

「そうなんだ…。へえ。…あ、ごめんね、休みに。」

玄関に物音を感じたので、亜弓は一方的に電話を切った。

「ただいま~」

夫がコンビニの袋を下げて帰宅した。

「オマケ欲しくてこの菓子買っちった~。…で、亜弓、どうだった?」

夫が小さなフィギュアを見せてきた。

「またそういう余計なものを…」

亜弓は苦笑いを返しながら、夫に棒状のものを差し出した。

夫は目を丸くして、それをまじまじと眺めた。

「その青い線が浮き出てるってことは…?」

亜弓はため息まじりに答える。

「そういうことよ」

床にフィギュアが落ちた。

「…っしゃー!」

夫は力強くガッツポーズをした。



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* 第三話 * ~亜弓の場合~ ⑥

 ―― 終わった…かな。


亜弓は、自宅へ帰る電車の中で、後悔していた。


冗談でも夫以外の男性とキスをしたことは、自分の中で整理がつかなかった。


あの瞬間の亜弓は、鈴木に触れたい一心だった。


愛したいと思った。


だけど一方の鈴木は、単にスリルがある関係としてお互いがフザけていただけの行動として受け止めているなら、もう亜弓と一緒にはいてくれないかもしれない。


亜弓は確実に鈴木に惹かれている。


本気になった女に、もう用はないと、鈴木は亜弓を切り捨てるだろう。


否、何故にもっと軽く考えられないのだろう。


ちょっとした浮気心でいいじゃないか。


結果を求めるなんて、間違っている。


すると、携帯のメールが鳴った。


『大丈夫?』


鈴木からだった。


『俺、ちゃんと好きだからね』


耐え切れず、亜弓の瞳から涙がこぼれた。


 ―― 鈴木くんなら、こんな私でも受け止めてくれるのかもしれない…。


亜弓は、そのメールを削除すると、夫にメールした。


『酔ってる。駅まで迎えに来れる?』


何事もなかったこととして、今日は乗り切ろう。


夫の貞淑な妻として、一切のことを悟られないように。


そして、円満に別れ、いつか鈴木のもとへ行こう。


亜弓は、そう決心した。






いつものように毎日は過ぎていた。


空の青に、木々の緑が映える、そんな気持ちの良い日々が続いていた。


「このまま、仕事サボって、海にでも行っちゃいたいね」


時々、朝、一緒に出勤した二人は、内緒でそんな会話をした。


キスしたあの日以来、それ以上は何も変わらず、ただ、二人の気持ちだけが深まっていた。


そして亜弓は、夫にもいつもどおり接していた。


明らかに自分自身に夫への愛はないという自覚がありながらも、朝から晩まで夫婦生活は滞りなく行われていた。


そんな板ばさみの日々でも、亜弓は鈴木と出会えたことに幸せを感じていた。


あんな事実が発覚するまでは…。


亜弓は、初めて、自分から鈴木を二人だけの食事に誘った。




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* 第三話 * ~亜弓の場合~ ⑤

一緒に食事をした日から、亜弓の気持ちはヒートアップした。

頭の中は、寝ても覚めても鈴木のことでいっぱいで、だんだん夫に食事を作ることさえ面倒になっていた。

会えない日には切なくて、涙した時もある。

完全に恋をしていながら、しかし一方で打算も働いていた。

この際、夫に知られてもいいような気になっている反面、バレないように細心の注意を払っている。

浮気が知られて離婚なんてことになったらどうなるかは大体わかる。

結婚後まもなくの離婚なんて体裁が悪い気もする。

亜弓はそんな自分の思考に辟易していた。

だが、そもそも鈴木が亜弓夫婦の離婚なんて望んでいるのだろうか。

どんなに気持ちを確かめ合ったって、しょせん言葉である。

鈴木が彼女と一緒に住んでいる現状も変わりない。

亜弓一人がどんなに燃え上がったって、そう簡単に手に入るものでもない。

そんな気持ちが昂ぶっている時に、職場での食事会が開催された。

以前なら絶対いなかっただろう鈴木も、そして亜弓も参加していた。

「今日は鈴木くんを狙いま~す」

亜弓は、わざと公言した。

周りも盛り上がって、やんやと二人を囃したてた。

かなり酔っ払った風を装い、亜弓は隣に座るシラフの鈴木にわざとキスをねだったり、腿に触ったりと、ちょっかいを出した。

もちろん、亜弓が既婚者なのは皆知っている。

敢えて公の場で、旦那以外の男に手を出す人妻というキャラを演じていた。

鈴木もそれなりの対応で亜弓をあしらう。

時に本気で心配してくる同僚もいたが、巧みにジョークで通した。

会がお開きになって、皆一斉に店の外へ出る。

「二次会、行く人はこっちな~」

亜弓と鈴木は腕を組みながら店を出た。

「なぁに、亜弓ちゃん、マジで鈴木狙い?」

「だってぇ、鈴木くん、車だから一次会で帰るって飲んでないんだもん。私も新婚だから帰らなきゃだしぃ」

「わはは、鈴木のヤツ、アッシーだって」

二人は冷やかされながら、皆の目の前で鈴木の車に乗り込んだ。

「ばーいばーい」

「おつかれさーん」

二人が乗った車は、歩く皆と反対方向へ走った。

「あー、面白かった」

「亜弓、ちょっとやりすぎじゃない?」

「大丈夫だよ。誰も怪しんでなかったじゃん」

「まあ…ね。俺は堂々とイチャつけて良かったけど」

「もう使えない手だね」

車は、二人の住まいのちょうど中間地点の駅前で停まった。

楽しかった時間ももう終わる。

亜弓は酔っていた。

「ね…、さっきみたいな冗談じゃなくて、本当にキスして」

「え?何言ってんだよ、ダメだって」

「やだ。してくれなきゃ降りないよ」

亜弓は鈴木の顔を引き寄せた。

「ちょ、やばいって」

息を感じる距離で、鈴木は躊躇った。

「お願い。大丈夫だから」

向かい合う唇と唇の隙間を埋めまいと鈴木の首は頑なだった。

「して」

少しの攻防の末、観念した鈴木は、亜弓の唇に短く軽く触れた。

亜弓の全身に電流が走った。

ゆっくり鈴木の胸に頬を埋めた。

鈴木のなめらかな指が、亜弓の髪を優しく撫でた。

「…熱烈チュー、しよっか」

鈴木の声が擦れた。

軽く頷いた亜弓が顔をあげる。

今度は躊躇なく唇と唇が溶け合う。

ほぐされていく熱い舌を感じながら、亜弓は夫に対して申し訳ないという気すら起きなかった。

酒臭くてしまったなぁという現実的な思いと、ついに自ら踏み出してしまった危険な道に戸惑いながら、そんな気持ちを消し去るように夢中で鈴木の舌をむさぼっていた。



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* 第三話 * ~亜弓の場合~ ④

待ち合わせの駅のロータリーで鈴木の車を見つけた。

ついさっき自重しようと思ったばかりなのに、鈴木の顔を見た途端、亜弓の頬は緩んだ。

「どこ行こうか。大丈夫なら夕飯食っちゃうか」

「そうだね、今日はうちのが帰り遅いから平気よ」

二人を乗せた車は、亜弓の家の方向に進んだ。

「近いほうが、帰るのに楽でしょ」

と鈴木は言ったが、亜弓は内心怯えてもいた。

結婚してから移り住んだ土地なので、周りに知人がいるわけでもない。

ただ、やっと見慣れてきた景色に、鈴木の存在がプラスされることに少し抵抗を感じたのだ。

しかし、思いの外、通り道にこれといった飲食店がなく、みるみるうちに亜弓の住まいの近くにまで達していた。

結局、亜弓の住む町の区役所の隣にあるファミレスに車を停めた。

案内された席に向かい合わせに座ると、亜弓は妙に照れた。

鈴木もなんとなく伏し目がちに会話をする。

ガッツリと食事をするということに恥ずかしさを覚えたのだ。

「なんか可笑しいね、こんなところに二人きりでいるの」

鈴木も亜弓といることにまだある種の抵抗を持っているんだと感じた。

「ねえ、今度、自宅の電話に掛けてもいい?」

「え、なんで」

「携帯より親密な感じがするから」

亜弓はいたずらっぽく笑った。

「イエ電はな~」

渋る鈴木に、亜弓はわざと聞いてみた。

「一人暮らしじゃないからダメなんでしょ」

「え?…ああ、まあ…ね」

鈴木は、まだ食事中にも関わらず煙草を手にした。

「うーんと、彼女…はいるんだよね?」

亜弓は思い切った。

煙草を吸いだしたのが肯定の返答だと思った。

「だってさ、メルアド、あれって彼女の名前モジッたんじゃない?」

鈴木の携帯メールのアドレスが女名前のようで、以前から気になっていた。

「違うよ。それをいうなら、亜弓のだって旦那の名前入れてるじゃん。俺、受信するたびに結構複雑な気持ちになってんだぜ」

「お互い様…だったか…」

亜弓は下を向いて小さく笑った。

「あのね、この休み、亜弓と会えなくて、俺もしかして本気で好きになっちゃってんのかなって」

「え?」

「彼女にもさ、言われたんだ」

鈴木は目を合わせない。

「他に好きな人出来たでしょって…さ」

「ふうん」

亜弓は箸を置いた。

「浮かれちゃってるみたいよ、俺」

灰皿に力強く煙草を押しつけると、鈴木は亜弓を見て笑った。

何も言えなかった。

すごく嬉しい気持ちになったのを必死で隠そうと思った。

そんな亜弓に気付いたのか、鈴木は伝票をとり、立ち上がった。

「行こっか。さすがに徹夜辛えや」

店を出た二人は、まっすぐ車に戻る。

「手、貸して」

亜弓が両手で、鈴木の左手をとった。

「どうしたの」

「ん、綺麗な手してるから」

「初めて言われた」

手をつないだまま、駐車場を出た。

亜弓は自宅と反対方向の道を指示し、路上駐車しやすい脇道で降ろしてもらった。

「じゃ、ここ真っすぐ行けば、来た道戻るから」

久しぶりに名残惜しい気持ちになっていた。

「着いたらメールして」

亜弓は、完全に鈴木に惚れたなと自覚した。

軽く手を振り、テールランプを見送った。

鈴木を独り占めしたい。

それには、亜弓自身が一人にならなければいけない。

自宅に向かって歩きながら、離婚するにはどうしたらいいんだろうと浮かんだ考えを亜弓は慌てて打ち消した。


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* 第三話 * ~亜弓の場合~ ③

「おはようございまぁす」

アミューズメント店掻き入れ時の大型連休も過ぎ、鈴木が久々に職場に顔を出した。

顰蹙覚悟で連休丸々シフトを入れなかった鈴木は、何故か連日の繁忙期を乗り切った同僚たちよりも疲労感を漂わせながら出勤してきた。

あまりの負のオーラに、亜弓は声を掛けられずにいつのまにか退勤時間になっていた。

この休みの間に亜弓がメールを送っても、ただの一通の返信も入らなかったので、話し掛け辛くもあったのだ。

そのまま亜弓が帰途につき、駅の階段を昇っていると携帯電話が鳴った。

着信音は鈴木用のものだ。

一瞬の躊躇いはあったが、亜弓は電話に出た。

「もしもし、おつかれ~」

「あー、やっと声聞けたよ。今日全然話せなかったね」

「ん、疲れてるみたいだったし、なんとなくタイミング逃した感じで…」

「実は、夕べ寝てなくてさぁ」

鈴木は、近所に住む姪っ子が夜中に高熱を出したので、姉に寝入りばなを起こされ、救急病院に行っていたと話した。

「車出せるの俺しかいないから、参ったよ」

お姉さんは出戻りなのかとも聞けずに、とにかく鈴木の愚痴を一通り聞いた。

ホームで電車を二本見送った。

電話口で鈴木の声を聞きながら、よく分からないが、やはり彼に魅力を感じた。

少なくとも、会えなかった連休の間、亜弓は寂しかったのだ。

一切の連絡をしてこなかったクセに、今こうやって平気で会いたかったと言える鈴木をズルいと感じた。

亜弓は、その言葉を口にしてはいけないんだと、自分の気持ちにブレーキをかけ、ようやく次来た電車に乗り込んだ。

「じゃ、乗ったから、切るね」

亜弓はドアの脇に立ったまま、窓の外を眺めた。

突き放しては、引き寄せる。

鈴木は、そんな駆け引きを楽しんでいるのだろうか。

亜弓なら、夫もいるし、深入りしない。

そんな気持ちでからかっているのだろうか。

このところ、自宅にいても鈴木の事ばかり考えている自分に、亜弓は警鐘を鳴らした。

 ―― もう少し、自重しよう。

亜弓は電車を降りると、駅前の本屋に入った。

こんな自分を投影出来る本を読みたいと思ったからだ。

浮気、不倫…、そんな文字を探していた。

ある女性作家の文庫本を手に取ろうとした時、亜弓の携帯電話がまた鈴木の着信音を鳴らした。

静かな書店に響く音に慌てて出入り口を目指しながら電話に出る。

「もしもし、どうしたの?」

「夜、暇になっちゃったんだ。これから会えない?」

「何言ってるの?寝てないんでしょ」

「そうだけど、会いたいから」

亜弓は口では渋りつつ、頭では夫の帰宅時間を計算している。

「わかった。じゃ、あそこの駅のロータリーで拾って」

亜弓は元来た道を逆方向に進み、さっきとは反対側の電車に滑り込んだ。

 ―― いいの?

心臓が飛び出そうな程の鼓動を聞きながら、亜弓は何度も自問自答していた。

大げさに考えなければいいのだ。

友人と食事に行くだけだ。

何が後ろめたいのか。

夫にだって、隠さず言えばいいじゃないか。

だけど、やはり胸の高鳴りはおさまらなかった。

 ―― 私、恋、しちゃってるんだ…。

そう思った瞬間、亜弓の胸はキュッと苦しくなって、車窓の景色が少し滲んだ。

 

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* 第三話 * ~亜弓の場合~ ②

『サキニ イッテルネ』

亜弓は、鈴木にメールした。

職場を出て、鈴木がよく買う宝くじ売り場のある駅の方に向かって、亜弓はゆっくり、ゆっくり歩いていた。

携帯が鳴るか、後ろから車で来る鈴木が拾ってくれるだろうという考えだった。

しかし、歩いても歩いても、鈴木の接触はない。

おかしいなと感じつつも、亜弓は歩き続けた。

20分位経った頃、携帯電話が鳴った。

「もしもし」

鈴木からだった。

「宝くじ、買いに行くんじゃないの?」

「行きたくなくなったから、もう帰り道」

「は?」

亜弓の頭は混乱した。

「だったら、なんですぐに言ってくれなかったの?私、待ってたんですけど」

「更衣室出たら、もういなかったし」

「メールしたでしょ?」

「ばーか、お前となんか行かないし」

いつも優しい鈴木が何故か喧嘩越しでいる。

「だったら、普通に電車乗って帰ったのに。私、バカみたいじゃん」

「え?今、どこにいるの?」

「道路」

亜弓は、わざとそう答えた。

割と車の通りの多い環状線の脇を目的の駅に向かって歩いていた。

車の騒音が電話越しに聞こえたらしい。

「なあ、お前、マジでどこにいんの?」

鈴木がちょっと焦った様子で聞いてきた。

亜弓は涙声になった。

「売り場のある駅に向かって、歩いてる!ずっと来てくれると思ったのに!」

「ええ?どんだけ歩いたんだよ?なんで先に言わねえの?」

「そっちが言わさなかったんでしょ。もういいよ、帰りなよ」

「ウソだろ、今、そっち行くから、待ってて」

「いいってば!」

亜弓は初めて鈴木と口喧嘩をした。

とても不思議な感覚だった。

どうして、こんな事で言い合っているんだろう…。

なんで、こんなに悲しいんだろう…。

鈴木は何故、急に冷たい事を言ってよこしたんだろう。

数分後、後ろからクラクションが鳴った。

振り返ると、鈴木の車だった。

「亜弓!」

なんだかもう泣きそうだった。

ニコリとする元気もなく、顔をそむける。

「なあ、とにかく乗れって」

亜弓は仏頂面で車に乗り込んだ。

もう駅は目と鼻の先だった。

「こんなところまで、歩くなんて思わないしさ…、ごめんね」

いつもの優しい鈴木だった。

「なんで?…急に怖くなったの?」

亜弓は、やっとの思いでそう尋ねた。

もう少しで涙がこぼれそうだった。

「やっぱ、まずいかなと思ったんだよ。だから、わざと冷たくした…」

鈴木は素直にそう言った。

「私に夫がいるから?」

鈴木は答えなかった。

車を駅の近くのパーキングに入れた。

「さ、宝くじ、買いに行こうか」

車を降りて、二人で、宝くじを買いに行った。

ただ、それだけのことなのに。

まずいもへったくれもあったものじゃない。

これだけのことに怖気づいて、突然手のひら返したように冷たくされて、振り回されて、亜弓は心が落ち着かなかった。

「これ、結果発表の日まで、黄色いハンカチに包んでおくと金運上がるから」

やっぱり、鈴木は何かダサい。

「さっき、ごめんね。お詫びに奢るよ。ちょっとお茶しよ」

鈴木は、さっきの電話口での自分は別人かのように優しくそう言った。

 ―― 私のこと、バカって言ったくせに…。

亜弓の気持ちは、どうにも納得がいってなかったが、夫が帰宅するまで時間もあったので、鈴木に付き合うことにした。

 

 

鈴木と別れ、亜弓が最寄駅に到着すると、ちょうど鈴木から携帯メールが入った。

『ゴメンネ アイシテル』

ムカっとして、受信したばかりのメールを削除した。

この夜、求めてきた夫に身体を預けながら、亜弓の脳裏には鈴木の顔ばかり浮かんでいた。


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* 第三話 * ~亜弓の場合~ ①

昼間は汗ばむような陽気も多くなってきた新緑の頃、それでもまだ夕方になると肌寒い。

車の助手席にいた潮田亜弓は、持っていた薄手のカーディガンを肩にはおると、ドアに手を掛けた。

「乗せてくれてありがとね、鈴木くん」

亜弓は運転席の男にそう声を掛け、後部座席にいた早苗と共に駅前で車を降りた。

「じゃあね、おつかれさま」

三人は同じバイト先の同期で、勤めて一年経つ。

運転席にいたのは亜弓より三つ年上の鈴木輝元。

もうとっくに三十路を超えているというのに、アミューズメント店で平日の昼間だけバイトをしている。

早苗は、平日も土日も昼も夜も関係なく、とにかく稼ぎたくて働きまくっている。

亜弓は婚約を機に長年勤務していた企業を辞めたあと、今のアミューズメント店でバイトを始め、三ヵ月前に入籍したばかり。

鈴木と同様、平日の昼間だけ働いていた。

働きだしたその日から、亜弓にとって鈴木は気になる存在だった。

もともと気が多い質の亜弓ではあったが、鈴木はこの職場屈指の正統派二枚目でもあり、ストライクど真ん中であった。

喋りだせば性格は明るいが、端正な顔立ちの鈴木は一見冷たそうで、なかなかとっつきにくかった。

ゆえに、知り合って一年近く経つのに、今日のようによく話せるようになったのは、亜弓の入籍後からである。

それは結婚式の写真を皆に見てもらおうと、バイト先にアルバムを持ってきたのがキッカケだった。

「亜弓ちゃん、すげえ綺麗じゃん。遅かったなあ。失敗したなあ」

休憩室で、鈴木に冗談まじりに言われた言葉が現在に至る。

そこから鈴木は亜弓がお気に入りということが知れ、いつのまにか休憩も同じ時間に合わせたりして、誰の目からも亜弓と鈴木は仲良しという図が出来上がっていった。

事実上の恋愛関係はなく、周りの目を盗んで小さく折り畳んだ手紙を渡したり、それぞれの更衣室から携帯電話でメールしあったり、その程度のドキドキ感を楽しんでいた。

亜弓はこの関係が好きだった。

鈴木は周囲にプライベートを明かさないタイプだ。

土日や夜にシフトを入れない理由も誰も知らないが、ごく稀にそんな日にも顔を出すので、どうしてもというワケでもなさそうだった。

亜弓と仲が良くなってから、急に鈴木は退勤後の付き合いが良くなった。

今まで飲みに誘っても断っていた鈴木が最近参加するようになったのは、亜弓がいるからだと早苗はよくからかう。

亜弓も一応新婚であるし、退勤後はまっすぐ帰宅していたが、鈴木と親しくなってからは参加しているからだ。

同僚の集まりで会うのが、 二人が長く同じ時間を過ごせる言い訳に最も都合が良かった。

世間で言われる関係にあてはめるとすれば、浮気心あり…とでもいったところか。

しかし、鈴木のプライベートは相変わらず、謎に包まれていた。

休日は何をしているのか、彼女がいるのかいないのかさえも、誰にも答えないのだ。

フリーターのくせに自分名義の3LDKのマンションと車を持っている32歳の独身男性…というのが、周りの認識。

一人暮らしをしているらしいマンションの近くに実家があって、そこに両親と姉と姪っ子がいる。

昼食は自分でお弁当をこしらえてくる。

趣味は、週一回の宝くじ。

よく聴く音楽は、若い女性アイドルや、ヒットチャート上位の流行のもの。

見た目完璧な鈴木には、正直言って、少しダサいなと感じたことがある。

亜弓の知っている鈴木は、そんな男だった。

「これじゃ、いくらカッコよくても不倫しようなんて気にもならない」

と、よく早苗に冗談まじりに話したものだ。

ある日の休憩室で、亜弓と鈴木は一緒に宝くじを買いに行く話になった。

二人きりでどこかに行くのは、目的が宝くじであろうと初めてのことだ。

腐っても新婚の亜弓に躊躇の心が芽生えるのも致し方ない。

しかし、せっかくの鈴木の誘いでもあったので、亜弓はいつもより少しだけ念入りに化粧直しをして、先に職場を出た。


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* 第二話 * ~佐和子の場合~ ⑤終

身体全体から、今すぐこの場から逃げ出したい感を発している正和を追うように佐和子も部屋を出た。

足早な正和に着いていくのに必死で、フロントにキーを預ける隙もない。

佐和子も負けじと早足になった。

慌てて装着した生理用ナプキンの収まりが悪くて股間が気になるが、今は構っていられない。

「ご、ごめんね。急に生理来ちゃってさ、ビックリしたよね」

正和のご機嫌を伺うように尋ねたが、返事はなかった。

こんな処女喪失は認めたくなかったから、佐和子はあくまでも生理が来たということで押し通そうと思った。

さっきの正和の慌て様から現在の冷たい素振りから、正和は完全に見抜いているだろう。

やはり年増の処女は敬遠されるのか。

正和の態度は、佐和子の心にかなりの傷を与えた。

男性にとって見慣れない血液は確かに衝撃だろうが、あまりの変貌に佐和子は負い目を感じたのだ。

努めて明るく振る舞う。

「晴樹くんたち見つかるといいね」

二人はずんずん鴨川に向かって歩いた。

正和は喋る代わりに小声でぶつぶつと、例の歌を口ずさんでいた。

「♪…ッツだぜ…」

もう手もつなげない。

正和の歩みは速くなる一方だった。

橋の脇から川べりに降りられる隙間を見つけて二人は坂をおりた。

この寒空、もう真夜中だというのに、未だ人出はあった。

この中におそらく亜弓も晴樹もいるのだろう。

雪の残りが凍結しているかと思えば、水溜まりでぐちゃぐちゃにぬかるんだ地面を、二人はどんどん進んだ。

「危ねっ」

正和がつるりと足を滑らせ、舌打ちをした。

恥ずかしさがイライラに拍車をかけたようだ。

佐和子はいろんな事が限界になって、後ろから声を掛けた。

「もういいや。」

正和は構わず歩く。

「ねえ、帰る。亜弓ちゃんたちとも会えないし、私、ホテルで待ってた方がいいよね」

正和がようやく振り返り、また橋の上に戻るとタクシーを拾った。

「運転手さん、このカード使える?」

正和はタクシーに乗り込むとそう聞いた。

「現金持ってないねん。とりあえず御池まで行って」

そんな事を話していたが、佐和子は下半身が気になってあまり耳に入らなかった。

後部座席の白いシートに両手を置いて、その上にお尻を乗せる。

汚れるのではないかと不安だったのだ。

何分もしないうちにタクシーはビジネスホテルの前に着いた。

「ほなね」

正和の佐和子に向けた最後の言葉だった。

「観月橋まで行って」

車を降りた佐和子の耳に、その台詞と同時にドアの閉まる音が響いた。

正和は顔をこちらに向けることすらなく、タクシーはあっという間に走り去ってしまった。




部屋に戻った佐和子は急いでジーンズを脱ぎ捨て、空の浴槽に入ってから、すべての衣服をとった。

女性として十年以上見慣れた筈の綿には見たこともない程の赤い吸収があった。

佐和子は愕然とした。

赤いものは脚を伝っていく。

冷えきった身体に熱いシャワーを浴びる。

湯が赤く染まり、排水溝に流れ行く。

止まらない。

佐和子は恐ろしくなって、自分自身をぎゅっと抱き締めた。

尋常じゃない血液が体内からとめどなく排出されていく。

「どうしよう…」

こんな話は聞いたことがない。

初めてのセックスのあとはこんなに血が流れるの?

分からない。

分からない。

25年も生きてきたのに、まったく分からない。

焦って、身体を粗末に扱ったから、罰が当たったのだろうか。

否、もともと生理の予定日も近かったんだから、予期せぬ刺激に身体が驚いただけだ。

でも、下腹部が痛い。

一生懸命に冷静になろうとするが、パニックで息があがり、喉からひゅーひゅーという音が漏れる。

だが、不思議と涙は出なかった。

「正和くん、助けて」

この期に及んで、佐和子は正和を想った。

しかし、その時に初めて、連絡先はおろか苗字さえも聞かなかったことに気付いた。

力が抜けて、血だまりにしゃがみ込んだ。

放心状態でコツンと頭を壁につけるとシャワーが顔にかかる。

「何やってんだ…私」


 ―― コンコンコンッ。


突然、ユニットバストイレのドアが叩かれた。

「佐和子?佐和子!!」

亜弓だ。

「おかえり。今出るから…」

佐和子は絞りだすようにそう答えると、ようやく声を殺して泣いた。



‐終‐

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* 第二話 * ~佐和子の場合~ ④

ジーンズとショーツは片足だけ膝の辺りまで履いたままだ。

正和も上の服は脱いでいたが下は軽く下げ、肝心なモノが出ているだけだ。

亜弓が戻ってきた場合を想定しているのだろうか。

正和の顔が佐和子の茂みを刺激した。

なんとなく両手で正和の頭に触れ、少し髪の毛を掴んだ。

唇はつぐんだまま、小さく声を洩らす。

感じている雰囲気は出せているだろうか。

これで正和はイッてくれるのだろうか。

佐和子は天井を見つめたまま、そんなことばかり考えている。

脚を高く上げさせられ、丸見えになった中心部にズブリと正和は入ってきた。

「ひっ…」

思わず力が入り、ベッドカバーをしっかり握った。

痛いのか、痛くないのかもよく分からない。

コンドームをつける算段すら出来なかった。

世の人はこんな激しい摩擦が気持ち良いのだろうか。

初めてなら仕方ないのかもしれない。

なんの快楽もない気がしたが、やめてほしいとも優しくしてほしいとも、伝えられない。

変に注文を付けて、嫌われるのは怖かった。

正和は一言も発することなく、ものすごいスピードでピストン運動をしていた。

こんなに速いものなのかと戸惑う。

顔が歪む。

苦しい、早く終われと願いながら、頭は冴えていて明るい部屋の隅々まで眺めていた。

何分も経たないうちに、中で暴れていたモノは突然スポンッと佐和子から抜けた。

股間が熱くヒリヒリした。

「!?」

正和は驚きと後悔と怯えが交ざった複雑な表情を浮かべていた。

 ―― 処女やったんか…?

顔にそう書いてあった。



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* 第二話 * ~佐和子の場合~ ③

「亜弓ちゃん、帰ってるかな」

ホテルの前に辿り着いた佐和子はどうか戻っていてほしいと願った。

「先にエレベーターの前で待ってて」

なんとなくフロントの者に気が咎めた佐和子は正和にそう言って奥の通路を指差した。

フロントに部屋番号を告げると、あっさり鍵が手渡された。

亜弓は帰ってきていないのだ。

部屋に行く意味はないが、正和の尿意が気になっていたので、とりあえずエレベーターに乗った。

「亜弓ちゃん、まだだったよ。トイレ、部屋の使って。そしたらまた外戻ろう」

佐和子は、自分達が宿泊している部屋に正和を招き入れた。

「散らかってるけど…。はい、ここ」

トイレの戸を開けようとすると、正和は構わず部屋の奥へ進む。

佐和子は手首を掴まれ引っ張られた。

ぎゅっと抱き締められる。

「ちょ、トイレは?」

「しよ」

正和は無視して、ツインベッドの片方に佐和子を押し倒す。

「ここはまずいって、亜弓ちゃん帰ってくるかも知れないし」

虚しい抵抗だった。

騙された。

トイレなんて、セックスする場所を確保する為の嘘だったんだ。

何を今更。

分かっていながら、連れてきた。

佐和子は、初めての出来事に混乱していた。

受け入れるべきなのだろうか。

「ちょっ、ちょっと待って。私がトイレ行かせて」

佐和子は正和の身体を押し退け立ち上がった。

二月の京都は寒いだろうと、ジーンズの下に厚手のタイツを履いていた。

しかも、その上から靴下だ。

上も、何枚か重ね着している。

さすがにこんなに着膨れている女を脱がすのは嫌だろう。

佐和子は覚悟を決めて、タイツとTシャツを脱ぎ、脱衣籠のタオルの下に隠し、軽装になって正和のもとへ行った。

仕切り直して、ベッドに倒れこむ。

もう逃げられない。

喘ぎ声はいつ出すのだろう。

両の手はどうしたらいいのだろう。

正和は佐和子のセーターを脱がさず、ブラと一緒に上にたくし上げ、小さな胸を揉んだ。

手が冷たい。

ふと天井に目をやると、電気がこうこうと照っていた。

消す…べきだったかな、と佐和子は悩んでいた。

 

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* 第二話 * ~佐和子の場合~ ②

歩きながら、佐和子は緊張していた。

この流れ、おそらく正和は佐和子と寝たいと思っている。

鴨川の反対側を指差し、単純明快に正和は言った。

「あそこ行かない?」

指先が示す黄色い建物は、明らかにラブホテルである。

佐和子は、処女であることを悟られないよう、慣れている女を装うつもりだった。

だから、素直に従った。

会話にだんだん下ネタが多くなってくる。

名実共に耳年増な佐和子は冗舌な正和に話を合わせながら、近付いてくる黄色い建物で繰り広げられるだろう初体験を夢想した。

少し下半身が熱くなった気がした。

「この正月に東京行ったんやけど、横浜も近いよな」

正和は仕事で代々木体育館に来たという話を始めた。

「なんで体育館なの?」

「試合。俺、実業団バレーやってるから」

決して低い背ではないが、バレーボールをやっている割には背が足りないように感じた。

「また行くから、あとでベル番教えてな」

正和はにこやかに言い、佐和子はその台詞に安心した。

そして、これから遠距離恋愛が始まるのかと胸が高鳴る。

25歳、ようやくの本格的な交際が、遠距離か…と複雑な気持ちも少しあった。

「あかん、満室やって」

ラブホテルのそれぞれの部屋が並ぶ案内番の電気はすべて消えていた。

「待つ?」

佐和子はどう答えるのが正解なのか分からなかったが、なんとなく興醒めした感じで答えた。

「亜弓ちゃんたち探そうよ」

亜弓と晴樹とはぐれたままだった。

佐和子は不安になったのだ。

亜弓には横浜に恋人がいる。

今、このホテルが満室でなかったら、佐和子と正和は間違いなくここでセックスをしていただろう。

もしかしたら、亜弓もどこかで…。

「大丈夫やて。晴樹は俺みたいなことせえへんよ」

佐和子は笑って、また正和の手を握った。

「戻ろうか」

二人は今来た道を戻った。

♪ガッ…だぜ…

正和はさっきカラオケでも歌った去年の流行の曲を会話の間があく度に口ずさんだ。

妙に耳に残るフレーズで、まるで口癖のようだ。

「その歌好き?」

「え?なんか歌ってた?」

なんとなく苛立った口調だった。

「亜弓ちゃん、どこにいるんだろ」

「鴨川の畔にでもいるんちゃうか。それより、トイレ行きたいな」

正和はそわそわしたが、佐和子は急に襲ってきた不安に思考が定まらなかった。

鳴らないポケベルを恨んだ。

関東圏しか電波の届かないポケベルは、関西のそこでは役立たずである。

亜弓と連絡をとる述はない。

ポケベルの時刻は、零時をまわっていた。

「一回さ、ホテル戻ってもいいかしら。亜弓ちゃん帰ってるかもしれないし」

「どこ?」

「オイケって読むのかな」

「ええよ」

「ありがとう、正和くんもそこでトイレ行けばいいよ」

「そやな」

正和はブルッとした。

ダウンコートを着ている佐和子とは反対に妙に薄着の正和が本当に寒そうで、佐和子は一生懸命握っていた手をさすっていた。



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* 第二話 * ~佐和子の場合~ ①

「!?」

身体を重ねていた正和のただならぬ気配に、天井を見ていた佐和子は頭をあげた。

正和の表情は青ざめている。

佐和子の目に映ったのは、ドロリとした血にまみれ、しょんぼりとおじぎをしているかのような正和自身だった。

「そんな…」

慌てたのは佐和子だ。

身体を起こして目を落とすとシーツは赤く染まっていた。

正和はあたふたした様子を隠すこともせず、ドアが開いたままのユニットバストイレに手を伸ばし、何度もカラカラとトイレットペーパーを引っ張りだしながら、自身についた体液と血液を拭っていた。

「ごめん、閉めるね」

佐和子はショーツとナプキンを手にトイレに閉じこもり、まず毛についた白いものを拭き取った。

気持ちを落ち着かせようと必死だった。

小椋佐和子、25歳にして、処女喪失の瞬間である。

噂には聞いていたが、初体験では本当に血が出るのか。

ドア越しに明らかに動揺している正和の声がした。

「俺、帰るわ~」

「ちょ、ちょっと待って、私もすぐ出るからさ」

佐和子は大急ぎでドアを開け、服を着た。

とっくに身仕度を整えた正和が所在なさげに立っていた。

「俺、用事思い出したし、もう行くって」

逃げ出したい感満々だった。

「や、ほら、私も亜弓ちゃんたち探さなきゃだしさ」

佐和子は無理矢理一緒に部屋を出た。





ここは、京都の御池にあるビジネスホテルの一室だ。

横浜から観光旅行に来た佐和子と亜弓が滞在している。

数時間前、正和と友人の晴樹が夕食後に四条橋付近をうろつく二人をナンパしてきた。

亜弓は乗り気ではなかったが、正和の顔が佐和子の好みだったので、独断で了承したのだ。

四人がカラオケで盛り上がった後、なんとなく佐和子と正和、亜弓と晴樹という具合に二対二に分かれた。

夜の街を散歩しながら、いい雰囲気になる。

先斗町の風情溢れる小路の途中で、鴨川を見ながら正和が言った。

「昔から京都にいるけど、ここが一番京都らしい思うわ」

正和は、ふいに佐和子の唇を奪う。

心臓がキュッと握られたような気がした。

飲み屋で強引にされた酒臭いキスしか経験のない佐和子にとって、こんなにときめくキスは生まれて初めてだった。

二人は手をつなぐと、また歩きだした。

道の端には数日前に降ったという雪がまだ溶け切れずに残っていた。


二月の京都は寒い。

佐和子は滑らないように、正和の手をもう一度強く握って、腕にしっかりつかまった。

 

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プロフィール

香月 瞬

Author:香月 瞬
短編小説を主に、様々な恋路を綴ってまいります。
友達のコイバナを聞くようなつもりで読んでいただけると嬉しいです。

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