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* 第十二話 * ~茂樹の場合~ ④

あの日は佑介の車で各自の家まで送り届けてもらい、終了しました。


帰ってから、早速郁美から僕に電話があり、年明け早々に二人きりで会うことになりました。


行き先は、彼女が“鬼門”だと言っていた横浜にしたのですが、思わずなるほどと頷いてしまうほどの鬼門っぷりを見せてくれました。


僕の愛車は東北の社宅にあるので、郁美に車を出してもらってのドライブ。


意外なことにマニュアル車だったので、慣れない僕は彼女に運転を任せて、横浜まで向かいました。


中華街で食事をするつもりだったのですが、正月でしたから、どこも混み混み。


覗く店、覗く店、行列です。


散々歩いて、ようやく入れたのは場末の食堂と言った雰囲気の店。


初回のデートにしては、やっちゃったなっていう…。


ま、美味しかったから良しとしましたが。


その後、港の見える丘公園に行き、車を停めるのに坂を登ったのですが、まあ見事に停められるところは他の路駐の車で埋まっていて、仕方がないからちゃんと駐車場に停めようということになりました。


来た方向に戻ろうとした郁美は、そのまま折を見てUターンすればよかったのに、何故か左に曲がり、細い私道に入り込みました。


思いっきり一方通行の下り坂。


先はどうやら行き止まり。


バックで戻るも、乗っている車はマニュアル車なもんだから、焦ってしまってエンストしまくり。


そのまま前に滑って行ってしまう車。


助手席の僕は冷や汗モノ。


郁美も真っ赤になって、一生懸命落ち着こうと深呼吸している。


ものの何分かだったと思いますが、とてつもなく長い時間でした。


郁美はもっと長く感じていたことでしょう。


どうにかこうにか元に戻って、仕方がないから先に進んで、グルリと遠回り。


「ほらねー、だから横浜嫌いなのよー」


「それって横浜関係あるの?」


ニヤニヤと意地悪な突っ込みをしながら、でも僕はそんな失敗をした郁美を可愛いなと思っていました。


僕はもう明日には新幹線に乗らなければいけません。


付き合って欲しいと言うには、ハードルが高すぎました。


それに、すごく汚い考えですが、生保会社って、女性が多い職場なのです。


支社に戻ったら、正直なところ、女性には不便しません。


ここで、特定の彼女を作って、気持ち的に縛られるのも損かなとも思ったのです。


だから、ここで決断を下すのは早いと思い、僕は決定的なことは一切言いませんでした。


しばらく港の見える丘公園のベンチに座りながら、ようやく切り出したのは郁美の方でした。


「私さ、後藤君のこと好きになってもいいのかな」


座っている僕と郁美の間には拳一個分の隙間がありました。


「もう会えなくなっちゃうと思うと、結構切なかったりするんだよね、私」


そう言って、郁美は僕の方を見ました。


「うん…。でも、またすぐこっち来るよ。成人の日絡みの連休の時にでも…」


「また会ってくれるの?」


「もちろん」


そう答えて、僕は、郁美をキープしたのです。




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* 第十二話 * ~茂樹の場合~ ③

晴海に着き、路上に車を停めて、公園のような敷地に向かって歩いていきました。


海に近いせいか風が強くて、僕達は首をすくめました。


「さみ~」


「真冬に来るところじゃないね」


そう言いながらも佑介と妙子ちゃんはずんずん進んでいきます。


佑介が振り返って僕に


「あん中入れば少しは違うんじゃねえか」


と、大きな建物を指しました。


「おう」


僕は向かい風に盾になり、郁美をかばいながら歩いていました。


「大丈夫?」


「うん」


先を行った二人が左に曲がって、姿が見えなくなりました。


「おっと、急ごうぜ」


そう言うと、後ろから軽く僕のダウンが引っ張られました。


「ん?どした?」


振り返ると、ふいに僕の唇に柔らかいものが触れました。


「奪ったりぃ~」


郁美がいたずらっ子のような顔をして、笑いました。


そして、片手でトンと背中を叩くと、突然僕を追い越して走りだしました。


「ほら、早く早く!」


僕の方を見て手招きし、Aラインのグレーのコートの裾をひらめかせて、郁美は佑介たちの元へ走ります。


何やら分からずドギマギした僕は、ちょっとだけ郁美に見惚れ、慌てて我に返りました。


「こら、待てっ」


追い付いた先には、自販でホットコーヒーを買う佑介たちがいました。


「あ、私も」


郁美が僕の分までホットコーヒーを買って、渡してくれました。


単純かもしれないけど、いいコだなって思いました。


真っ暗な階段を昇って、見晴らしの良い場所で四人でコーヒーを飲みました。


寒かったけど、あったかかったです。


「あちち」


コートの中のニットの袖を少し伸ばした両手で熱い缶コーヒーを持って、フーフーする郁美が、たまらなく可愛いと感じました。


「火傷すんなよ」


僕は思わず郁美の頭をポンポンと撫でました。


「あれれ、なんか良い感じじゃない?」


妙子ちゃんが突っ込んできます。


僕は微笑で応えました。


この子となら付き合ってもいいかなと思っていましたが、僕は年明けには東北の支社に戻らなければいけません。


遠距離恋愛をする覚悟はありませんでした。


佑介が煙草に火を付け、手摺りに寄り掛かりながら、上を向いてゆっくり煙を吐きました。


「お、今日、星すげえ」


みんな揃って夜空を見上げました。


「あ、オリオン座発見」


郁美が言いました。


そう、この空は東北にもつながっていて、同じ星空を眺めることは可能かもしれません。


だけど…。


「後藤君、今度デートしてね」


郁美がニコッと笑い掛けます。


ドキッとして、一瞬目を逸らしてしまいました。


「横浜とか…好き?」


僕はちょっとその気になって聞いてみました。


「あ~、私、横浜鬼門なんだよね~」


郁美が心底残念そうに言いました。


「なんじゃそりゃ」


思わず笑ってしまった僕は、ズッコケながらも、この時に決心したのでした。



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* 第十二話 * ~茂樹の場合~ ②

佑介は、妙子ちゃんにメロメロで、店に着いてからも、お酒の注文や料理の取り分け等、信じられないくらい甲斐甲斐しく動いていました。


男としてのプライドはないのかなあとチラっと感じましたが、本人が楽しければいいかと思い直しました。


尽くし型の男ってのもいるんですね。


それとも釣り上げるまでは投資を惜しまないタイプなのでしょうか。


釣ったあともこうなら女性にとっては素晴らしく都合の良い男性でしょう。


同僚の新たな一面を僕は興味深く観察していました。


反面、妙子ちゃんはあまり佑介には恋愛対象としての興味はなさそうな素振りをしていて、僕は心の中で面白がっていました。


そして、問題は郁美です。


彼女はなかなかに積極的なタイプらしく、僕も少々タジタジ…。


「ねえねえ、後藤君。携帯何使ってるか見せてー」


携帯電話を渡すと、何やらポチポチ打っているではないですか。


おいおい…と思っていると、郁美の携帯が鳴り出し、すぐに切れました。


「えへへー、後藤君の番号ゲットー」


きゃはははと楽しそうに笑って、郁美は僕に携帯を返してきました。


「リダイアルのとこの私の番号、ちゃんと登録しといてね」


「う、うん…」


参ったなーと言いつつ、多分僕はニヤニヤしていたと思います。


随分と簡単に電話番号が手に入ってしまったワケで…。


浮かれてポチポチとその場で電話帳登録している自分もちょっと格好悪かったかなと今は反省しています。


「うふふ」


郁美は正面からまじまじと僕の顔を眺めながら、カシスウーロンを飲んでいました。


「ふーむ、なるほどジャニーズ顔ねえ…」


郁美はテーブルに乗り出して、言いました。


「強いて言うなら、中村繁之に似てるよね」


「古っ!」


すかさず妙子ちゃんの突っ込みが入って、女の子二人は顔を見合わせて笑っていました。


「おばちゃんによく言われるよ…」


僕も頭を掻き掻き、中村繁之似を認めました。


この夜は、たくさんお酒を飲みました。


どうやら楽しかったみたいです、僕。


「このあとどうする?俺、車近くに停めてあるから、ドライブでも行こうか」


佑介が提案しました。


「えー?飲酒運転じゃない、大丈夫?」


一応、妙子ちゃんは心配していましたが、この当時はまだそんなに罰則も厳しくなかったし、結局4人で晴海まで行くことになりました。


途中、照明の美しい橋を渡りながら、運転席の佑介が語ります。


「俺、この景色好きなんだ。大事な人は必ず連れて通る道なんだよ」


助手席に座っている妙子ちゃんに言っているんだろうと察し、僕は口を挟みませんでした。


内心、くっせえ口説き入ってるなーとちょっと笑っていましたが。


後部座席の僕と郁美は、酒がまわっていたのもあり、お互い寄りかかって、今にも寝そうでした。


くるくるした髪の毛から漂うシャンプーの良い香りが僕の鼻孔をくすぐって、とても心地よかったのを覚えています。


晴海に近づき、赤鉛筆のような形をした建物が見えてきました。




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* 第十二話 * ~茂樹の場合~ ①

後藤茂樹といいます。


僕は、中堅保険会社に入社して一年目でした。


実家は東京ながら、東北の或る都市に勤務していました。


本社での入社式の後に、配属先が東北だと聞いた時は愕然としたものです。


同期入社のほとんどは、関東近郊の支社なのに、僕は遠く離れた初めての土地。


あとから、それが出世コースだと聞き、溜飲を下げたものの、最初はこんな会社辞めてやる!と毎晩悪酔いしたものです。


あれは、暮れも押し迫った頃。


関東に残っている同期の森中佑介から、女性との飲み会に誘われました。


僕は、暮れから正月三が日まで冬休みで東京に帰ってきていたので、暇だったし、二つ返事でOKしました。


待ち合わせは、有楽町マリオン前。


銀座の飲み屋の個室を予約してあるようでした。


随分張り切っているなあと思ったら、佑介の目当ての女性とのセッティングで、彼にとっては勝負の飲み会だったらしいのです。


女性陣は、佑介が狙っている彼女とその友達の二人。


つまり2対2の飲み会に、僕が借り出されたワケです。


それも「ジャニーズ顔のイケメンを連れてくる」と約束したらしく、それが僕のことで、かなりのプレッシャーになりました。


僕が彼女たちのお眼鏡に適わなかったら、その場はかなり辛くなります。


正直、ルックスには自信がありましたが、今回ばかりは佑介を恨みました。


しかも佑介が既に一人に狙いを定めているということは、自ずともう一人を僕が相手をしないといけない訳ですよね。


女性として見れるか以前に気が合うかすら分からないのに、ずるいなあと思いました。


ここは、ホストに徹するしかないなと諦めて、僕は待ち合わせ場所に向かいました。


ちょうどマリオンのからくり時計が19時を告げていました。


その下に佑介と赤いコートとグレーのコートの女の子が二人、到着していました。


「お、来た、来た。後藤!」


佑介が手招きします。


「こんばんは。みんな早いね」


僕はにこやかに応じました。


何故なら、来ていた二人は、揃って結構可愛かったから。


「えっと、こちらが大隈妙子ちゃんで、こちらが内村郁美ちゃん」


佑介は、赤いコートを着ている妙子ちゃんに力を入れて、僕に紹介します。


はいはい、妙子ちゃんが佑介のお目当てですねと、僕は内心で了解しました。


「郁美です。よろしく~」


そして僕は、この子のお守りをすればいいわけですね。


よろしくと言って、表情を輝かせた内村郁美という女性は、ひと目で僕を気に入ったらしいことが見て取れました。


「後藤茂樹です」


郁美は、ふわふわとカールした髪を肩で揺らしながら、僕の隣に来ました。


まあ、僕もまんざらでもなく、ちょっとニヤけてしまったと思います。


四人揃って店に向かって歩き出しました。

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あとがき解説 その3

いや~、やっと終わりました。

短編と謳っているにも関わらず、15回て!!

長くなってすんませんて事で、記事あげますね。


第十壱話 杏子の場合


 木村杏子(20)


これ、なんで長くなったかと言いますと、六割くらい実話だったからです。
一応、シチュエーションとか人物背景は作ってますが、土台となったエピソードのいくつかは現実にあった事。
使いたい言葉とか舞台を盛り込み盛り込みしてたら収拾つかなくなっちゃいまして、結末が曖昧な感じに…(´Д`)

ネタはもっと小出しにしないといけません(笑)。

有野毅のモデルになった男性は、第一話に出てくる谷内貴昭にも一部通じる性格設定があります。
香月が出会った人の中で、強烈に印象深い方だったんですね。
杏子の場合を読んでいただいていたら、なんとなく感じると思いますが、単に我儘だったのか…不思議な人だったんで。
残念ながら、もうご縁はない方なので、こっそり使わせてもらいました。

でも、私の視点から見た彼を更に脚色しているので、多分、本人が読んだとしても自分だとは分からないかもしれないなあ。


あっ。
実話だからといって、杏子は私の分身ではないです。
自殺未遂とかするたまじゃないので、ご心配なく。


でも、実在の人をモデルにするの、あんまりよくないですね。

無駄にドキドキしてしまいます。




今回もそうでしたが、なんか恋路の各話全般暗いので、そろそろハッピーエンドな話を考えようかなと思ってます。

今後ともよろしくお願いしま~す!

香月 瞬

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* 第十壱話 * ~杏子の場合~ ⑮終

杏子が手首を切った日から、もう一ヶ月が経とうとしていた。


その間、杏子は有野と同じサークルから抜け、斉藤や芳野と同じバイトも辞めた。


お正月には家族水入らずで旅行に行った。


成人の日には大雪が降り、なんとその日に子犬が届いた。


白く積もった庭をコロコロと転がるように走り回る。


全て、父の計らいだった。


父の気遣いや、様々な癒しに、杏子の左手首の傷も日に日に良くなっていく。


冷えたり、逆に温まりすぎてもズキズキと痛む。


だが、確実に傷は塞がっていった。


それよりも緩やかな速度ではあったが、心の傷も少しずつ癒えていった。


今は、両親にこれ以上の心配を掛けないように過ごすのが先決だった。


冬休みも終わり、大学にも顔を出す。


どこからか噂を聞きつけた友人たちの目線がどことなく手首方向に行くのが辛かったが、何事もなかったかのように過ごした。





ある日、大学から帰宅すると、杏子宛の手紙が一通届いていた。


差出人は不明。


ただ、確かにこの文字に見覚えはあった。


心臓がギュンっと飛び上がる。


急いで、階段を駆け上がり、部屋に入る。


机の上からハサミを取ると、恐る恐る封を切った。


中にはチケットが一枚と手紙が入っていた。


『元気ですか?』


最初に、そう書いてあった。


紛れもなく有野の筆跡だった。


…同じ専門学校の連中と組んでるバンドの初ライブが決定しました。


…キョンには、たくさん応援してもらってたから、なんとか都合つけて、観に来て欲しいと思う。


…勝手なのは分かってるけど。


…離れてみて分かったことがある。


…俺には、お前が必要だってこと。


…恋人として好きってそういうんじゃないけど。


…人間として、大事に思ってる。


…俺が倒れそうな時はお前に支えて欲しいし、お前が倒れそうな時は俺が支える。


…そういう気持ちでいます。


…有野 毅。


杏子は、便箋をくしゃっと握りつぶした。


 ― 毅は…、いつもこうやって私を苦しめるんだ。


悔しさでいっぱいだった。


息苦しい。


いつも、こういう有野に振り回されてきた。


杏子は、この一ヶ月、一生懸命忘れる努力をしてきた。


頑張って、頑張って、一日、一日を過ごしてきた。


だけど、その努力を有野は一発で無にするのだ。


ここで、会ってしまったら、また同じことの繰り返しになる。


杏子にはそれがよく分かっている。


「こんなこと…、恋愛感情のある相手に言う台詞じゃないよ…」


杏子は机に突っ伏して考えた。


大好きな有野への門扉が今、一瞬開かれているかのように見える。


だが、そちらへ足を踏み入れようとした時、門前払いをされるのだ。


また同じように傷つくのはごめんだと頭では分かっているのに…。


身体を起こし、深く深く、ゆっくりと呼吸をした。


そして杏子は、チケットを大事そうに、手帖に挟んだのだった。




 -終-



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* 第十壱話 * ~杏子の場合~ ⑭

斉藤のメッセージを読んだ杏子は、彼に電話を掛けた。

切りたての左手首がズキンズキンと脈打つ。

痺れるような痛みに耐え、杏子は平静を装った。

斉藤はすぐに電話に出た。

「キョンか」

とても落ち着いていて、優しい声だった。

「うん、さっき浩太さんから電話もらったんだけど、なんか掛けにくくて」

「え、こっちのが気まずいんじゃないの?」

笑い声が交じった。

「キョン、ひょっとして何かやっちゃった?」

「ん…?ううん…。平気よ」

やっぱりといった感じの溜め息が聞こえた。

「自分、大事にしないとダメだよ」

「うん、わかってる」

「俺は怒ってないし、いつでも気軽にさ、何でも相談乗るから」

あまりに心の広い回答で、杏子の胸にこみ上げるものがあった。

「ううん。…私、誰よりも人を傷つけてるのに、自分が辛いことから逃げることばっかり考えてて…」

「みんな、そんなもんだよ。弱気になる時はある」

「ホントにごめん。どうお詫びしたらいいのか…」

とうとう涙が零れた。

「いいんだ、泣くなよ。気にしてないから」

これ以上、斉藤の声を聞いていたら、あまりにも優しすぎて、甘えてしまって、立ち直れそうもなかった。

罪悪感に押し潰されそうになる。






電話を切ると、ベッドに横になった。

有野からは連絡はない。

杏子からも出来ない。

死に損なって、格好悪くて、恥ずかしくて…。

このままサヨナラするのも悪くないかもしれない。

もう許してもらおうとかいう気分も失せた。

杏子は天井の明かりを見つめながら、有野への想いを封印する努力をしようと思った。

バイトもサークルも辞めよう。

今まで関わった全てを断ち切ってしまえば、少しは気持ちが軽くなるだろうか。

いつのまにか杏子は眠っていた。

眠りは杏子をそっと包んでくれた。

あんなに明日が来るのが怖かったのに。



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* 第十壱話 * ~杏子の場合~ ⑬

…毅へ。

…ファックス読んだよ。

…毅が知った斉藤君との別れの理由は、浩太さんから聞いた内容でおおよそ正しいと思います。

…私の自己中心的な考えのせいで、本当にごめんなさい。

…だけど、これ以上、斉藤君にも自分にも嘘がつけなかった。

…やってしまったことは最低だけど、別れたことは後悔してない。

…ただ、やっぱり毅のことが好きだから、斉藤君とは付き合えないって思ったことは、本人に言わなくても良かったことだよね。

…無駄に傷つけたと反省してます。

…斉藤君に、私とあなたがグルで、彼をからかったと誤解されてしまったんだね。

…私が至らぬせいで、気付かぬところで毅にもとても嫌な思いをさせてしまった。

…そんなんじゃ、見切られるのも無理はないよね。

…このまま傍にいても、不愉快な思いをさせるだけ。

…もう、会わなくても大丈夫なように、頑張るね。

…今まで仲良くしてくれてありがとう。

…毅と一緒に居られた時間は宝物です。

…こんなこと言われるの嫌かもしれないけど。

…無理難題を吹っかけられても、毒舌で攻められても、振り回されても、それが毅で、そのまんまのあなたと過ごす時間が、とても大切だったんだ。

…距離をおきたいと言われたら、それを受け入れるしかないと思います。

…私の居場所を自業自得で失ったんだと思う。

…迷惑かけてごめんね。

…許してもらえないかもしれないけど。

…杏子より。




杏子からのファックスを読み終わった有野は苦笑いをした。

「死ぬ気か?」

冗談でつぶやいてみて、ハッとする。

「…マジかよ」

有野は慌てて受話器をあげると、杏子にかけようか逡巡したあと、やっぱり芳野に電話をした。

幸い、在宅だった。

「あ、芳野君?俺。あの…、キョンが、もしかしたらキョンが自殺するかもしれない」

「な、どういうことだよ」

「昨日、怒りに任せて、あいつに言ったんだ。二度と俺に関わるな、距離をおきたいって」

芳野にも緊迫感が伝わった。

「そしたら今、キョンからファックスが来て、なんか内容が永遠にさよならしそうな勢いでさ」

芳野の脳裏に杏子の顔が浮かんだ。

杏子は、有野の躁鬱に近い上下の激しい性格に影響されている。

すぐに死を連想する有野に洗脳されているも同然なのだ。

「俺、距離おくって言っちゃったし、今さら連絡できないし、芳野君確かめてみてくれないかな」

「…わかった。自宅に電話してみる」

芳野は、すぐさま杏子の家の番号をダイアルした。

少し長めに呼び出し音が鳴り続いた後、杏子の父親が出た。

なんとなくだが、声が強ばっているように感じた。

「ちょっと取り込んでいて、杏子は電話に出られません」

嫌な予感がした。

どうにか取り次いでもらおうと必死に食い下がったが、電話は切られた。

少し考えて、芳野は斉藤に連絡した。

「おい、キョンの様子がおかしい。何か聞いてないか?」

「え?どういうことすか?」

話を聞いた斉藤は、とりあえず一筆書いた。

『キョン、大丈夫か?何かあったんなら連絡しろよ。斉藤』




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* 第十壱話 * ~杏子の場合~ ⑫

バイトから自宅へ戻ると、ちょうど杏子の部屋のファックスから白い紙が吐き出されているところだった。

「…あ、毅からだ」

文字を見てすぐ分かる。

文面にはしっかりとした文字が、いつになく長々と綴られていた。

読み進めて、杏子は全身の力が抜けた。

「そんな…」

そこには、こうあった。



…お前は最低だな。

…俺を理由に別れるとかやめてくれよ。

…迷惑だ。

…斉藤君に電話したら、出てくれなかったよ。

…おかしいなと思って、芳野君に聞いたら、俺のせいだって言うじゃない。

…お前が誰と付き合って、どう別れようが勝手だけど、俺を巻き込まないでくれ。

…自分が何をしたわけじゃないのに友達としていられなくなるなんて、冗談じゃない。

…悪いけど、お前としばらく距離をおくことにする。

…二度と俺に関わるな。



「ああ…、どうしよう…」

口を開いたら、杏子の両目からどっと涙が溢れた。

あとからあとから頬を、顎を伝い、落ちていく。

「も…だめだ…」

印字された有野の文字が脳内を駆け巡る。

…距離をおく

その言葉が胸に突き刺さった。

有野に会えなくなるかもしれない。

もう声すら聞けなくなるかもしれない。

自分の居場所はただ一つ、有野の隣しか望まなかったのに。

杏子自身のエゴで、最も大切な人を傷つけてしまった。

ひどい理由で斉藤に別れを切り出した。

そのことで斉藤を傷つけても、大して痛まなかった杏子の心が、今ズタズタになった。

 ― 毅を怒らせてしまった。

何よりも恐ろしいことだった。

有野が好き過ぎて辛くて、斉藤に逃げた自分の過ち。

やっぱり無理だと自分の心に正直になったら、有野が杏子の手の内から逃げていった。

杏子は、全てを失ったと感じた。

…距離をおく

もう有野の傍に居られない。

嫌われてしまった。

杏子は泣きじゃくった。

どこにこんなに涙があったのだろう。

しゃくりあげ続けて、息苦しい。

 ― このまま消えてしまいたい。

そう思った瞬間、杏子は決心をし、机に向かった。

 ― 毅に全ての思いをしたためよう。

杏子はペンを取ると、有野宛てに手紙を書いた。

申し訳ない気持ちと、努力では消せなかった恋心と、これから杏子に対して有野が望むこと、それを二枚の便箋に綴った。

明日は一日休みだ。

部屋を掃除して、思い出を処分するつもりだ。

そして、最後に、この手紙を送信する。

「ごめんね、毅…。私、いなくなるから…、許してね…」

有野のいないこれからの生活は、杏子にとって、何の希望も見いだせなかった。

杏子は、いわゆる遺書になるであろう、それを読み返して、また泣いた。

窓の外に小雪がちらついていた。

夜は更ける。



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* 第十壱話 * ~杏子の場合~ ⑪

「一ヶ月だろ?まあ、よくもったよ、なぁ」


斉藤に別れると伝えたその二日後、有野から杏子に電話があった。


「それもクリスマスイブに別れるって、すごいよな」


昨日、バイト先で会った芳野に言ったせいだろう。


杏子に何の断りもなく、有野へ情報は流れていた。


「どう?落ち込んでる?」


有野はケタケタと笑った。


「こりゃもう、自殺モンでしょー」


有野は、いつになく毒舌だった。


「手首、サクッて感じ?斉藤君、焦るぜー」


杏子は、自分から別れを切り出したことを有野に言えなかった。


理由を聞かれたら、答えに詰まるのが目に見えていたからだ。


 ― 毅、私はあんたのことが好きなんだって、分かりすぎちゃったせいだよ。


そう言えたら、少しは楽になっただろうか。


電話の向こうの有野は、“杏子が自殺騒動を起こすくらいドラマチックに落ち込んでいる”という状況がお望みのようだった。


「そんなに落ち込んでないよ。逆になんかスッキリした」


「ふーん。つまんねえの」


そう言って、有野は電話を切った。









翌日、またバイト先で芳野に会った。


「浩太さん、毅に話したでしょ」


杏子は少し怒って聞いた。


「え?あー、バレちゃった?」


「昨夜、毅から電話あったよ。面白がってた…」


「はは、アイツらしいね」


休憩室で二人が話しているとドアが開いて、斉藤が入ってきた。


「お疲れ様でーす」


杏子の姿を認めた斉藤の表情が一瞬にして強張る。


刹那、緊迫した空気が室内に流れた。


斉藤は、二人を一瞥すると、何も言わずに通り過ぎ、更衣室に入っていった。


「おいおい、険悪じゃんかよ」


芳野が声をひそめた。


「うん…、毅の事が好きって認めちゃったからね…」


「あー、身代わりで付き合ってたって、そう思われちゃったワケか」


杏子は頭を抱えた。


「まー、自業自得だろ?」


芳野がやや辛辣な言葉を浴びせた。


 ― 元はといえば、浩太さんがけしかけたも同然なのに。


杏子は少しムッとし、ちょっとだけ涙がこみ上げた。


しかし、あの場の勢いで付き合ったのは自分の責任だ。


その後の付き合い方が斉藤に対してとても失礼だったことも杏子の非だ。


それは嫌というほど理解しているつもりだった。


だが、芳野に言われたくないという反発心も否めなかった。


「私、もう行く」


ガタンと音を立てて椅子を引く。


明らかに気を悪くした様子で、杏子は休憩室を出て行った。


残された芳野も、仏頂面で眼鏡を拭いていた。




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* 第十壱話 * ~杏子の場合~ ⑩

斉藤と杏子が付き合いだしてからも、以前と同様に有野と三人で会う時が続いていた。


斉藤抜きで、有野と杏子が二人で遊びに行く日も変わらずあった。


杏子は、そのスタイルでいいと思っていたし、斉藤も分かってくれているのだと思っていた。


今夜はクリスマスイブ。


バイト後、斉藤の部屋に杏子が一人で来ていた。


ケーキを食べた皿を片付けたあと、流しで振り返った斉藤が立ったまま、重い口を開いた。


「…あのさ、キョンはどうして、有野君と一緒に俺んちに来たり、二人で帰っていったりするの?」


ボーッとテレビに向かって、ゲームをしていた杏子は、あまりの驚きに手元が狂った。


「おかしくない?」


「そう…かな。毅とはいつも一緒にいたから、あんまり気にしてなかった」


「ちょっと、それ止めて」


斉藤が近づいてきて、テレビの電源を切った。


「俺はちゃんとキョンと付き合いたい。二人きりになりたい。お互い、好きだから付き合ってるんだろ」


あまりにストレートで、思わず杏子は赤面した。


「有野君が一緒にいたら、俺ら、手も繋げないんだよ?」


 ― そっか。付き合うって、そういうこともあるんだよね…。


杏子は当たり前のことに今気付いた。


というより、正直なところ、向き合わないように避けてきた事柄であった。


「分かってる?今日が、この部屋で俺とキョンが二人きりになった初めての日だって」


「あー、言われてみれば、そうかも」


「そうかもじゃないよ」


斉藤は、ワンルームの隅にある冷蔵庫から缶ビールを二本出してきた。


すっとソファの隣に腰を降ろすと、それを杏子に渡した。


 ― こうやって、隣に並んだことすらなかったな…。


プルタブを開けると、プシュッと良い音がした。


チラッと斉藤に目をやると、ゴクゴクと喉仏が動いている。


顎のラインから首筋にかけてクッキリとした線が見える。


着古したトレーナーを捲り上げたその腕は、たくましかった。


 ― ああ、男の人なんだな。


杏子は改めてそう思った。


その瞬間、杏子の中で急に手足がキュッと縮むような緊張感が走った。


 ― 男の人…。


ローテーブルに缶ビールを置く。


斉藤の手が杏子の肩にまわった。


 ― 違う。


引き寄せて、斉藤の顔が近づいた。


 ― 違う。


「だめ…」


杏子は身をよじった。


「そういうことするんだったら、私、帰る」


「キョン!?」


杏子は上着と鞄を抱えると、玄関に急いだ。


「ちょ、待てよ」


斉藤が追いかけてくる。


「どうなの?それって。俺たち、キスも出来ないの?」


杏子の後姿に投げつけてくる斉藤の疑問。


もっともだと思う。


早く出て行きたいのに、ブーツを履くのに手間取った。


「ねえ、本当に帰るの?俺、プレゼントも用意したんだよ」


斉藤が肩に手をやり、杏子を振り向かせようとするが、頑として受け付けなかった。


クリスマスプレゼント。


杏子の鞄の中にも、斉藤のために用意したプレゼントが入っていた。


 ― 毅と一緒に選んだプレゼント…。


杏子がようやく振り返った。


表情は固い。


「別れる」


「は?」


「プレゼントもいらない。私も渡さないから、そっちも勝手に処分して」


「おまっ、ちょっと…、ふざけるのもいい加減に」


バタンッ。


杏子は後ろ手に玄関のドアを閉めた。


息が上がっている。


吐く息がすぐさま白くなった。


「もう…、嘘はつけない」


声にならない声で呟いた。


 ― 斉藤君は…、毅じゃない…。




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* 第十壱話 * ~杏子の場合~ ⑨

帰宅した杏子は、有野宛にファックスを書いた。


芳野に告白らしきことをされたこと。


だけど、斉藤と付き合うことになったこと。


面白おかしく、自虐的ギャグも織り交ぜながら。


まだ有野は飲み会の最中だろう。


目にするのは早くて明日の朝か。


有野は、これを知ったらどう思うだろう。


少しは惜しいと感じてくれるのだろうか。


杏子は、ちょっぴり変な期待をしつつ、送信ボタンを押した。






有野から電話があったのは、翌日の夕方だった。


「なになに、斉藤君と付き合うんだって?」


第一声は冷やかしモードいっぱいであったが、すぐに真面目な声色に変わった。


「斉藤君は束縛するタイプかな。俺とこれからも二人で会っても大丈夫な人なんだろうか?」


杏子は一瞬耳を疑った。


「俺、嫌なんだよね」


「な、何が?」


「彼氏が出来たからって急に付き合いが疎かになるの。友達なのに何で?って思う」


有野らしい意見だと思った。


自分が楽しければ、相手の都合などお構いなしなんだから。


「大丈夫だと思うけどねー。毅は、今までどおり私と接してくれて問題ないでしょ」


杏子も自分に都合良く応えた。


「あそ。じゃ、これから会おうぜ」


「え?今から?」


「そう。車出せる?今から電話して、二人で斉藤君ち遊びに行こう」


「はあ?」






一時間後、杏子は有野のアパートの前にいた。


杏子の家の車に有野が乗り込み、そして一路、斉藤の家に向かう。


「♪カニ、たっべいこぉ~」


助手席の有野はご機嫌だった。


わかっている。


何かがおかしいのはわかっている。


だけど、杏子にとって、有野の言うことは絶対なのだった。


彼氏が出来ても、有野と一緒にいられる。


正直、こんなに好都合なことはなかった。




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* 第十壱話 * ~杏子の場合~ ⑧

「キョンちゃん!」


「斉藤君…、なんで」


斉藤は立ち尽くしていた杏子のもとへ小走りで追いついた。


「芳野さんと何かあった?」


杏子は黙ってかぶりを振って、駅に向かって歩みを進めた。


斉藤もそれに続く。


「今ね、“キョンは、斉藤が好きなんだとよ”って、芳野さんに無理矢理店追い出されてきたんだ」


「ええっ?」


思わず振り返る。


「サークルの皆に大発表してたよ」


杏子はガックリとうなだれた。


 ― ということは、毅もそれ聞いたんだ…。


二人は黙々と歩いた。


駅への階段に差し掛かろうという時、ふいに斉藤が立ち止まって、言った。


「いいよ、俺」


「え?何が?」


「付き合っても」


「へっ?」


杏子は素っ頓狂な声を上げて、階段をひとつ踏み外した。


慌てて、斉藤が支える。


二人とも耳まで真っ赤になった。


「俺のこといいと思ってくれてるなら、付き合ってもいいよ」


どうにも上から目線なのが気にはなったが、杏子も勢いで返事をした。


「じゃ、そうしよっか」


そういうつもりはなかった。


好意は持っていたけど。


あくまでも、杏子が好きなのは、振り向いて欲しいのは有野毅で。


斉藤でも、芳野でもなかった。


だけど、斉藤とだったら、付き合ってみてもいいかなと思う。


なんとなく、変な始まり方ではあったけど。


ホームに着いて、斉藤がフフっと笑った。


「じゃ、そういうことで、よろしく」


「うん…、よろしく」


杏子も笑った。


「でも、今日は…、このまま帰るね」


独りになりたかった杏子は、斉藤と逆の列車に乗った。


見送る斉藤の顔が、窓の外に流れ行く景色と混ざって、過ぎていった。



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* 第十壱話 * ~杏子の場合~ ⑦

二人は店を出、飲み屋の喧騒から少し離れた。


「…浩太さん、もう戻って」


芳野が杏子を見た。


「私、今日はこのまま帰るよ。あのー、斉藤君に帰ったって伝えておいてもらえます?」


芳野の眼鏡の奥が少し曇った気がした。


「斉藤に?」


「うん…、今日、家泊めてもらう予定だったんで」


 カンッ…、カン。


芳野は転がっていた空き缶を思い切り蹴った。


甲高い音が響く。


それは、飛んだ先で電柱にぶつかって、コロコロと転がった。


杏子は少し殺気を感じた。


「あのさー」


芳野の口調は明らかに怒気を含んでいた。


「好きになるかもってさー、もう斉藤んちに泊まるとかってなってんの、どういうこと?」


「え?浩太さん?」


芳野が杏子の腕を掴んで引っ張って、向かい合わせになる。


「俺さ、ずっと我慢してきたんだけど、ちょっと言わせて」


杏子が怯えた目で見つめる。


「キョンが、有野のことを好きなのはしょうがないよ。あんまり良い影響ではないにしろ、アイツにはキョンが必要なところもあるし」


掴まれたままの腕に力が入る。


「俺、報われないキョンのことずっと見てきた」


「…はい」


「有野とキョンをずっと…。お前がどれだけ辛い片想いしてるかずっと見てきたよ」


パッと腕を離された、その瞬間、杏子は芳野に遠くに突き放されたような錯覚があった。


「…俺の片想いにも気付けよ」


芳野は眼鏡を外すと、その手でぐいと顔をぬぐった。


「なんで?…なんで、俺をスルーして、斉藤んとこ行くんだよ…。なんで、無理に斉藤を好きになる努力してんだよ…」


「浩…?」


「安っぽいことしてんじゃねーぞ!」


そう強く言い放った芳野は、くるりと後ろを向いて、店に戻っていった。


ポツンと取り残された杏子の頭は混乱するばかりだった。


芳野の気持ちは知らないでもなかった。


だが、ずっと見守ってくれているお兄さんとして接してきた。


気付かぬフリをしてきた。


それ以上の気持ちを受け止める自信も度量もなかったし、杏子は有野のことで精一杯だったから。


ただ、何かが芳野のスイッチに触れたらしい。


均衡が破られてしまった。


 ― だけど、浩太さんの気持ちには応えられない…。


杏子はギュッと拳を握って、俯いた。


「キョンちゃん!」


少し離れたところから声がして、杏子はハッと我に返る。


異変を察知したらしい斉藤が店から出てきたのだった。




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* 第十壱話 * ~杏子の場合~ ⑥

「斉藤…くん?手…」


杏子の手を握っていた斉藤の手がパッと開いた。


「ごめん」


二人は、サークルの輪を少し離れて話をした。


「いつも…、こんな感じなの?」


斉藤が杏子に尋ねた。


「なんか、辛そう。見てて痛々しい。キョンちゃんがいじられキャラにも思えないし」


「はは…。痛い?私?」


「いや、そうじゃなくて。有野君がひどすぎるし、周りの皆もフォローしなさすぎっていうか」


「そんなことないよ。好きでこうしてるようなもんだし」


「辛かったら、言いなよ。俺でよければ力になるよ」


斉藤は優しい言葉を掛けてくれた。


日常、有野の毒舌にさらされている杏子の心にその言葉はスッと入ってきた。


なんだか、心のサプリのような、そんな効き目だった。







紅葉狩りから程なくして、サークルの飲み会が開かれた。


「飲み会のあと、いつも帰れなくなるから、斉藤君ちに行ってもいいかな」


「ああ、構わないよ」


あの日から、杏子は何かあると斉藤に話をしてきた。


電話だったり、ファックスだったり、バイトの休憩中だったり。


二人の距離は急速に近づいた。


同時に、有野と斉藤の縁も深まり、サークルはもちろん、3人で遊ぶことも増えた。


有野への片想いに疲れた杏子には、格好の癒しの存在だった。


すっかり斉藤の厚意に甘えていた。


居酒屋の座敷に居座ったサークルの面々は、もうすっかり出来上がって、大いに盛り上がっている。


杏子は、飲み会の席で隣になった芳野にポロリと漏らした。


「私…、斉藤君のこと好きになれるかもしれない…」


「え?」


芳野は驚いた表情で、杏子の顔をまじまじと眺めた。


「本気で言ってんの?」


「んー、このままいけばね。なんか、心変わりできそうな気がしてる」


杏子がグイとグラスをあおる。


「あんだけ有野に振り回されてるからな…、わかるけど。でも、単に楽だからじゃないの?」


「どうだろ」


グラスを置くと同時に、ふっと杏子の視線が有野に注いだ。


有野は、サークルの女の子にふざけて抱きついて、腰を振りながら嬌声を上げていた。


ぐにゃりと杏子の表情が歪んで、目が泳いだ。


芳野が気の毒そうな顔をした。


「ちょっと席外すか」


そう促すと、芳野は杏子と共に席を立ち、店の外に向かった。




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* 第十壱話 * ~杏子の場合~ ⑤

天高く馬肥ゆる秋。


青空に、滝に、湖に、映える紅葉。


紅葉狩りにはうってつけの好天に恵まれ、サークルのメンバーたちも上機嫌だった。


駅前の蕎麦屋で遅い昼食をとっていると、杏子に芳野が話しかけてきた。


わざとなのか、温かいお蕎麦の湯気で曇った眼鏡を拭き拭き、重たくならないように。


「大丈夫か?お前、無理してるだろ」


芳野は、杏子の有野への気持ちをよく知っている。


いつも相談しているからだ。


「え?平気よ。今日は、いつもより楽しいくらい。やっぱ斉藤くんいるからかな」


「随分、気が合うみたいじゃない」


「気が合うって感じではないけどー、うん、まあ、連れてきてくれて浩太さんありがとって感じかな」


斉藤の存在のお陰で、有野との確執も穏やかに済ませられていた。


確かに無理はしていたが。


でも、気が立っている時の有野には手が付けられないのだ。


有野は杏子には他の人より甘えてくる。


だから、些細な言葉の刃が真剣なのだ。


油断すると心を切られてしまう。


だけど、そんな脆い有野を一番分かってあげたくて、そばにいてあげたいと願う杏子もまた真剣なのだった。


お互いが寄り添いたくても、近づくと切り合ってしまう。


傷つくことが分かってても、杏子は有野を見捨てられなかった。


それだけ心の闇が深いのを知っていたから。


世間では、それを【共依存】と呼ぶことなど、杏子は知る由もなかったが。


 バッシーン。


「ッたっ!!」


有野が突然杏子の頭を後ろから持っていたカバンではたいた。


「こら、毅っ!」


芳野が見かねて突っ込む。


「のんびり食ってんじゃねえよ。行くぞ」


「終わってるわよ。痛いなー」


キャハハと有野は笑った。


「欲求不満女が男つかまえて舞い上がってんじゃねえぞー」


「どっちが欲求不満だ、バカ」


大丈夫?と気遣う斉藤に杏子はすかさずフォローを入れる。


「気にしないで。毅、寂しがりやなのよ。ごめんね、変な風に言われちゃって」


いや、と斉藤は先に店を出て行った有野の背中を見送った。


自然と斉藤が杏子の手を握っていた。


 ― ちょっ…。


ドキン…。


杏子は、振り払うことも出来ず、俯いてしまう。


「行こう」


斉藤は、強引に杏子を引っ張って店を出た。


 ― 私、同情されちゃったかな…。




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* 第十壱話 * ~杏子の場合~ ④

有野と斉藤は、既に親交を深めているようだった。


昨日の有野との喧嘩で、少し気まずい杏子は有野と同じスペーシアの個室に乗ったものの、黙っていた。


「キョンちゃんは、あんまり喋らないんだね」


斉藤に話しかけられて、杏子は曖昧に笑顔を返した。


「こいつ、いつもこんな感じ。ブスっとしてるんだよ。本当にブスだけど」


有野が混ぜっ返す。


「そんなことありませんー。毅がいるから喋ってないだけですー」


「お前なー、みんなで遊びに来てんのに、個人的感情持ちこんでんじゃねえよ」


「はあ?昨日ワケ分かんない事言って、喧嘩吹っかけてきたの自分でしょうよ」


「うるせ。お前がそんなだからだろ」


「あーあーあー。やっぱり来るんじゃなかった。もっと思い切って寝坊すりゃ良かった!」


有野と杏子のやりとりに斉藤はポカンとするばかり。


他のメンツはニヤニヤしているだけ。


「斉藤くん、大丈夫。こいつら、いつもこうだから。ほら、気にせず飲もうぜ」


芳野がとりなした。


有野がホッとした表情で、渡された缶ビールを受け取った。


杏子は“斉藤は大人だな”と思った。


 ― 外見もまずまずだし。賢そうだし。仲良くしとこ。


杏子は、そう考えて、有野をわざと押し退け、斉藤の隣に座った。


「斉藤くん、カンパーイ」


有野は含んだ笑みで杏子を見た。


「何よ」


「いーえー、いいんじゃなーい?ラブラブでー」


「毅、ほんっとムカつく!」


憎たらしい言い方で杏子を茶化す有野の相手をするのはやめた。


今日は、そのお言葉通り、斉藤と一日過ごしてやろうじゃないか。


心の奥がチクリと痛みながら、憎まれ口しか叩けない杏子も有野も、自分自身の気持ちが繊細過ぎて、持て余していたのだった。


言い合ってばかりで最後に傷つくのなら、今日はいつもと変えて、相手をするのはやめよう。


有野への恋心がなくなって、気持ちが斉藤に移ろえば、それはそれで大変望ましいことなのだ。


「斉藤くん、あとで一緒にボート乗ろう」


杏子は思い切って斉藤を誘った。


「いいけど…、有野くんはいいの?」


「大丈夫よー。関係ないからー」


大袈裟な笑顔で応える。


「ひゅーひゅー」


周りの皆がすかさず囃し立てる。


杏子は、すっと斉藤の腕をとって、宣言をした。


「斉藤くんはキョンがお預かりいたしマース」


ドッと席が沸く。


向かいの席にいた芳野は、そんな杏子を複雑な思いで見ていた。


誰にもわからないように、眼鏡の奥から…。




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* 第十壱話 * ~杏子の場合~ ③

ちょうど二ヶ月前、杏子の参加しているイベントサークルの皆十数名で、紅葉狩りに行った。


特急スペーシアの個室で向かった先は日光。


いろは坂。


華厳の滝。


中禅寺湖。


あの日の出会いによって、杏子の運命は少し変わった。






杏子はサークル内で有名になってしまうほど、有野に片想いしていた。


有野も気持ちには気付いていたようだが、一切それに対しては我関せず。


恋愛事情には当たらず触らずという姿勢を貫いていた。


そのくせ、杏子とは馬が合うらしく、どうしても一緒にいることが多くなる。


杏子にとっては蛇の生殺しもいいところだった。


ただ、有野は少し子供染みたところがあって、気に食わないことがあるとすぐに吹っかけてくる。


そのせいで、杏子と有野の間には喧嘩が絶えなかった。


なんだかんだと気が合うのである。


たとえ、それが負の力だとしても…。


そして、この日の紅葉狩りの前夜にも、電話口で二人は大喧嘩をしたばかりだった。


もちろん、その喧嘩を引きずっての参加である。


しかも、喧嘩のせいで紅葉狩りなどどうでもよくなった杏子は、まんまと寝坊した。


今朝は、サークルの名誉部長である芳野に電話でたたき起こされたのだ。


お陰で、浅草でスペーシアに乗り損ね、大急ぎで北千住まで母親に車で送ってもらった。


文字通りギリギリセーフで杏子はスペーシアに間に合ったのだった。


「おー、おはよう。よく間に合ったな」


芳野がワシワシと杏子の頭を撫でた。


「浩太さん。ごめんなさい…。つい寝坊しちゃって…」


チラリと有野を見たが、有野はそ知らぬ顔で車窓の外を眺めていた。


「まー、お前はネタに事欠かねえな。一人ひとネタのお約束は達成したな」


みんながドッと笑った。


このサークルのメンバーは、大体同じ大学だったり、バイトだったり、友達が引っ張ってきたり、特に制限はなく、母体の幅は広い。


芳野は、杏子と同じ文学部の先輩であるが、とっくに卒業した4歳も上の大先輩である。


ただ、杏子と芳野は池袋にある屋内レジャー施設でバイトをしているのだが、そこでは同期だ。


「キョン、こいつ、先週から遅番に入った斉藤」


芳野が突然紹介したその人が、斉藤忠則だった。


「工学部の斉藤です。よろしく」


「え?遅番て?」


「うん、俺のアトラクの遅に入ってきてさ、聞いたら大学も一緒っていうから、今日のにも誘ってみた」


さわやかな笑顔の斉藤はにこやかに杏子に向かって会釈した。


「そう…。よろしく。木村杏子です」


同じ大学の工学部ということだったが、文学部とはキャンパスが違うので、同い年らしいが全く面識はなかった。


ちなみに、有野は隣にある音楽の専門学校の学生で、杏子の1歳下。







杏子は、その日、何かの意図を感じていた。


サークル内みんなで担いで、斉藤と杏子をくっつけようという動きがある。


それには、当然、有野の意向が大きく関わっていることも、杏子は勘付いていた。



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* 第十壱話 * ~杏子の場合~ ②

母親の絶叫を聞いて、1階にいた父親は異変を感じていたようだ。


 TREEEE,TREEEE…


電話に出たらしい父は、なんとか理由をつけて切り、1階から駆け上がってきた。


自室に戻った杏子と母親の姿を見た父親は絶句した。


「お父さん、見てよ、この手!杏子ったら、バカな真似を…」


母親は怒りながら、杏子の左手首の手当てをした。


そして冷たい口調で言い放つ。


「みっともないから、病院なんか行かせないからね」


父親が杏子を抱え、そっと背中を撫でた。


「そんな傷、ほっといてもくっつくんだから…」


母親はそのまま階下へ降りていった。


杏子はボロボロと涙を流した。


泣けなかったのに、父親の胸を借りて、やっと泣くことができた。


「何やってんだ?辛いことがあったならいつでも相談しなさい」


父親の温かい手が杏子の頭をポンポンとすると、杏子の中でたまらなく大きな罪悪感が沸き上がった。


「…ごめんなさい」


「お前、芳野さんて知ってるか?今、電話があったけど…」


芳野浩太。


同じバイト先であり、サークルの先輩だ。


おそらく、有野毅から芳野へ連絡が行ったのだろう。


杏子は、知っていると頷いた。


「娘さんを出してくださいって偉い剣幕だったけど」


娘の部屋に長居するのに気が引けたのか、父親はゆっくりと立ち上がった。


「お前からちゃんと連絡しろよ。心配してたぞ」


そう言って、部屋を出て行こうとして、もう一度ドアを開けた。


「一人で大丈夫か?もうしないよな?」


父親はそう確認し、出て行った。


一人になった杏子は、ベッドに仰向けになり、呆然と包帯でぐるぐる巻きの左手首を眺めた。


 ― どうしよう…。死ねなかった…。


また大粒の涙がこみ上げてくる。


 ― 毅に…、許してもらえない…。


頭の中は他の死ぬ方法でいっぱいだった。


やっぱり飛び降りるべきだったか。


それとも…。


 ジ・ジーッ。


杏子は突然の音にビクっと飛び起きた。


部屋のファックスが受信された。


数日前、クリスマスイブの日に別れた斉藤忠則からだった。


杏子は、吐き出される紙を見つめた。


すべて繋がっている。


有野…、芳野…、斉藤…。


彼らは繋がっている。


『キョン、大丈夫か?何かあったんなら、電話しろよ。  斉藤。』


杏子は、斉藤に電話しようと思った。



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* 第十壱話 * ~杏子の場合~ ①

自宅の二階の洗面所。


ジャージャーと水道から水を出しながら、正面の鏡を見た。


右手には、眉毛剃り用の剃刀。


木村杏子は、自分の左手首を勢いの良い水流にあてた。


「…できない」


思わず、床に両膝をつく。


水道を一旦止めた。


膝をついたまま、洗面台に額を押し付ける。


 ―― 死ななきゃいけないのに。


杏子の鼓動は早まる。


数分前に、自宅にあった置き薬をありったけ飲んだ。


風邪薬。


朦朧とすらしない。


弱い薬しか家にはない。


どうやったら確実に死ねるのかもよく分かっていない。


とりあえず、杏子にあった知識は、薬を大量に飲むことと、手首を切ることしかなかった。


落ち着いた赤いセーターと細身のジーンズ。


そんなありふれた普段着。


さっきまで、年の瀬の大掃除をしていた。


自分が死んでから万が一見られると困るようなものは全て処分した。


両親と共に夕食もとった。


悟られてはいけないと思ったから、いつもどおりを装った。


偶然にも、杏子の大好物である母親特製のおでんだった。


男友達である有野毅には、さっきファックスを送った。


死ぬことをほのめかした最後の手紙だった。


 ―― もう、明日が来るのが怖いの…。


杏子の視界が涙で少し滲んだ。


洗面所の前で、手首に刃を当てては放すを繰り返していた。


階下から母親の足音が聞こえてきた。


トントントン…。


階段を上がってくる。


杏子は焦った。


もうこのまま自室に戻るには遅すぎる。


バレる。


今しかない。


蛇口をひねる。


母親の足音が二階に到達した。


 サクッ…


杏子は思い切って、強く左手首に刃をひいた。


 カツン…ッ


右手から離れた剃刀は水流に押され、そのまま排水溝の小さな穴に吸い込まれてしまった。


「杏子っ!?」


母親の声が耳の奥に聴こえた。


「あんた、何やってんの!!!」


バタバタと母親が水道を止め、そばにかかっていたタオルで杏子の腕をとる。


杏子の腰は抜け、グニャリと経っていられなくなり、顔は涙でグチャグチャになった。


 TREEEE,TREEEE…


緊張が解けて、遠くなる意識の先に自宅の電話の呼び出し音が響いていた。



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あとがき解説 その2

言い訳第二弾です。 


第六話 「マリアの場合」

 八木マリア(30)

香月自身、不倫・浮気をされるのは何よりも嫌なので、ちょっと力入りました。
される奥さん(彼女)にも原因があるとか言われるのが一番ムカつくんで、早苗をそういう役割に。
だから、この話においては、本来の敵だった久美より、早苗のが悪です。

実際、いたんですよ。
仲良しの友達に対して、不倫を勧めた子が。
香月は、なんでもかんでも肯定するだけが、友情ではないと思うのです。
本気で止めてあげなきゃいけない時もある一例じゃないんですかねえ。

そんな思いから、書いたマリアの場合でした。 



第七話 「久美の場合」

 宮尾久美(24)

プロ意識を持ったキャバ嬢ばかりじゃないですよと。
今、人気の職業なんですよね?
着飾れて、楽しくお話して、お酒が飲めて、お金がもらえて、そういうこと?
大学生とかのバイトが普通にキャバクラって…。
足を踏み入れることが簡単な世界だからこそ、久美のような迷い子がその華やかな落し穴に陥りやすいんじゃないかなあ。
単に、考えが甘い。
それに尽きる。

ここで、正和に気付いた方は、なかなか通ですね。 



第八話 「和人の場合」

 伊達和人(17)

初の男性目線です。
初々しさを心がけてみました。
最後、麻弥子に気持ちを伝えられたのかどうかは、ご想像にお任せします。
…が!
数年後の和人が、キャバクラのマネージャーになっているあたり、人生どう転ぶかわかりません(笑)。 



第九話 「妙子の場合」

 大隈妙子(23)

見かけ華やかな職業は合コンが多そう。
何もかもをステイタスで選びそう。
もっとガチガチに上昇思考な女性にしようかと思ってたんですが、案外簡単に落ちちゃいました。

書いてて最も恥ずかしいシーンだった、ソウナカンマですが、この手を使った男を知っています(爆)。 



第十話 「武彦の場合」

 久保武彦(26)

単純に、妙子のその後が書きたくなって続けました。
あえての独白形式で。
果たして武彦は悪いのか、惚れた女が悪いのか。
こんな気持ちの行き違いはよくあることのような気がします~。



さあ、この恋路も十話にまでなってしまいました。
次は誰の場合にしようかなあ。
そろそろネタも尽きるので、困るなあ。
あの人はどうなったんですかとか、そういうメッセージでもいただけると次の創作のヒントになるかもしれません。


いつも駄文にお付き合いくださり、ありがとうございます。
皆様の訪問が、大変励みになっています。
今後ともよろしくお願いしま~す☆ヽ(▽⌒*)


香月 瞬

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* 第十話 * ~武彦の場合~ ⑥終

切り替えが早い男と呼んでくれればいい。


言っておくが、これでも俺は、女の付き合いを同時進行はしない。


それでも、当時、この切り替えが最後になるとは気付いてなかったが。


つまり、妙子のあと、再会した高飛車女。


これが、俺の生涯の伴侶となるわけだ。


妙子と出会ったから、こういう運びになったのだと思うと、感慨深いよな。


運命ってやつは、本当に分からないよ。


妻になる女は、相変わらず高飛車で、ワガママで、だけどやっぱり容姿だけは端麗で…。


顔を合わせてすぐは、昔、俺に付き合ってくれと言ったことを恥じているようだった。


プライドが許さなかったんだろうな。


でも、結局は俺に心を許した。


かわいいヤツだよ。







だけど、妙子はとことん堕ちて行ったな。


電話は変わらず毎日来た。


一度、うっかり出ちまったことがある。


会議中に、電源を切るのを忘れたために出ざるを得なかった。


「もしもし、今、大丈夫ですか?」


妙子はそう言った。


「今、会議中だから」


ひと言そう伝え、通話を切ると、電源を落とした。


我ながら、ハンパなく冷たかったと思う。


でも、しょうがないだろう。


上司もいる会議の席で、恋愛ごとを話せるほど、俺の肝も据わっちゃいない。


この日を境に、時々入っているメッセージはだんだんやばいものになっていった。


「今日、うちのデパートの前を通りませんでしたか?似ている後姿を見かけて、勤務中だったのに追いかけちゃいました」


 ―― 行ってねえよ。


「ずっと友達だと思っていた男性から告白されました。断って、このまま久保さんを待っていていいですか?久保さんが決めてくれませんか」


 ―― 妄想かよ。


「今度、車買おうかと思うんです。久保さんの乗ってるレグナムって、女の子でも乗りこなせるかしら」


 ―― 知らねえ。


「同僚と旅行に来ています。久保さんのいる局のクルーがいましたよ。久保さんもいる気がして、一生懸命探してみました。きっと一緒にお仕事されている方々ですよね」


 ―― もういい加減に忘れてくれ。


「今日、駅で久保さんと同じ香りがしたんで、思わず振り返っちゃいました。残念ながら、あなたではなかったけれど…。香水売り場で調べてみたら、エゴイストプラチナムだったんですね。当たりでしょ?」


 ―― ……。


うんざりだったし、さすがに怖かった。


そうだ。


ちょうど同じ頃、大学のときの部活の先輩から、合コンの誘いがあった。


聞けば、妙子の勤めるデパートのコたちとのコンパだという。


俺は思わず、「妙ちゃん、来るんですか?」と聞いてしまった。


あっち側の幹事らしい。


冗談じゃないと断った。


今、会ったら、刺されそうだ。


先輩は、「妙ちゃんがいるなら久保は参加しない」とハッキリと伝えてくれたらしい。


それから、妙子からの連絡は来なくなったんだった。





 *





それ以来の電話だったから。


妙子が元気そうで良かった。


というか、生きててくれて良かった。


そのまま彼氏とやらと幸せになってくれ。


俺も、幸せになるさ。


煙草を終えると、俺はまた携帯を手にする。


続きだ。


 ―― カ、サ、…坂本っと。


「もしもし?久保だけどー、久しぶりー」





 -終-



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* 第十話 * ~武彦の場合~ ⑤

「ゲホ、ゲホッ」


「おはよーございまーす、ちょっとぉ、久保さん、大丈夫っすかぁ?」


あのあと品川から会社に直行した俺。


どうやら前の晩、雨に打たれたせいか、裸で一晩過ごしたせいか、咳が止まらない。


生放送の担当で、スタジオにいなきゃいけない。


なるべく隅っこで、タレントはもちろん、音声さんやマイクに近づかないようにした。


みるみる具合が悪くなる。


最初は立っていたが、ちょっと辛くなってきたのでディレクターチェアを引っ張り出した。


本番が始まって数分。


ピピピピピ。


胸ポケットの中の携帯電話がけたたましく鳴った。


「やべ」


ボーッとしていて、サイレントモードにし忘れていた。


慌てて、携帯を止める。


俺としたことが、なんて初歩的なミスだ。


チラっと携帯画面を見ると【大隈妙子】と出ていた。


「ちっ…」


思わず、舌打ちしてしまった。


無視して、本番に集中する。


背中からゾクゾクと寒気が襲ってきた。


反面、額からは脂汗が流れ行く。


ADが気付いて、声をかけて来た。


「久保さん、顔色悪いですよ。休まれた方が…」


俺は、ADを手で制して、スタジオの様子に集中した。


椅子に腰掛けたまま、前のめりに腿に肘をついた体勢で、じっと司会の男性アナウンサーと女性タレントのやりとりを眺めていた。


 ―― あと20分で終わる…。


さっきから、何度も俺の胸ポケットが緑色に光っていた。


集中。


集中だ。


集中しろ。


「はい、オッケーでーす」


スタジオ内に声が響く。


「おーっし、お疲れ」


スタジオに入ってきたプロデューサーが俺の背を叩いた。


「!?」


汗がぐっしょりと染みた背中にプロデューサーがビックリしたように手を引いた。


「おい、…おい、久保!」


プロデューサーの声が耳の奥で響いていた。


俺の視界は反転した。





 *





そのまま倒れた俺は、数日、自宅療養となった。


過労で身体が弱っていた上に性質の悪い風邪をひいた。


喉は真っ赤に肥大し、声が出なくなった俺は休むしかなかった。


住まいは横浜だったが、実家のある藤沢に帰った。


たまにゆっくりするのも悪くない。


こんなに連続で会社を休むのは入社以来初めてのことだった。


それほど、テレビの世界は忙しい。


スタジオ収録、ロケハン、取材、企画会議、反省会、打ち上げ、編集…。


熱も下がり、明日から出勤しようという日。


俺は久々に海岸を走った。


昔は、行き詰ると海に来て、筋トレをしたり、ひたすら砂の上を走ったものだ。


不規則な生活で、かなり身体には肉がついてきていた。


傍目に動きは悪くないが、自分で全身が重く感じる。


例えるなら、プロレスラーの橋本真也のような体型になっている。


「いかんな…」


病み上がりでもあったし、少し走っただけで、息が上がる。


俺は、思い切って、砂浜に寝転んだ。


仰向けになって、暮れかけている空を眺める。


「疫病神…」


心が弱気になっていたのか、そんなことをつぶやいて、妙子を思った。


倒れた日からもずっと一日一回は携帯が鳴る。


電話には出ていない。


たまに留守番電話にメッセージが入っていた。


 …今度、いつ会えますか?


俺は、ふと妙子に話した女のことを思い出した。


昔、高飛車な態度に腹が立って、水をぶっかけた、あの女だ。


 ―― あれくらい強気でいてほしいよな。


何を思ったか俺はその女に電話をかけ、数分後には会う約束を取り付けていた。



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* 第十話 * ~武彦の場合~ ④

あの夜の俺のことを一言で表わすとしたら、それはやっぱり“虫の居所が悪かった”、だろうな。


シングルの部屋に入った俺たちは、たったひとつしかない狭いベッドの上で一戦交えた。


妙子は、俺のことが怖かったんじゃないかな。


それは怒られるから怖いとか、そんな単純なことじゃなくて。


いや、断っておくが、別に俺は怒ってはいなかったし。


そうじゃなくて、完全に恋愛の悪い面が顕れちゃってたっていうのかな。


俺にそっぽを向かれるのが怖かったんだろう。


繋ぎ止める為に必死だった。


自分からフェラをする女?つまり、俺のご機嫌を伺う女。


俺、そういうのダメ。


本当に愛する彼女にそんなことさせたくねえよ。


だから、よせよって途中で止めた。


俺を気持ち良くなんかさせなくていいんだ。


妙子、お前が俺の腕の中で、俺の愛撫で感じていてくれれば、それだけで良かったんだ。


俺はそういう女を望んではいないんだ。


結局、伝わらなかったみたいだけど。


目が怯えていたもんな。


多分、よせって言ったの、ヘタクソだからやめてくれって意味で受け止めたんじゃないかな、あの子。


どうしてそんなに自信なくなっちゃったんだ?


なんで、そんな風俗嬢みたいなことするんだ?


初めて出会って、恋をして、だけど遊びなんだろうと妙子が自分なりに結論づけていた俺とのことを、一ヵ月後に俺自身が蒸し返した。


付き合ってもいいかなって思ってたからこそ、連絡したのは嘘じゃない。


だけど、せっかくの再会のこの日に天気はこれだわ、相手は弱気に変わっちゃってるわ、なんつうか闘志湧かないよね。


やる気も殺がれるさ。


あの子、本当の恋愛をしたことなかったんじゃないかな、きっと…。


もっと割り切って、セフレとか?


そんな風に言ってあげれば良かったのかな。


でも、そういうつもりじゃなかったっていうか、そういう浅ましい表現はしたくないというか。


普通、セフレなんか望まないだろう。


俺のプライドの問題かもしれないけど。


とにかく、妙子とこの日一晩寝て、違うってことだけは自分の中でハッキリしたんだよ。


あの子に、俺は今後も惚れることはない。


俺はもっと生意気な女でいて欲しかったんだ。


媚びるな、そんな目で俺を見るな。


どこでそんな風に堕ちてしまったんだ。


朝までの残りの夜、俺はさっさと眠ってしまった。


真夜中に気付いたよ。


隣で妙子が膝を抱えて、泣いていたこと…。


でも、そんなの知ったこっちゃない。


ガーガーと鼾をかいて寝てやったよ。


下手したら、屁もこいたかもしれないな。


俺のことが好き過ぎて、俺の一挙手一投足が気になって、言いなりになるような女は好みじゃないから。


今思えば、冷た過ぎたかなって反省するけど、なんにせよ、ほら、虫の居所が悪かったんで。


これで、ジ・エンド。


朝、目が覚めて、顔色の悪い妙子が、屈んで帰り支度をしていた。


ベットに腰を降ろして、煙草をふかしていた俺は何を思ったかこう言った。


「また、今度、食事でも行こう…ね」


そう言いながら、言っている途中で可笑しくなって笑ってしまった。


そんなこと、これっぽっちも思っていないのに、何言ってんだよ、俺の口は。


妙子も泣きそうな顔で微笑んで、小さい溜息をついた。


まだ残っていた煙草を灰皿に押し付けると、俺は立ち上がった。


「さ、行くか」


俺はカードキーを片手に、妙子に言った。


「ここシングルだからさ、二人で泊まったってバレると困るから、俺ひとりでフロント行くから」


妙子は少し驚いた顔で俺を見た。


「このドア出たら、バイバイな」




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プロフィール

香月 瞬

Author:香月 瞬
短編小説を主に、様々な恋路を綴ってまいります。
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