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* 第十話 * ~武彦の場合~ ③

あいにくの雨。

しかもどしゃ降り。

まあ、台風だったんだが。

でも、予定通りに、俺たちは品川駅に九時に待ち合わせていた。

30分ほど遅れて高輪口に現れた俺を見た妙子は、一瞬「あれ?」という表情を見せた。

あの顔、何だったんだろう?

今になって思い出すと気になるが、あの時の俺は、仕事が計画通りに終わらなかった事とこの豪雨に少しイラついていたから、あまり気にも留めずにいた。

挨拶もそこそこに、早足で横断歩道を渡った。

妙子はピシャピシャと足音を立てながら、小走りで遅れまいと俺についてくる。

あまりの強風で傘も大して役に立たない。

大粒の雨を全身に浴びながら、俺たちは新高輪プリンスホテルに向かった。





びしょ濡れで、とあるバーに入ると、店員が気を利かせておしぼりを渡してくれた。

外からの客は俺たちだけ。

かなり離れた席に宿泊客らしき数名がいたが、天気のせいか、ほぼ貸し切りのような店内だった。

晴れていれば夜景が売りであろう大きな窓辺に沿ったソファーに案内される。

窓全面にビシバシと叩きつけてくる雨音が印象的だった。

稲光が走り、雷鳴に窓が震える。

「すごい景観…」

妙子は、放心していた。

やっと腰を落ち着けられて、一杯飲むと、悪天候も強行スケジュールも仕方のないことなんだと割り切れて、俺のイラつきも治まった。

酒もいい感じでまわり、冗舌になる。

妙子は、いちいち俺の話に感心してくれた。

俺に心底傾倒しているのがよく分かる。

あの子の目は、恋する瞳だったと自負する。

調子に乗って、こんな話もしたな。

大学の時、俺は野球部で、ベストナインに選ばれた程、活躍した。

大きな試合でホームランを打った時、スタンドにいた当時の彼女にだけ向けてガッツポーズをして、ダイヤモンドを一周したとか。

合コンで知り合った美人だけどすげえ高飛車な女がムカついて、そいつの顔に水ぶっかけて、財布叩きつけて、店を出ていった話とか。

ちなみに後日、その女に「叱ってくれた人は初めて」だとか言われて、コクられたけど、振ってやった話とか。

ね、俺、格好良いだろ?

そんなの満載で話してたら、なんかもう目がハートなわけよ。

そんな素敵な貴方が私なんかと一緒にいていいの?ってな感じだったんじゃないかな。

私って選ばれた女~みたいな?

俺としては、あんまり従順過ぎちゃうとつまらないんだけど。

もっと突っ張れよって思う。

ひと通り、俺が話したいこと喋って気持ち良くなった頃、バーを後にした。






エレベーターが昇ってくる間に、やっと俺は会って最初のキスをした。

妙子は、待ってましたとばかりに、腰砕けになってた。

このまま新高輪の部屋に泊まると思ってたみたいだけど、近くの別のホテルに移動した。

そっち、うちの会社と提携してるから、いわば節約。

もう落ちてる女に無駄な投資をする必要はない。

ま、流石に今度はタクシーで移動したけど。



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* 第十話 * ~武彦の場合~ ②

俺は気が強い女が好きだ。


妙子と初めて会った日、俺はノリで軽く頭を叩いたり、かなりキツい口調で突っ込んだりした。


可愛い子は苛めたくなるサガ、わかる?


それにムカつく妙子の様子を見るのが面白かった。


普通は場の空気を読むだろうに、あの子は本気で怒ったらしく、席を立ったんだ。


俺は、その態度にグッときたんだ。


だから、必ずこいつを落とすと決めた。


帰り際、かなり強引にデートに誘った。


誘った段階で断固拒否されれば諦めるつもりだったが、妙子は仕方なさそうにもとりあえずは応じた。


脈はあると思ったね。


実際にデートしてみて、妙子の変化はよく分かったよ。


最初は前の日同様、つっけんどんな感じでさ、表情も強張ってた。


でも俺も頑張ったの。


紳士を演じたし、テレビディレクターという職業を活かして、かなり業界の裏話もした。


女なんてミーハーだから、意外と食い付くんだよね、タレントの誰それがどうしたとか。


あとは金でキレイなところを魅せる。


支払いは当然だけど、そういや番組の打ち上げで掛かった費用ン百万、ポケットマネーで俺一人が払った話したら、相当尊敬の眼差しだったな。


で、まあ、その夜のうちに妙子をいただきます出来た訳。


正直、もっとてこずりたかったね。


想像してたより、遥かに簡単だったから。


妙子も分かってたみたいで、別れ際、後悔した顔してた。


俺としちゃ、そのまま終わりにしたって痛くも痒くもない訳で。


けど、ここはキープの線も留めておかないと。


だから、俺はお前の彼氏だ!ばりに、信じて待ってろ的な事を言ってみたのよ。


バイバイしてから、留守電に。


ところが。


一切、コールバックなし。


妙子は、俺が考えてた以上にプライドが高くて、理解あるイイ女なんだと思ったね。


あの子は、俺がワンナイトラブのつもりだったと悟ったんだと。


でもさ、反応ないと、逆に俺の方が気になっちゃってさ。


実際、俺ってマジで超多忙なんだけど、やっと時間が空くっていう前日、妙子に電話したんだ。


なんだかんだ、あの日から一ヵ月近く経過していた。


電話に出た妙子は、こっちが驚くくらい、キャーって悲鳴を上げた。


「えーっ、ホントに久保さん?嘘でしょう?私、もう…」


ギャーギャー騒いだ挙げ句、あの子、電話口で涙声。


思わずニヤけた。


「連絡なんかくれないと思ってた…」


いじらしかったよ。


電話して良かったなって、素直に嬉しかった。


「だから言っただろ、待ってて欲しいって」


「うん…、うん…、待ってたよ…」


「ちょっとだけ時間空いたんだ。明日の夜会おう。たった一晩しか一緒にいられないけど」


こんな急な誘いでも、この子は来ると確信があった。


「品川駅に九時で」


そう約束して、電話を切った。


でも。


多分、この一ヶ月の焦らしがいけなかったんだと思う。


大いに期待させちゃったんだな。


再会した妙子には、俺が望むような気の強い女の片鱗…、これっぽっちもなくなってた。



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* 第十話 * ~武彦の場合~ ①

俺、久保武彦の結婚が決まった。


そうなってもいいと思ってしたことだったが、妻になる女にガキが出来た。


俺は今、携帯電話を片手に、今までの女に片っ端からダイアルしている。


清算ってやつだ。


 ―― オ、大隈妙子。


思わず、通話ボタンを押そうとしていた指先が止まってしまった。


なかなか面倒な女だったよな。


最後に会ったのは…、確か、去年の秋ごろだったな。


知り合った日を含めて、直接会ったのは3度。


たった3度で、俺はこの女を切り捨てたんだ。


まだ、半年ほどしか経ってないのか。


俺は、一瞬の躊躇いがあったが、思い直して、妙子に電話をかけた。


 treee…、treee…。


呼び出し音、5度目にして、相手が出た。


「…も、しもし?」


ああ、この声だ。


「妙ちゃん?」


「うん…、久保…さん?」


ふうん、俺の番号はまだ妙子の携帯電話に登録したままらしい。


いつまでも未練たらしい女だ。


「元気?」


受話器越し、妙子が驚愕し、動揺しているのが手に取るように分かる。


「うん…、どうしたの、一体」


「いや、元気かなって、それだけだけど」


沈黙。


「妙ちゃん、彼氏出来たの?」


「ええ、あれから、徳田くんの同僚を紹介してもらって…」


徳田というのは、俺の大学時代の部活の後輩だ。


「徳田?また、なんで…」


妙子が言うには、俺と知り合った六本木のパーティーで一緒だった俺の大学の先輩主催の合コンで徳田と出会い、また更に徳田主催の合コンで徳田の同僚を紹介してもらって意気投合したらしい。


「へえ、じゃ、今、幸せなわけだ」


「…そう、だね。一応」


妙子は電話口で弱弱しく笑っている。


こいつ、本当はまだ俺のこと引きずってるな。


口調から、そんな様子が伺えたが、ここは退こう。


まだまだ、優しい言葉を掛ければ、俺に対して喜んで股を開くだろう。


それだけ分かれば十分だ。


俺は、敢えて、結婚のことは言わずに電話を切った。


「じゃあ、彼氏と仲良くね。じゃあな」


悪い男だな、俺って。


でも、先輩といい、後輩といい、大学の連中と繋がってるのか。


相変わらず、面倒な女だ。


俺は、ひとしきり、女たちに電話を掛けるのは止めた。


携帯電話をポイと低いテーブルに投げる。


セーターの袖を捲くり、ぐいっと両腕を上に伸ばした。


ソファにゆったりと身体を投げ出すと、煙草に火をつけた。


深く吸い込んで、紫煙を吐き出す。


俺は、目を瞑り、妙子とのことを思い出した。


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* 第九話 * ~妙子の場合~ ⑦終

二人の乗った車は、空いた道路をスイスイと妙子の自宅方面に向かって進んでいた。




妙子は、このまま別れるのが、寂しいと感じている。




久保は信号待ちなど、事あるごとに「疲れた」と口にした。




「どこか、休めるところないかな」




「もう着きますからー」




妙子はかわしていたが、久保の言葉の裏にあるものを敏感に感じ取っていた。




さっきから何軒ものファミレスを通り過ぎている。




言葉通りの意味なら、妙子もこう答えればいいのだ。




「そこのファミレスでお茶でもしましょうか」




その簡単な台詞が言えない。




何故なら、妙子は久保とまったりお茶などしたくないからだ。




妙子も久保も、そんなことは望んでいない。




二人は、今すぐにでもセックスをしたい、ただそれだけだった。




「あ、うちの近くになっちゃうけど、横になれるところありますよ」




妙子は意を決して言った。




「マジで?そこ連れてって」




久保は、多忙な仕事の合間にこうやって妙子と会って、お酒も飲んでいて、長距離を運転して、だから疲れているんだ、明日も早くから仕事の彼を早く休ませてあげたい。




そう、妙子は自分に言い聞かせていた。




「そこ、右折するとありますから」




曲がった先には、平日の深夜だけあって、【空室】という文字が煌々と光っていた。




久保は何も言わずに、長めのカーテンをくぐり、停車させた。




さびれた薄暗い受付には、いくつもの部屋の写真が明るく映っていた。




「お、安っ」




久保は、休憩/宿泊の料金を見て、あまりの格安さに驚いている。




普段はシティホテルや、せいぜい都心の高くて綺麗なラブホテルにしか行かないのだろう。




妙子だってそうだが、もはや金なんかどうでもいい。




細長くて透明のごついキーホルダーがついた鍵を受け取ると、二人はエレベーターに乗った。




「そういえば、妙ちゃん、エレガなんだよね。違う支店だったけど、この前、取材行ったよ」




「あ、そうだったんですか?」




これから交わる二人におおよそ相応しくない何気ない会話をしながら、二人は部屋に入った。




部屋は意外と広く、清潔であった。




エアコンもよく効いていて、寒いくらいだ。




シャワーを済ませて出てきた妙子を、半裸の久保はベッドの上に腰掛けて待っていた。




タオル一枚の妙子の手を引き寄せる。




久保は自分自身を妙子に見せた。




臍についてしまうほど、元気にそそり立った太いものを見て、妙子は生唾を飲む。




二人はもつれるようにベッドに倒れ込んだ。




汗ばむ肌が吸い付くように触れ合う。




規則正しい振動に、妙子は自分でも信じられないくらいに声が出た。




自制できないくらい、気持ちが良かった。




小デブだと軽蔑していた昨夜が嘘のように、久保の身体の重みが愛おしい。




二人は本能のまま求め合い、短時間に何度も何度も愛し合い、ホテルを出た時には深夜三時をまわっていた。



真っ暗で静かな住宅街を進み、自宅近くで降ろしてもらう。




いつのまにか。




たった一日で。




久保のことを狂おしいくらいに好きになっていて、ドアを閉めた途端に妙子は泣きそうになった。




「じゃ…」




久保の車は、大音量を響かせて暗闇に消えていった。




 ―― もう、きっと、会えない…。














 *














翌朝、だるい身体を振り切って、目を覚ますと、熱いシャワーを浴びた。




たった数時間前まで、久保と一緒だったのに。




妙子の体内には、まだ久保の温もりと形が残っている気がする。




 ―― 私としたことが。こんなに簡単に寝ちゃって…、もう興味ないだろうな。




身体をバスタオルで拭きながら、深い溜息をつき、自嘲した。




自室に戻って、ふと携帯電話を見ると、メッセージが入っているマークが目に付いた。




「?」




留守番電話。




時間は明け方だった。




『妙ちゃん、さっきはありがとう。今、家についたところ。着替えたらすぐ会社に向かいます。俺は仕事柄、なかなか連絡が出来ないし、なかなか会うこともできないと思う。だけど、これっきりで終わりには絶対しないから。不安だろうけど、待っててほしいんだ。…じゃ、仕事、頑張れよ』




久保からのメッセージだった。




別れ際に我慢した涙が今になってこぼれた。




信じられなくて、何度も、何度も、再生した。




切なくて、苦しくて、だけど嬉しくて…。








 -終- (次回、武彦の場合に続く)


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* 第九話 * ~妙子の場合~ ⑥

近くの路上に止めてあった久保の車に急ぐ。


「家まで送ってくよ」


久保はそう言って、助手席のドアを開けてくれた。


「あ、でも、うちこの辺からだと遠いから…」


「まあまあ」


断ろうとした妙子を久保はグイと押し、車に乗せた。


妙子の自宅は、23区内ではあるが、東部下町に位置するので、ここ代官山からはかなり距離がある。


飲酒運転なのも気になった。


「久保さんは、どちらにお住いなんですか?」


「俺は、横浜だよー」


ますます、気が引ける。


エンジン音を響かせた。


しかし、少し走って、久保は車を路肩に寄せた。


「やっぱりちょっと酔ってるな。悪いけど、ちょっとだけ休ませて。ここ、分かる?」


久保は窓の外を指差した。


「え、墓地…?」


青山霊園の桜並木の下だった。


真夏であるから、もちろん桜は咲いていない。


「俺、ここ好きでさ、よく車停めて寝るんだよね」


確かに、桜が満開の頃は、なかなかのスポットである。


「じゃあ、せっかくだから怖い話しよっか」


「えー?あんまり得意じゃないんですけど…」


墓地近くでお約束のように始まった久保の怖い話…。


妙子は、やっぱり乗り込むんじゃなかったなぁと思っていた。


「宋君の話、知ってる?」


久保は嬉々として話出した。


「宋君が友達みんなと肝試しに行った夜、部屋で寝てたら、金縛りにあって…。肝試しの場所から霊を連れてきちゃったのかなーって思ったんだよ」


しんと静まり返った暗い窓の外では、ほんのりと点る街灯に蝉がぶつかってジジジと音を立てる。


「霊の姿もしっかりと見えるんだ。足元から現れた霊が下からひたひたと宋君の身体を伝ってくる。で、宋君を自分の仲間にしたいって、耳元で囁くんだって」


「うん…」


「お前に取り憑きたいって…」


ゾクっとして、妙子の身体は少しこわばった。


「こんなに近くに霊の顔があるんだぜ」


久保はそう言って、運転席から乗り出し、隣の妙子の鼻先まで自分の顔を寄せた。


「怖い…」


そして、そのまま久保の唇が妙子の唇に軽く触れた。


唇を離すと、二人は目を合わせた。


久保がニッと笑う。


妙子はどうしていいか分からなくなって、目を伏せた。


「で、昼間、肝試しのときに宋君の友達から呪文を聞いてて、これを唱えれば金縛りが解けるんじゃないかって」


久保が妙子の耳元で呪文を唱えた。


「ソウナカンマソウナカンマ…、妙ちゃんも言ってみて」


「ソウ…ナカンマ…」


「反対から言ってみ?」


「マ…カナ、ウ、ソ…?」


妙子は気付いて思わず笑ってしまった。


「真っ赤な嘘って!」


「もー、久保さーん、怖かったのにー」


別に話自体は怖くもなかったが、妙子は精一杯のぶりっ子で久保の胸にグーで軽く手をあてた。


久保の手が妙子の頭をクシャっと触る。


その手が頬まで降りてきて、また唇が触れた。


久保の舌が、妙子の歯を押し開ける。


 ―― 私、なんで、受け入れてるんだろう…。


そう思いながらも妙子は、さっきのレストランのテーブルの下で、膝が触れ合っていたあの時点から、こうなることは分かっていた。


久保の手が、妙子の大きく開いた襟ぐりから中に入ってきた。


頭の隅では服が伸びてしまうと考えつつ、その手が妙子の胸の固い先端にあたると、久保の口の中で思わず声が出た。


「かわいいよ…」


二人はしばらくキスを続ける。


「これ以上…、ダメ…」


妙子はデニムのファスナーにかかった久保の右手を押さえて、やっとの思いで口にした。


少し息が上がっている。


「…行こか」


久保が態勢を整えて、ハンドルに手をかけた。


車はゆっくりと進みだした。


「道案内、してね」


妙子は走り行く車窓の外を眺めながら、上の空で返事をした。


 ―― あんなに嫌だったのに、なんで…?


自分のしたことが信じられなくて、妙子はずっと自問自答していた。


 ―― 今、私は久保さんに抱かれたいと思ってる…。




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* 第九話 * ~妙子の場合~ ⑤

翌日。


昼前に起床した妙子は、えもいわれぬ憂鬱感にとらわれていた。


ベッドの上に転がりながら、昨夜もらった久保の名刺を眺める。


「はぁ…」


出るのは溜息ばかりだった。


まったくタイプではない男、久保。


二人きりで会うなんて大丈夫だろうか。


昨夜のあの調子でパカパカと頭をはたかれるのかと思うとゾッとした。


 ―― プライドは高そうだったからなぁ。断って、恨みを買うのも嫌だし。


いろいろ断る口実を考えてはみたが、なかなか良い案は思いつかなかった。


「行くしかない…か」


脚から大きく反動をつけて、一気に上半身を起こした。


 ―― とりあえず、お金はありそうだし。私にどれだけ使ってくれるのか見てみよう。



 *

 


夕方、17時をまわっていた。


妙子は、とっくに表参道の富士銀行の前に到着していたが、久保の姿はなかった。


着いた時点で久保の携帯電話に数回かけていたが、呼び出し音が鳴るばかり。


妙子は当然おかんむりである。


とりあえず、もう一度電話をかけてみる。


 ―― これで出なかったら、帰るっ!


「もしもし、妙ちゃん?」


やっと久保の声が受話器の向こうに響いた。


「あの、もういるんですけど」


腹立たしさがどうしても声に出てしまう。


「ごめん、もう着く。ちょっと仕事が時間通りに終わらなかったのよ」


「暑いし、もう帰りたいんですけど、いいですよね」


「ちょちょちょ、待ってって。もう交差点に差し掛かるから」


思わず、え?と顔をあげる。


「車で来てんのよ。シルバーのレグナム、わかる?あ、俺、妙ちゃん見つけた」


「レグナム…ですか?」


車種を言われたところで、皆目見当がつかない。


「今、信号で止まってるから」


ピンクのシャツの久保が、妙子の目に入った。


「あ…。わかりました、今、そこ行きます」


電話を切って、慌てて信号待ちで停まっていたレグナムに駆け寄った。


久保は運転席から身体をのばして、助手席のドアを押し開けてくれた。


「乗って、早く」


妙子が身体を車内に滑り込ませた途端、信号が青になった。


「おー、セーフ。ごめんね、遅くなって」


怒っていたはずの妙子だったが、なんだか今のドタバタですっかりどうでもよくなっていた。


「ふーん、今日は随分ラフな格好なんだね」


久保に指摘されて、妙子はシマッタ!と思った。


張り切って会いに来たと思われたくなくて、ちょっと襟ぐりの開いたカットソーとデニムで、サンダルをつっかけてきたような…「あえての」ご近所ファッションで来たのだ。


「お休みですからね」


TPOの分からない女だと思われただろうか…。


「お腹すかせてきた?」


久保は昨日と少し違う優しいトーンで、真剣にハンドルを握っていた。


「代官山にね、この間取材に行ったレストランがあるんだ」


「取材?」


「そう、俺ね、今、情報バラエティの担当だからさ。多いのよ、お店の取材とか」


気軽に入れるお店だったらいいが、やっぱりデートらしいフェミニンな装いをしてくるべきだったかと、妙子は心底後悔していた。


「取材の時に感じ良かった店はね、プライベートでも必ず行くんだ。御礼も兼ねて…」


 ―― 意外と真面目な人なのかしら。


到着したお店は、カジュアルなダイニングバーといった風情だった。


まあ、友達と来たと思えば、この格好でもセーフであろう。


少し外観も内装もお洒落過ぎて、気後れしたが、内心「なかなかやるじゃん」と思っていた。


久保は店長に軽く挨拶をすると、オススメのメニューを一通り頼んだ。


「ダメなものあった?」


「いえ、大丈夫です」


かなりリードするタイプらしいと感じた。


妙子は、いつのまにか久保のペースにハマっていた。


久保は自分ばっかり話をしていたが、喋っている内容は面白くて、聞いているだけの妙子も飽きはしなかった。


選んでくれた料理もお酒も美味しかったし、一緒にいて楽しいなと素直に思った。


小さなテーブルを囲んで、向かい合う妙子と久保。


こうしてまじまじと見ると、体型はともかく、意外と顔は凛々しい。


テーブルの下では、二人の膝頭と膝頭がずっと触れ合っていた。


膝から久保の温もりが全身に伝わってきて、妙子はドキドキしていた。


 ―― 酔った…かな。


「ちょっとゴメンナサイ…」


妙子はお手洗いに立った。


鏡の前で化粧直しをしながら考えた。


昨夜のあれはなんだったのだろう。


あんなに印象最悪だったのに。


逆に、昨夜は妙子を気に入ってくれた久保だが、今夜は気に入ってくれないかもしれない。


漠然とそんな不安さえ感じる変化に、妙子自身が驚いていた。


ホールに出ると、久保はカウンターの中の店長と話をしていた。


戻ってきた妙子に気付いた久保は、「また来ます」と会釈した。


「じゃ、妙ちゃん、行こうか」


久保が出入り口の扉を押す。


外に出てから、妙子は鞄の中の財布を探りながら聞いた。


「あの…、お支払いは…?」


野暮だった。


「済ましたよ。心配しないで」


 ―― いつのまに…。


「あの…、ごちそうさまです」


「うん」


久保はニッカリと笑って、スタスタと車に向かった。


 ―― スマート!!!


妙子は、少し感動していた。


そりゃ、会計は男に払ってもらうのが一番である。


払ってくれる男は沢山いるが、「次に出してくれればいいよ」だの、何か一言つくのが常だ。


それが、支払いの姿すら見せないなんて。


割り勘だなんて論外という考えの妙子にとって、恩着せがましくない久保のご馳走する態度はとても新鮮だった。


妙子はスキップまじりに久保の後を追った。

 


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* 第九話 * ~妙子の場合~ ④

お開きになって、出口へ人の流れができる。


始まったばかりは知らない男女だった大勢の人たちが、今は楽しそうに、名残惜しそうに、言葉を交わしている。


何人かの人に二次会に誘われたが、妙子はそれを断り、そのまま帰途につくことにした。


明日も休暇をとっている妙子は、参加できないこともなかったが、今夜はもう充分だろう。


潤奈や杏子は、それぞれ自分がいたテーブルの皆さん方と別の店に流れるようだ。


玄関前で何人かとどさくさに写真を撮ったりしたあと、あまり目立たないように、妙子は六本木駅へと向かった。


盛夏の夜はムッした熱気に包まれ、じっとしていても汗が出る。


ネオンや嬌声が相まって、異国のような街と化していた。


そんな雰囲気から抜け出したくて、行きとは違い、さっさと涼しい場所へ入ろうとスタスタと早足で歩いていた。


「おい、待てよ」


後ろから男性の声がする。


妙子は自分に言われているとは思いもしなかったので、そのまま早足を緩めなかった。


「待てって」


急に道を抜かされバッと行く手を塞がれた。


「きゃ」


ぶつかりそうになって止まると、久保であった。


「もう帰るの?」


「はい、家が遠いので」


妙子はそっけなく答えた。


久保は妙子に並んで歩き出す。


振り切りたかったが、ミュールではそうそう早くは歩けない。


「明日、会えないかな」


久保の唐突な言葉に思わず妙子の足が止まった。


「はい?」


素っ頓狂な声を出してしまった。


が、再び、地下鉄駅の階段を下り始めた。


「俺、明日の午後休みなんだ。会社の休みなかなか取れないんだ。明日しかないから。妙ちゃんは仕事?」


久保は必死に食い下がってくる。


「いやぁ、休みですけど…。一応、予定あるし」


「そんなの、いいよ。俺と会おう。夕方、表参道まで出るから」


「急に困りますって」


妙子は心底迷惑に思った。


そもそも、そんなラフな格好で、小デブで、粗野で、自分勝手な男と二人きりでなんて会いたくない。


妙子は黙って、切符を買った。


「ね。さっきの名刺に書いてある携帯に電話してくれればいいから。俺、ホント、明日しかないんだ」


懇願に近い久保の言い方に、少し憐れになった妙子はわざと大袈裟に溜息をついてから答えた。


「わかりました。じゃあ、明日の予定はキャンセルします。表参道のどの辺に行けばいいですか?」


「青山通りとの交差点。富士銀行の前に17時で」


久保はニッカリと笑った。


妙子は改札を抜けた。


向こう側にいる久保に営業スマイルを返し、バイバイと軽く手を振った。


 ―― あー、めんどくさい!!!


明日になって電話で断ればいいかと軽い気持ちで受けてしまったが、心は既に萎えていた。


すぐにホームに滑り込んできた日比谷線に乗り込んだ。


 ―― なんだって、あんなに気に入られちゃったんだろう…?


汗と埃と酒で臭い電車内にも滅入る。


妙子の全身にどっと疲れが押し寄せてきた。



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* 第九話 * ~妙子の場合~ ③

ガヤガヤと妙子たちのテーブルにやってきた男性たちは、みな電報堂の関係者ではなかった。




旅行代理店、中小広告代理店、保険会社、某球団の親会社など、名前を聞けば、まあ知らないことはなかったが。




実は、この会社バラバラの皆さん方は、全員出身大学が同じであった。




つまり、電報堂のどなたかが人数集めに、母校から人をかき集めたというわけだ。




彼らは、有名私立大の元野球部OB達。




あの六大学野球に参加できていた大学である。




ひとりは名前も聞いたことがなかったが、一応元野球選手でもあった。




聞くと、超大物名物監督とウマが合わず、一線を退いて、運営側に回ったらしい。




妙子が期待していたメンツとはちょっとかけ離れていたが、隣の潤奈が彼らのそんな体育会系裏話を聞いて楽しそうにしていたので、まあいいかと妥協していた。




もう少しスマートな雰囲気の人だったら万々歳だったのにと思いつつ、実際、同じ釜の飯を食らってきた連中の会話は笑いという面ではとても楽しかった。




ちらりと他のテーブルを伺うと、杏子をはじめ、同僚たちはカクテルに頬を染めながら、それなりに健闘している様子だった。




 ―― 恋を求めるには、このテーブル、失敗だったなあ。




妙子がそんなことを考えていたら、突然目の前が暗くなった。




「お・ま・た」




「おー、久保、やっと来たか!」




どっと周りが沸く。




妙子は、久保と呼ばれた男性に後ろからいきなり目隠しをされていた。




急に周りが見えなくなって、何がなんだか分からず、足をバタバタさせると、ようやく久保の手が離れ、そのまま妙子の隣にどっかりと腰をおろした。




「お、当たりじゃん」




久保が不躾に妙子の鼻の先を人差し指で指した。




「かわいい、かわいい」




久保は満足げに頷き、ニッカリと笑った。




 ―― な、 何、この人!?




妙子は驚いて声も出せなかった。




周りから声があがる。




「妙ちゃん、そいつ、俺らの後輩で久保っての」




「そ。よろしくどうぞー」




軽いノリで、久保は妙子に名刺を差し出した。




目を落とすと、“ディレクター:久保 武彦”とある。




テレビの子会社でも制作会社でもなく、れっきとした某テレビ局の名刺であった。




肩書きは“ディレクター”。




 ―― へえ、こんな若そうなのに、なかなかの肩書き持ってんじゃん。




妙子は少し感心はしたが、あまり食指は動かなかった。




それもそのはず、いでたちはTシャツ。




妙子より、せいぜい2、3歳上だろうっていうのに、腹出過ぎ。




しかも、慣れる慣れない以前から、「なんでやねん」と容赦ないツッコミが飛んでくる。




久保がやってきてから、まだ妙子のスプモーニはほとんど減っていないのに、既に五回も頭をはたかれて、不快感だけは最高潮だった。




 ―― 信じられない。なんなの、この失礼な男。




あんまりにもムカついたので、妙子は料理を取りに行くフリをして席を立つと、二度とさっきのテーブルには戻らなかった。




潤奈が慌てて妙子に駆け寄ってきたが、気にしないでと追い返した。




「大丈夫、潤奈は楽しそうだから、あのままいなよ。私は、あの人ちょっと無理だから」




その後、杏子のいるテーブルや他のテーブルに抜かりなく顔を出し、大手企業の名刺をゲットし、ほくほくしているうちにパーティーはお開きになった。






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* 第九話 * ~妙子の場合~ ②

今週から8月に入った。


そういえば、ノストラダムスの大予言とは一体何だったのだろう。


1999年の今年、予言にあった7の月もいつのまにか過ぎていた。


 ―― 神様、お陰で、こんな素敵なパーティーに出席できますっ。


妙子は、いそいそと鼻歌交じりに電報堂主催のパーティーに行く準備をしていた。


真夏の装いには、いつもより気を遣う。


大好きなEPOCAのドレスをチョイスする。


服を汗で汚すなんて耐えられない。


妙子は、今日のシフトをわざわざ休暇にしていた。


時間的には仕事終わりでも間に合ったが、一日中エレベーターに乗った後、ヘトヘトなコンディションで臨むのは絶対に避けたかったからだ。


それだけ、今回のパーティーには気合が入っていた。


普段の合コンなんかとは一味違う。


一流企業の男性陣が勢ぞろいしている場所に参加できるなんて、後輩の人脈も然ることながら、やっぱり有名百貨店のエレベーターガールという職業サマサマだと妙子は思う。


だから、この仕事は辞められない。






妙子は、夕方、涼しくなってから、日比谷線に乗った。


六本木七丁目にある一軒家風の会場にゆっくり歩いて向かう。


携帯電話で連絡をとると、同僚たちはもう会場についているようだ。


大きなパーティーということもあって、同僚ほとんどが参加することになっている。


 ―― みんなには負けられないわ。


会場に着くと、それぞれ勝負服の同僚たちが勢ぞろいしていた。


 ―― へへ、私のが一番かわいいじゃん。


妙子は満足げに裾をヒラリと揺らした。


中に入ると、薄暗い照明の中、バーカウンターの上には、キラキラとグラスが輝いていた。


結構、広い。


ビュッフェ形式だが、テーブルはあるようだ。


ビシッとスーツで決めた男性たちが目に入る。


既にそれぞれ数名ずつ席が埋まっているテーブルもあった。


「妙子」


呼ばれて振り向いた。


「あ、潤奈。間に合ったね」


電話交換係で同期の潤奈が仕事を終えて、到着した。


「すっごいね、誘ってくれてありがとう」


「ううん。ってか、MOGA?このワンピ超可愛い」


さりげなく潤奈のファッションチェックをする。


「でしょ。軽く気合入れてみた」


妙子と潤奈はバーからシャンパンをとると、まだ誰も座っていないテーブルについた。


見回すと先輩も後輩もそれぞれ散らばっていた。


このパーティーに誘ってくれた後輩の杏子は、この主催者と知り合いらしく、その人のグループと会話をしていた。


 ―― ってことは、あそこのテーブル近辺が主に電報堂か。


妙子はテーブルを順に見定めた。


急に周りがガヤガヤっと賑やかになり、数名の男性が妙子たちのテーブルに来た。


「おっつかれさんでーす」


「ここ、座らせてー」


20代後半か30代前半だろうか。


色味のシャツと派手なネクタイでキメた男たちが次々と座った。


明るく清潔感はあったので、まあいいかと、妙子はとびきりの笑顔をつくった。


「どうぞー」



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* 第九話 * ~妙子の場合~ ①

老舗百貨店。


つばが浅めの黒い麦藁帽子。


手にはメッシュの短い手袋。


白と紺のコンビの爽やかなワンピースには金色の大きめのボタンが光る。


黒いエナメルのパンプスを履いた細くて長い脚がカツカツと音を立てて、進んでいく。


同じ格好をした女性たちが数名、一列に並んで颯爽と店舗内を歩いていき、一人、また一人と列を離れ、レトロで美しいエレベーターの脇に立っていく。


次々と1階に到着するエレベーターから、同じ格好をした女性が降りて、待機していた女性たちと入れ替わる。


「交代いたします」


「交代いたします」


そう、声を掛け合うと外に出た女性がエレベーターの中に向かって深々とおじぎをする。


「お待たせいたしました」


エレベーターの扉が閉まる。


大隈妙子は、ホッとした表情で顔を上げた。


世で言う、エレベーターガール。


妙子は、腰を軽くトントンと叩きながら、控え室へ下がっていった。


「あー、疲れたーっ」


控え室の扉を開けると思わず声に出た。


「妙子さん、お疲れ様ですー」


後輩たちが声を掛けてくる。


「今日、やばくない?店内、混み過ぎ」


「やっぱ催しが物産展系だとジジババ多いですよねー」


パンプスを脱いで畳にあがると、脚にスプレーをかけてリフレッシュさせる。


冷蔵庫を開けて、自分のペットボトルを取り出すと、ロッカーの前に座り込んだ。


15分の休憩中にやることは、とにかく化粧直しだ。


「あ、妙子さん」


「ああ、杏子ちゃん、おつー」


後輩の杏子が、やっと見つけたという風に妙子の隣に座り込んだ。


「来週、六本木で広告代理店主催のパーティーがあるんですけど、いっぱい女の子呼んで欲しいらしくって。妙子さんも行きませんか?」


お疲れの妙子の瞳に生気がやどった。


「広告代理店って?」


「電報堂です」


「オッケ、行く行く!いつー?」


妙子の趣味は合コンと言ってもいいくらいに、こういう話は大好物だ。


まして、相手が大手の広告代理店とあらば、断る理由はない。


何を隠そう、妙子の座右の銘は【愛は金なり】である。


ふと左腕のロレックスに目を落とす。


そろそろ店内に出る時間だ。


「おっと」


妙子は慌てて、グロスを塗ると、立ち上がった。


鏡を見ながら、帽子を整えると、気合が入った。


エレベーターにあと一回乗れば閉店時間。


杏子のオイシイ誘いに残りの時間も頑張れそうな気がした。

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* 第八話 * ~和人の場合~ ⑤終

「…て」


「だて」


「だーてー!」


和人はハッと顔を上げた。


授業中にも関わらず、机に突っ伏して寝てしまっていたようだ。


ガバリと身体を起こした先には、怖い顔をした女性教師がじっと和人を見下ろしていた。


「お前、寝言で必死で謝ってたぞ」


女性教師はそう言ってニタリと笑った。


和人の背中を汗が伝った気がした。


 ― なんだ、俺、今、なんの夢見てた…?


必死で記憶を手繰り寄せる。


「よっぽど罪作りな事したんだろう」


女性教師の言葉に教室中がドッと笑った。


「あ…」


鵜飼麻弥子の夢だ。


思い出して、和人は愕然とした。


 ― あの日の夢、見てたんだ。


あまり思い出したくない夢だった。




「上級生に命令されて告白したって本当?」




あの問いに対して、和人は答えられなかった。


女性教師は寝言で謝っていたと言ったが、実際は謝れなかった。


誤魔化すことも、その通りだと認めることも出来ずに、あの日、和人は動揺を隠す為に、怒りを露わにした。


ガタンと椅子を倒すほどの勢いで立ち上がり、麻弥子をひとり残し、先に店を出たのだった。


最低な対応をしたと思っている。


あれほどの後悔をしたことはなかった。


その後、連絡を取ることも出来ずに、麻弥子からの電話もないままに、夏休みは過ぎていったのだ。


そのまま、二人は終わってしまった。


どうして、素直に謝ることが出来なかったのだろう。


どうして、最初は上級生の命令だったが、今は麻弥子のことがちゃんと好きだと伝えられなかったのだろう。


どうして、どうして…。


何度、自分を問い詰めても、あの時の意地っぱりな自分を正当化することが出来ないでいる。


麻弥子は自分以上に傷ついたはずだ。


一年以上経過した現在も胸が痛む。


二学期が始まる日、和人は願を掛けながら、あのミサンガを足首に結んだ。


新学期、一ヶ月強ぶりに見かけた麻弥子の左手首を何度も盗み見たが、もうお揃いのミサンガはなく、落胆したことを覚えている。


麻弥子は明らかに和人を無視していたし、同様に、和人からも麻弥子に話しかけることは二度となかった。





授業終了の鐘のあと、次の授業の教室に移動するため、苦々しい表情で和人は立ち上がった。


 ― こんなこと思い出すなんて…、ただでさえ面倒な誕生日だっつーのに。


苛々と廊下を歩きながら、脇の流しにペッと唾を吐く。


ズッタズッタと引きずった足音をさせながら大股で歩いていく。


「あの…」


「あ?」


背中を軽くとんとんと呼び止められて、怖い顔で和人は振り向く。


和人は目を見開いた。


眼前に、切れたミサンガがぶら下がっていた。


「これ、今、落としてったよ」


人差し指と親指で、和人の鼻の前にブラリと高く掲げられたそれは紛れもなく、麻弥子が作ったあのミサンガだった。


「鵜…」





果たして、和人の願は叶うだろうか。



 -終-


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* 第八話 * ~和人の場合~ ④

和人と麻弥子は、ようやくデートらしいデートをした。


夏休みに入るその日。


一学期終業式の翌日が、和人の帰省日だった。


寮から家への帰宅がてら。


初めて、お互いが私服で、二人きりで駅のホームに立つ新鮮さ。


すぐ隣りにいるミニワンピースの麻弥子はとても可愛らしかった。


もう周りに知っている人間も見当たらなくなった頃、電車を降りるどさくさに手を繋ごうかなと、和人は思った。


「あのね」


いろいろ妄想していたところに麻弥子に突然話しかけられて、和人は少し戸惑う。


「…ん?何?」


「前に、Jリーグの試合観にいこうって話してたでしょ」


麻弥子は大きな鞄を覗き込んで、何やら探っている。


「伊達くん、バスケ部だけど、サッカーも好きなのかなって思って、これ…、作ったんだ」


麻弥子は取り出したハンカチを広げた。


そこには、ミサンガがあった。


「これ、俺に?」


「うん、流行ってるし、作ってみた」


照れくさそうにニコッと笑った麻弥子がとても愛おしかった。


「おそろだよ」


そう言って、麻弥子は自分の左手を見せた。


ピンクのスウォッチとヘアゴムと共に、色違いのミサンガがあった。


 ― か、可愛い…。


「ありがとう」


和人は、ミサンガを受け取った。


ハンカチに包まれていたせいだろうか、とても良い香りがする気がした。


股間が少し熱くなった頃、和人の地元の駅に着いた。


和人は下半身に気付かれないようにカモフラージュしながら、麻弥子の右手を引いて、電車を降りた。


「これってさ、自然に切れたら願い事が叶うとかだっけ?」


初めて手を繋いだ恥ずかしさに麻弥子は上手く声を出せないようだった。


和人もドキドキを誤魔化したくて、いつもより饒舌になる。


「家に帰ったら、早速着けるよ」


手だけが独立してるように、脈がドックンドックン言っているのが伝わる。


緊張で少し汗ばんだ手の平。


いつもより暑いのは、7月の気候のせいだけではなさそうだ。


繋いだはいいが、今度はいつ、どうやってこの手を離したらいいのか分からなくなっていた。


何もかもが初めて過ぎて、どの行動もなんだか不自然になる。


「飯…、食おうか」


大して、腹も減ってない。


料理を頼んだところで食べきれるかどうかも微妙なこの緊張感。


でも、どうにもならなくて、二人は駅前にあるファーストフード店に入った。


結局、麻弥子はポテトとドリンクしか頼まなかった。


一方、和人は無駄にハンバーガーを3個も頼んでしまった。


会計の時にようやく、和人は手を離す。


思わず、大きな深呼吸をしてしまった。


「ふーっ…」


少し、麻弥子がピクリとした。


 ― あー、緊張する。ってか、俺、こんなに食えねえ。


テーブルについて、目の前に広がるハンバーガーの山。


 ― 鵜飼さんも、突っ込んでくれればいいのに…。


もはや笑えない状況になっていた。


紙包みを開く手さえもぎこちない。


何度もソースを落としたり、コーラでむせたり、口にケチャップが付き過ぎたりしながら、必死で食べ終えた。


話もあまり盛り上がらなかった気がして、和人は焦っていた。


 ― すっげえ、カッコ悪りぃ。


「ねえ、伊達くん…、私ね、ずっと聞きたいことがあったの」


麻弥子が和人の目をまっすぐに見つめた。


あまりにまっすぐ過ぎて、和人の目は少し泳いで、すぐ視線を避けてしまった。


また大きく息をついてしまう。


 ― やべえ、可愛すぎる。目、見らんねぇ。


動揺する和人に、麻弥子は冷静な一言を放ってきた。


「上級生の命令で私に告白してきたって本当?」




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* 第八話 * ~和人の場合~ ③

去年…、チューリップが次々に咲いていた頃。




つまり、寮に入りたての頃。

寮内には数々の悪しき風習や悪戯がある。

上級生を笑わせるためだけに宴会芸を何日も考えて披露したり、戸板に半裸で縛り付けて立てかけられたり、女子寮に向かって山彦よろしく愛を告白させられたり、鞄を開けたら中身が全部すり替えられていたり…。

和人もまた、入寮当時に洗礼を受けた一人だ。

和人への上級生からの司令は、誰でもいいから同じクラスの女子にコクれ!

女子が苦手な和人は頭を抱えた。

上に逆らったら、これからの寮生活が辛くなる。

だったら…。

和人は馬鹿正直に、同じクラスの中で一番目立っていた女子に狙いを定めた。

それが、鵜飼麻弥子だった。

彼女は寮生ではなく、通学生。

そこは敢えてそうした。

寮生同士だとまた面倒な司令を出されかねないからだ。

麻弥子は、一年生だったにも関わらず、堂々と校則違反をおかすような子だった。

入学式の時は確かにストレートだったサラサラの長い髪は、早速くるくるとウェーブがかかっていた。

ピアスの穴もいくつか開いていた。

流行り始めたスーパールーズソックスもいち早く履いていた。

指定の学生鞄はアニエスbやクーカイのバッグに替わっていた。

寮の女子たちには出来ないお洒落をどんどん取り入れているから、とても目立つし、垢抜けてもいた。

性格も明るかったし、和人でさえも話しやすい子。

そんな麻弥子に和人は司令通りにアプローチした。

「俺で良かったら付き合ってほしいんだけど」

いわゆるクラスの一軍に属する子だったから、きっと他校あたりに彼氏もいて、すぐ断られるだろう、そんな見込みだった。

ところが、麻弥子は頷いたのだ。

「アタシなんかでよかったら」

そう言って頬を赤らめ、俯いた。

和人は混乱したが、寮は大盛り上がりだった。

とてもじゃないが、上級生からの司令だなんて言えなかった。

この日から、二人は付き合いだした。

と言っても、寮生と通学生。

せいぜい授業中に書いた小さな手紙を渡したり、放課後に少し話したり、夜に電話するくらいのもの。

案外、麻弥子が積極的で一生懸命和人に尽くしてくれた。

だけど、和人は照れもあり、わざわざ外出届を提出してまでデートの時間を作ろうなどとはしなかった。

ただ、だんだん麻弥子の中身を知るごとに、和人なりの興味も湧いてきていた。

はじめは麻弥子からばかりだった電話も和人から掛けるようになった。

何度掛けても話し中でヤキモキした日もある。

あとから、お互いが同じ時間にかけ合ってしまっていたなんて理由が判明してホッとしたり、少しずつ麻弥子に心を開き、恋愛感情を持ちつつあった。

そんな初々しさのまま、夏休みに入った。


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* 第八話 * ~和人の場合~ ②

残り少ない休み時間。

和人は渋々廊下に出た。

キャーと軽い歓声。

二人の女子が和人の前に歩み寄った。

一人は女子バスケ部の子。

その子が後輩を連れてきたようだ。

「伊達くん、うちの寮の一年」

真っ赤になっている一年生の背中がグイと押された。

「あー、こんちは」

和人は頭を掻いた。

廊下に向かって、教室中の視線を感じる。

誰がどう見ても目立つシチュエーション。

 ― もう少し考えろよ。

恥ずかしさにちょっと苛立つ。

「あの、お誕生日おめでとうございますっ。これ、プレゼントです」

顔を真っ赤にしながら、やっとそれだけ言って、両手で和人に袋を押しつけると、一年生は風のように去っていった。

「あ、ちょ、…じゃあ、そういうことで」

連れてきた女子も、どういうことかわからないコメントを残して、一年生を追っていった。

「ひゅー、ひゅー、伊達ちゃん、やるねえ」

有野の冷やかしがますます周りの注目を引き付けた。

「うるせ」

和人は有野に一発蹴りを入れ、教室に戻った。

 ― 名乗りもしねえし、こっぱずかしいし。

今ので机の中のブツも持ち帰りやすくはなったが、次々に有野が持って来る話に気が重かった。

「放課後、部活行く前でいいからさ、ちょっと顔かしてよ」

「有野、お前、金でも貰ってんじゃねえの?」

「いいじゃん、誕生日とバレンタインはお前の独壇場なんだからさ~」

有野はヘラヘラと逃げた。






そもそも、女子の恋心ってのは一体何なんだ?

ろくに話したことも、存在すら知らなかったのに、「ずっと好きでしたぁ」だの言われる。

今年のバレンタインの時もそうだった。

過去に一言交わしたかどうか程度の他のクラスの女子が、前日に寮にまで電話を掛けてきた。

寮の電話は掛かってくる時間が決まっていて、電話当番の一年生が出る。

「伊達先輩、女性の方からお電話です」

こうして受ける電話は恥ずかしさと優越感でくすぐったい。

しかも、寮内ですぐさま噂になる。

「朝練の前に渡したいので、7時に体育館の前に来てくれる?」

確か、通学生の子だ。

じゃないと、そんな時間に融通が利かない。

寮に戻って開けたら、見た目もひどい手作りチョコケーキ。

 ― げ。気持ち悪くて食えるかよ。

申し訳ないが、少しも口にせずに捨てたのを覚えている。

ある意味、強烈過ぎて、その子だけは名前を覚えてしまったくらいだ。





唐突に有野の声が脳天に響いた。

「あ、そうそう、鵜飼さんが」

和人がガバッと顔を上げた。

「うっそーん、なんでもないって」

有野がおちょくる。

和人は慌てて、誤魔化すように机を探った。

耳まで赤い気がした。

 ― 鵜飼麻弥子。

和人が唯一付き合った元カノだ。

お互い好きだったはずなのに、何故か別れてしまった。

和人の左足首には、ミサンガが三本ある。

一本は、麻弥子の作ったミサンガ。

別れても切れるまで外さないのは、迷信以上に、麻弥子へのささやかな意思表示だった。

麻弥子にだけ判ればいい、…そんな和人の本当の気持ち。



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* 第八話 * ~和人の場合~ ①

「殿フェロ見た~?」


「見た、見た、よゐこ出たじゃん。どぜう、超ウケた」


「てーか、ヨシキでしょう。とぶくすりのが面白いのにねー」


ギャハハハ…と品のない笑いが廊下の片隅から聞こえてきた。


伊達和人は、そんな女子連中を一瞥して、大股で自分の教室へ向かった。


ここは、関東でもまだ少し山が残っているような地にある一部寮制の共学高等学校である。


和人は、今、高校二年生。


実家は23区内にあり、家から通えない距離でもないが、親の勧めで寮生活を送っていた。


寮では、基本的にテレビを見ることは出来ないので、ああいった品のない話題で大爆笑しているのは通学生の連中だ。


これまでの寮生活の中で、唯一テレビを観られたのは、W杯予選…、ドーハの悲劇の時だけである。


あの日は、久しぶりのテレビだったのに、相当落ち込んだものだ。


バスケ部の和人でさえ、どんよりした気持ちになった。


教室に入った和人は、机の中に今日の分の教科書を入れようとした。


「あれ」


ゴツっと何かが当たって、教科書が中に入らない。


腰を折り曲げて覗くと、机の奥にピンク色の包みが入っていた。


「?」


取り出してみると、可愛らしいリボンがかかり、名刺サイズのカードに【伊達くんへ】とハートマークがあしらわれていた。


慌てて周りを見回して、そのまま包みを机に押し込んだ。


不自然に腹部を机に押し当て、机の上に大袈裟に頬杖をついた。


 ―― あー、そっか俺、今日誕生日じゃん。


合点がいったが、この中身をどうしたもんかと頭を悩ませた。


和人は女子の扱いが苦手である。


高1の時に、この学校ですぐに彼女が出来たが、なんだかすれ違いで別れてしまってから、彼女には縁がない。


しかし、目ざとい女子は放っておかない。


和人は、バスケ部でレギュラーを張るだけあって、スラリと長身である。


顔は小さくて、脚は長い。


お洒落にもそれなりに気を遣っている。


最近のお気に入りの靴はドクターマーチンだ。


性格はクール。


少し怖がられることも多いが、保坂尚希に似ているなどとよく言われる。


自他共に認める“モテる人種”である。


悪い気はしないが、女子は勝手に騒ぐので困る。


今の和人には、そんな人気も「うるせえ」としか思えなかった。


 ―― さて…、この爆弾はどう処理すっかな。


和人が頭を巡らせていると、同じバスケ部員である有野が寄ってきた。


「おい、伊達。廊下で、女子どもが呼んでるぞ」


 ―― 来た…っ。


去年のバレンタインもこうだった。


今日も怒涛のプレゼントラッシュが予想された。


 ―― めんどくせー。


和人は仕方なく立ち上がって、教室を出た。

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* 第七話 * ~久美の場合~ ④終

「大丈夫?」


正和に声を掛けられハッとした。


久美と正和はプリンスホテルの最上階にあるバーラウンジにいた。



「辛いことがあったんやね」


酒に弱いくせに、少し過ぎたようだ。


喋りすぎた。


「あ、ごめんなさい、酔ったみたい…」


「沙綺、店でも飲んでないよな。酒、苦手?」


「うん…、強くない」


正和に最初についてから二週間が経っていた。


正和は滅多に店には来ない。


初日以降、来たのは一度だけ。


つまり、一般的にいう上客ではなかった。


久美は、自分自身、キャバクラ勤めは向いていないなと感じていた。


他の女の子のように、上手に客をあしらえない。


酒もほとんど飲まないし、真面目さが前面に出てしまっているので、客も興覚めするようだ。


二度目に正和が来たときに、休日に会う約束をした。


本来、個人的に会うことは控えた方がよかった。


同伴やアフターならともかく、今日は完全にプライベートだ。


元々、男性と出会いたかっただけの久美は、その辺り曖昧だった。


他の客でも、この人はいい人だと感じた客に何度か電話したことがある。


久美は営業のつもりはなく、単純に話をしたかったので電話をしたのだが、店での態度とは裏腹に彼は久美からの電話に出ることはなかった。


また、No.1の彼女のテーブルにヘルプについた時、客からのプライベートな質問にも平気で真実を答えていた。


No.1の彼女は久美を裏で叱った。


「ダメだよ、あいつらに本当のことなんか言ったら」


そんな経験をしながら、だんだんキャバクラというものを知っていった。


久美は甘かった。


ズルくなれなかった。


どんなに男の顔を金に見立てようとしても、やっぱり男は男で、久美は何か違うものを求めてしまっていた。


いわゆるプロ意識が持てず、相変わらず指名客は取れなかった。


あとから入った女の子に、どんどん成績は抜かされる。


最初は構ってくれていたマネージャーたちも、あまり久美に話しかけてこなくなった。


潮時かなと、久美も感じていた。


目の前にいる正和も、久美のそんな雰囲気を感じ取って、店には来ないのだろう。


わざわざ店で大金を落とさなくても、来る女。


「部屋…、一応とってあるんだ。奮発してスイート」


久美は虚ろな目で正和を見た。


「でも、今の話と同じになっちゃうかな。俺にだって妻も娘もいる…」

 

 ― ズルい男。


「帰る」


久美が立ち上がった瞬間、世界がグルリと回った。


慌てて正和が支える。


「ホント、弱いんだなー。こんなんじゃ何も出来ないよ。とりあえず部屋で横になれよ」


笑った正和は優しかった。


心が少し溶けた気がした。






久美は、正和に案内されるまま、部屋に向かった。


「わあ…っ」


部屋に入ると、全面に広がった夜景が目に入った。


ベイブリッジが光っている。


真っ黒な空には、点、点と星が佇んでいた。


「こんな部屋、初めて…」


「会社の関係でさ、こっそり用意してもらったんだ、スイートルーム」


二人は窓辺に立った。


「少し、酔いが醒めるまでいればいい。帰りたくなったら、夜中でもちゃんと送るから」


正和は外を眺めながら、そう言った。


「俺、風呂入っちゃおうかなー。広いんだよ。ジャグジーもついて…」


明るくそう言って、間をもたせようとしているのが伝わった。


久美は思わず、噴き出した。


「やっと、笑ってくれた」


正和がホッとした表情を見せた。


「出身が関西だからかなー、笑ってもらわれへんと辛いのよ~」


上着を脱いで、ソファにひっかけた。


「風呂、入ってくるね。せっかくだし」







ひとり部屋に残された久美はキングサイズのベッドに腰掛けて少し考えた。


 ― 繰り返してるな…。


失恋の痛手を忘れるために無理矢理勤めたキャバクラだったが、傷口は広がるばかりだった。


たまにこうやって優しい男に出会える。


一晩でもいい、慰めてもらえるなら。


身体だけでもいい、今は誰かに愛されたい。


こういうことを久美は望んでいたのかもしれない。


これ以上、甘えちゃいけないのに。


このままでは、何度も同じ過ちを繰り返してしまう。


キャバクラで男と出会おうなんていうのが間違っていたのだ。


どうせ成績の悪い久美には大してお金にもならない。


担当マネージャーの伊達だって、久美にはもう期待していない。


このまま続けても、また何人もの浮気性の妻子持ちと出会って、過去を思い出すばかりだ。


反省しなければいけないのに、前科が増えるだけ。


「これが…、最後…」


矛盾した気持ちのままで、久美は一糸纏わぬ姿になると、正和のいるバスルームへと入っていった。




 -終-


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* 第七話 * ~久美の場合~ ③

半年前。

郵便が届いたあの日。

「宮尾久美さん宛に書留です」

母が判を押し、それを久美の代わりに受け取ってくれていた。

会社から帰宅した久美に、母が手渡してくれたその差出人を見て、全身に電気が走った。

 ― 八木隆徳。

「あれ、上司の八木さんじゃん。書類かな」

母に動揺を気取られぬよう、何気なく受け取り、自室へ入った。





数日前に、付き合っていた八木から別れを切り出された。

「あのムービーを妻に見られた。バレたからには、今までの様には付き合えない」

久美は別れにはあっさり承知したが、乞われるまま軽率にいやらしい映像を撮ったことを全身全霊で後悔した。

元々、妻子持ちであることも分かっていたこと。

近いうちにバレるんじゃないかと覚悟もしていた。

そう、最初はお互いの同情心から始まった。

久美は売れない劇団員の彼氏とうまくいかず、会えば喧嘩ばかりの日々。

八木は、妊娠・出産・育児で、奥さんにまるで構ってもらえない毎日に疲れていた。

そんな二人が慰め合うようになるのには、大して時間も掛からなかった。

しかし、紛れもない不倫。

割り切った関係だった。

そんなことは痛いほど理解していた久美だったが、やはりいざとなると辛いものだった。





久美は、自分のベッドの上に座り、ゆっくり書留の封を切った。

中にはA4の紙が二枚と返信用封筒が入っていた。

一枚には、誓約書と書かれてある。

もう一枚には、久美に宛てた手紙。

すべて印字だった。

「あれ、これ…、奥様からだ」

久美は一気に警戒した。

 ― 誓約書?

訝しみながら読み進めていくと、そこには、

 …この度はご迷惑をおかけし、申し訳ありませんでした。

 …このようなお恥ずかしい結果になり、私と致しましても大騒ぎしたくはありません。

 …(中略)

 …同封の誓約書に署名捺印し、送り返してください。

 …貴女が内容に同意出来ない場合は、訴訟など含め、別の方法を考えたいと思います。

などと書かれてあった。

誓約書には、二度と会わないこと、及び、約束を破った際は速やかに慰謝料請求に応じることとあった。

久美は大きく安堵の溜め息をついて、床に大きく寝転んだ。

「そっか、私、訴えられても可笑しくない事してたんだ」

正直、久美は不倫の代償のことまで考えてなかった。

ただ、その時が楽しければ、その時が癒されれば、それで良かった。

だけど、そんなエゴの陰に、苦しんでいる人が存在していること。

分かっていた様で、全く理解していなかったことに気付いた。

天井を見ながら、久美は浅はかだった自分の行動を悔いた。

だけど。

久美は、仰向けのまま、あふれ出る涙を止められなかった。

だけど。

「私だって、本当に八木さんが好きだった…」

嗚咽した。



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* 第七話 * ~久美の場合~ ②

働き始めて一週間。

まったく似合わないJ&Rの白いスーツに身を包んだ久美は、ヘルプとして、仕事を覚えるのに必死だった。

来るのは常連客が多い。

つまり、既に指名をする女の子が決まっている客。

指名を奪うのはご法度である。

名刺を渡すことさえ、気を遣う。

酔った客に「あれ、こんな子入ったの~?お前よりタイプだなあ」等と、先輩の女の子の前で言われ、えらく睨まれたり、足を踏まれたりもした。

仲間を連れてきたサラリーマン集団や初めての客に的を絞りたいが、店側も売り上げに貢献できる人気の女の子を優先的に配置したりするので、久美が入り込む隙はなかなかなかった。

テーブルに来たマネージャーたちが久美に向けた右手をクイっと上に上げたら、その席を立ち、次の席に移らねばならない。

まるで、操り人形のようである。

少し人見知りする久美はこの動きについていくだけで精一杯で、次の席、次の席で、なかなか打ち解けられず、うまく客を取れなかった。

「沙綺さん」

今夜もまたマネージャーの指先に翻弄されていた。

さっきまで30代半ばくらいの大柄な男性4名の新規グループについて、大分慣れて、自分も楽しくなってきた頃に、No.1待ちの一人客のもとへ移動させられた。

この人はNo.1の子以外とは親しく口を利きませんという態度を貫いていて、話し掛けてもほぼ無視。

視線はずっとNo.1の彼女のテーブル。

目の奥は嫉妬でいっぱい。

「お前なんか呼んでいない」だの暴言を吐く。

久美は場を保つのに四苦八苦していた。

それを先程のテーブルの男性の一人が見ていたらしい。

「沙綺さん。さっきのテーブルのお客さまから場内指名入ったよ。あの、背の高い人たちの…」

天の声だった。

久美にとって、初めての指名。

喜び勇んで、席を立った。

「沙綺です、ご指名ありがとうございまぁす」

久美は、やや長身の男性の前へ行き、両膝を軽く曲げて挨拶した。

「待ってたよ~。なかなか戻ってこられなそうやったから、呼んじゃった」

そう言う客の隣にホッと腰を下ろした。

「助かりました」

久美は小声で伝えると、水割りのお代わりを作った。

「お名刺、頂けますか?」

久美は、その客の連絡先を聞いた。

記念すべき、久美の客第一号である。

「奥…正和さん、まあくんて呼んでいいですかぁ」

久美は安易なことを言った。

「あれ、この会社って結構有名…」

「そ、バレーでね」

「まさか、皆さんのこの身長は?」

「そう、俺ら、実業団の選手なの」

おどけながら答えた。

「年とっちゃったから、ベンチ温めてる方が多くなっちゃったけどね」

正和はとても優しい笑顔で久美に話し掛けてくれた。

このバイトを始めて、やっと心からの笑顔を返せた瞬間だった。

 ― 私、スポーツマンに縁があるのかな。

久美はそんなことを感じた。

そう、半年前に終わった彼も元高校球児だと言っていたっけ。

グラスの水滴を拭き、正和のコースターの上に戻す。

久美は自然と正和に寄り添い、安堵のため息をついた。



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* 第七話 * ~久美の場合~ ①

壁をグルリと見回すと半分は鏡。


柱の照明や天井のシャンデリアが映りこんで、部屋中キラキラと光る。


ふかふかの真っ赤なソファ。


硝子のテーブル。


部屋の中央には磨き上げられた真っ黒なグランドピアノ。


装飾は金色やクリスタル。


とにかく煌びやかな空間だった。


こんな場所に、カジュアルなカットソーとジーパンで来てしまったことをひたすら後悔した。


赤いソファに浅く腰掛けているのは、宮尾久美、25歳。


目前の低めのテーブルには、久美自身が書いた履歴書が置いてある。


「おまたせ~」


奥から黒のスラックスと黒い蝶ネクタイをした白シャツの男性が現れ、久美の斜め前に座った。


「はじめまして、後藤といいます」


男性は人懐っこい笑顔で、久美に名刺を差し出した。


“サブマネージャー 後藤茂樹”と書かれていた。


「こういうところで働くのは初めてなのかな?」


後藤は明るく、久美に尋ねた。


「はい、今まで派遣で働いてて、今もパートですが昼間は普通にOLしてます」


ここは、都内主要駅近くに多く立ち並ぶ夜の店の中のひとつ…。


いわゆるキャバクラだった。


「やっぱ、ここに来た理由はお金…かな?」


お金もそうだったが、久美はとにかく男性と出会いたかった。


半年ほど前に手痛い体験をした。


その傷を強引にでも男性と出会って、癒したかった。


「はい…、でも、もう25だから、どうですか…ね」


実は、ここの店の面接の前に、既に一件断られていた。


理由は、働くなら夜一本に絞って欲しいこと、それと年齢がやや高かったことだった。


「うちは、そういうのこだわらないよ。やってる女の子たちも大学生とかが多いし、掛け持ちは問題ないかな」


久美は、少しホッとした。


実家住まいであるし、親も健在なので、水商売をすることは当然秘密にしたい。


ゆえに、昼間の仕事もしていたい。


「これ内緒だけど、うちのNO.2の女の子はね、もう30近いけど、26歳で始めたんだよ。子どももいる」


久美は驚いて、顔を上げた。


「NO.1の子も最近、新宿から店替えてうちに来たんだけど、実は結構歳いってるし、年齢とかはあんまり関係ないんだよね」


「そうなんですか…」


「お客様とお話がちゃんと出来れば、大丈夫。久美ちゃん、見た目可愛いしOKでしょ」


案外、軽く採用された。


「でね、スカートは腰でまくって、これくらいは短くしてほしいわけ」


後藤は手で腿の半分より上を示した。


「ハンカチをさ、必ず持ってきて。お客様のグラスの水滴を拭くのに使うんだけど、脚の上に置いておくのにも丁度いいでしょ」


「あ、洋服…、あんまり派手なの持ってないんですけど」


「平気、平気。幾らかかかるけど、貸与アリよ。衣装はたくさんあるから、今日みたいな格好で出勤したって構わない。ヘアメイクさんもいるしね」


優しく、話しやすい後藤に久美は徐々に慣れていった。


見た目はごつい猿っぽい雰囲気だが、笑うと八重歯が可愛い。


「でね、女の子には担当マネージャーってのがつくんだ。だから、マネージャーの為に売り上げUP出来るように頑張ってほしいわけ」


後藤が担当なら頑張れるかな、と久美は思った。


「じゃ、名前決めちゃおうか。本名でも構わないんだけど、付けたい名前ある?」


「いえ、何も考えてませんでした…」


源氏名を決めるらしい。


後藤は片手で自分の顎を触りながら、少し頭を引いて、久美を上から下まで眺めた。


「うー…ん、サキ…ちゃん、かなぁ」


そう呟いてから、クルっと後ろを向いて、奥に向かって大きな声を掛けた。


「サキちゃんて子、いなかったよねー?」


奥から、後藤よりもかなり背が高くスラリとした男性が出てきた。


「おー、新しい子?」


後藤と同じ服装で、顎髭を生やしている。


目は少し冷たい雰囲気だった。


「この人、チーフマネージャーの伊達さん。久美ちゃんの担当さんね」


後藤が紹介した。


「え…、そうですか。よ、ろしくお願いします」


久美は少し落胆した。


それを感じたのか、後藤が答えた。


「ごめんね、俺、まだ下っ端だから、担当つかないのよ」


「よし、じゃあ、俺の為に頑張ってよ、サキちゃん!」


伊達は少し傲慢な態度で名刺を渡してきた。


怖いな、と感じた。


「シフトとかの相談は俺にして。ここに書いてある番号かお店に電話くれるとかでいいから」


“チーフマネージャー 伊達和人”。


久美は、後藤と伊達の名刺を鞄にしまった。


「じゃあ、この名前で名刺刷っとくから。あと、ちっちゃいポーチにライターと名刺入れ、用意しといて」


・・・【麻宮 沙綺】


この名前で、久美はキャバ嬢として、夜のバイトをすることになった。



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* 第六話 * ~マリアの場合~ ?終

翌々日、マリアは隆徳に誓約書を渡し、署名捺印させた。


内容は、二度と不倫はしないこと、次回発覚の際、離婚を提示されたら速やかに了承すること。


その代わり、今回の件は一切公にはしないこととムービーの削除をマリアは約束した。


実際、損な契約かもしれない。


だけど、マリアの本当の気持ちは、実は恥ずかしかったのだ。


【不倫をされた妻】というレッテルを貼られるのは耐えられなかった。


自分の友人には勿論、隆徳の知人にも、肉親にも知られるのを恐れた。


何よりも早苗に、動揺した自分を知られるのが、どうしても嫌だった。


 ― そんなことされる側にも問題あるに決まってるじゃない。


脳内に響く早苗の声にマリアは耳を塞いだ。






そして、今。


マリアは郵便窓口にいた。


内容証明まで大袈裟にはしたくなかったが、せめて書留で宮尾久美に手紙を送ろうとしていた。


直接、会おうかとも考えたが、やはりプライドが邪魔をした。


それ以上に、何よりも怖かった。


実物の宮尾久美と対面して、育児にいっぱいいっぱいのヤツれたマリアと比較されるのも。


こいつが、旦那を放っておいた悪妻かと内心思われるのも。


愛されたのは自分だと居直られるのも。


全てが、傷ついた心には重荷だった。


マリアには、隆徳との間に出来た二人の大事な子どもがいる。


だが、そんなことしか繋ぎ止めている理由がないなんて、それを知られるのも苦痛だった。


マリアは自分の存在を極力表に出さないように細心の注意を払った。


誓約書も、同封した手紙も、宛名も差出人も、自筆では書かなかった。


人間味を出したくなかったし、実在のマリアに勝てると思われたくなかった。


それほど、弱気だった。


 ― どんなに立場が愛人より上でも、私はしょせん、浮気された妻なのだから…。


傍から見たら、妄想かもしれない。


しかし、マリアの内面はすっかり早苗の言葉に打ちのめされていた。


みるみる自信を失っていった。


隆徳にも必要とされていない。


 ― 妻って…何なんだろう?


窓口で、書留代を支払うと、フラフラと外に出た。






抱っこ紐でマリアの胸元にいる子どもをふと見ると、安心してスヤスヤと眠っていた。


グッと涙が瞳をせりあがった。


 ― この子たちの為に…。でも、どうして私だけが、こんなに頑張らないといけないのだろう。


マリアは、自分自身で、子の親を奪うことだけはしまいと誓ったのに、既にその考えに揺らいでいた。


 ― いっそ、このまま消えてしまえたら楽なのに…。


数日前まで、隆徳のことを全身全霊で愛していたはずなのに、もうそんな気持ちは瞬く間に失せていた。


だけど、それでも離婚の選択肢はなかった。


子どもたちを育て上げる義務の為に。


誰にも知られずに、この件を片付ける為に。


マリアのちっぽけなプライドの為に。


早苗に負けない為に。




 -終-


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* 第六話 * ~マリアの場合~ ?

こんなに不思議な気持ちがあるとは思っていなかった。


まだ見ぬ宮尾久美よりも、遥かに早苗が憎らしい。


何故、焚きつけるようなことを言ったのか。


早苗だって、今は結婚しているのだ。


妻としての立場や気持ちが分からないはずがない。


 ― あの子は変わってないんだわ。


マリアは隆徳の前でぐったりとうなだれた。


「マリア?」


 ― 浮気なんてバレなきゃいいじゃん。


 ― 浮気される方に問題あるんじゃないの?


 ― 信じてる、信じてるって、裏で何されてるか分かったもんじゃないよね。


早苗の声でどんどん自分が罵倒されていく。


付き合ってからの、結婚してからの、出産してからの、マリアの人生がガラガラと音を立てて崩れていく気がした。


信念がついに揺らいでしまった。


「ごめんな」


隆徳がマリアの両肩を抱いた。


「こんなに傷付けると思わなくて。自分のことしか考えてなくて」


隆徳の身体が震えているのが分かった。


 ― 泣いてるの?


マリアはそれを信じられない思いで見つめていた。


人前で涙を見せる人ではない。


そんなに追い詰められていたのか。


それとも、彼女と別れたのが惜しくて涙しているのか。


マリアはその光景を素直に見られなかった。


「相手の…、その…、宮尾さんて人に、住所聞いてきて」


「え?」


隆徳は驚いて顔を上げた。


「それとも、私と実際に顔合わせて欲しいの?」


「いや…、でも住所聞いて何するの?」


マリアは一生懸命考えた。


正妻の有利な立場を失ってはいけない。


この際、隆徳と宮尾久美に対して、慰謝料を請求しようと思った。


証拠のムービーなら、マリアの携帯電話に記録してあるのだ。


しかし…。


見苦しくない方法で、相手にも隆徳にも釘を刺す方法。


彼女を脅迫することなく、嫌がらせにならず、もう会わせない方法。


「初めてだから…、嫌だけど、許せないけど許せるように私も努力してあげる。勝手に携帯電話見たことのお詫び」


マリアはプライドの高さに自分で驚いていた。


たぶん、このまま早苗に知られることへの悔しさから、気持ちを譲ったのだ。


頭の中は、たくさんの嫌がらせの方法で渦巻いていたが、冷静になろうと努めた。


無言電話や相手の親や会社への告発や、面罵、告訴…。


汚い方法はたくさん浮かんだ。


「宮尾さんとあなたに誓約書を書いてもらう」


「誓約書?」


隆徳は何のことだか分からないといった顔をした。




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* 第六話 * ~マリアの場合~ ?

その夜、隆徳はいつもより少しだけ早く帰ってきた。


まだ、子どもたちも起きていた。


普段は眠ってしまってからの帰宅なので、夜にパパに会えた長男のテンションは一気に上がる。


「パパー、おかえりー」


「ただいまー。いい子にしてたかあ?」


頭をわしわしと撫でてから、隆徳は長男を抱き上げた。


 ― こんな光景、久しぶりに見たなぁ。


マリアは、目を細めた。


「パパぁ、ママね、今日あんまり元気ないんだよ」


「そうなの?お腹が痛いのかな」


多分、隆徳はギクリとしたに違いない。


昨晩のあれは夢ではなかったと実感しただろうから。


隆徳は、珍しく晩酌もせずに、既に冷たくなってしまった夕食を食べていた。


「ねえ、パパ」


まとわりつく長男に、優しく声をかける。


「おい、もう9時過ぎてるんだぞ。お布団に入らないと、ママ困るよ」


「えー、だって、やっとパパに会えたのに~」


「行きなさい。日曜日には一緒に遊べるから」


本当か嘘か分からない約束を長男は信じて、布団にもぐりこんでった。


マリアも一緒に寝室へ行き、隣で子どもたちを寝かしつけようと横になった。


お腹の下の方を軽くポン、ポン、と叩いていると、長男は健やかな寝息を立てて、眠りについた。


眠った雰囲気を察知するのか、下の子もいつのまにか眠っている。


マリアは大きく深呼吸しながら、布団の上で伸びをした。


そのままボーッと天井の小さな明かりを見つめていた。


隣の部屋からは微かにカチャカチャと食器の音が聞こえる。


隆徳と顔を合わせたくなかった。


どうしたいのかまだ考えもまとまっていない。


スッと部屋に一筋の光が入った。


「マリア…」


小声で、隆徳が呼んだ。


 ― 話をする気なんだ…。


マリアは重い腰を上げた。







ダイニングテーブルに向かい合わせに座った。


食べ終えた食器は片付けてあった。


珍しいことをするものだ。


「さっき、別れてきたよ」


隆徳は切り出した。


「元々、相手も俺に妻子がいることは知っていたから、納得して別れてくれた」


「…彼女として、付き合ってたんだ?」


隆徳はおもむろに煙草に火をつけ、紫煙をゆっくりと吐き出した。


「本気だったんじゃないの?」


「違うよ、家族は家族として愛しているし、ただ…」


隆徳は言葉を切った。


「…癒しが欲しかったんだ」


マリアの頭ににカッと血が上るのが分かった。


「お前は、子どもにかかりっきりで、帰ってきても寝てて、会話もなかっただろう」


「デートしてたから、帰りが遅かったんじゃないの」


膝の上でギュッと拳を握った。


汗をかいている。


「かかりっきりって…、あなたが子育てに何にも関わらなかったんじゃない。一番手のかかる、一番私が不安定な時期に…、あなたは、他の人と楽しい時間を過ごしてたんでしょう?」


一気に言った。


「俺だって、疲れてるんだよ。だけど、労いのひとつもない」


煙草は隆徳の手元でどんどん灰になっていった。


「悩んだよ。よそうと思った。早苗にも相談したんだ…」


 ― なんですって?


マリアは顔色を変え、隆徳を睨んだ。


「どういうこと?早苗とも二人で会ってたの?」


「うん、家に行って、この話をした。…気になっているコがいることも、家でのことも…」


「そしたら?」


「いいんじゃない?って。仕方ないよって言われた」


マリアは立ち上がった。


「ちょっ…!…そんなさぁ、不倫を勧める友達って、本当に友達って言えるのっ?」


隆徳に近づいて、両手で力いっぱい押した。


そのまま恥も外聞もなく、髪を振り乱して、何度も何度も隆徳の胸を拳で叩いた。


「どうして、…どうして、そんなこと早苗に相談したのっ」


ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう。


 ― こんな侮辱ない。早苗はきっと、ほくそ笑んでいたに違いないわ。


こんなに怒りに任せた行動をしたのは初めてだった。


「やめろよ」


隆徳はマリアの両腕を掴んだ。




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プロフィール

香月 瞬

Author:香月 瞬
短編小説を主に、様々な恋路を綴ってまいります。
友達のコイバナを聞くようなつもりで読んでいただけると嬉しいです。

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