FC2ブログ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

* 第二十話 * ~慶子の場合~ ⑧

慶子の背後で炊飯器の音がピーと鳴った。


「炊けた、炊けた」


蓋を開けて、濡らした杓文字で炊きたてのご飯をかき混ぜる。


この秋初の炊き込みご飯である。


安物ではあったが、マツタケの良い香りが慶子の鼻腔をくすぐり、思わず大きく深呼吸する。


 ―― それにしても、遅いなあ。


もう料理も粗方出来上がっている。


痺れを切らした慶子は、夫の携帯電話に掛けてみる。


自家用車で通勤しているので、普段、あまり運転しているだろう時間には掛けないのだが、仕方がない。


 …… 現在、電波の届かない場所にいるか、電源が入っていない為、かかりません。


無機質な声が、慶子にそう伝えてきた。


数回、掛けなおしたが、応答は同じだった。


時計の針は、八時半を指している。


もう一度、携帯に掛けようとした時、メールが着信した。


「ああ、ビックリした…」


呟いて、受信メールを開くと、輝元からの返信だった。


【交通事故。美園は即死。詩真は入院。電話する】


一気にズシンと気分が落ち込む、重大なメールだった。


 ―― 詩真と娘の美園ちゃんの二人が交通事故に遭ったのか…。


【電話する】の文字通り、慶子の携帯が鳴った。


「もしもし…?」


「うん、慶子…?」


久しぶりに聞く輝元の声だった。


「…参ったよ。死んじゃうなんて…」


憔悴しきった声に、不謹慎にも胸の奥がギュっとなる。


「車同士?相手はどうしてるの?」


「いや…、こっちは歩いてて。…それが、相手の車が大破しちゃってさ、運転してた人も病院運ばれた」


慶子は溜息を吐いた。


「あのさ、慶子。失礼承知で聞くんだけど」


「何?」


「旦那さん、帰ってきてるか?」


「え?どういうこと?」


聞き返すと同時に家の電話が鳴り響いた。


いつもより音がけたたましく感じて、慶子はビクッとする。


「なんか、電話掛かってきちゃった。また、後で」


携帯電話を切って、家の電話に向かった。


 ―― 旦那さん、帰ってきてるか?


どうして、こんなに胸騒ぎがするのだろう。


慶子は、一呼吸置いてから、受話器をとった。


「はい、山本でございます」

人気ブログランキングへ


 

* 第二十話 * ~慶子の場合~ ⑦

あれから、輝元からの返信はない。


湯呑みの中は、もう空っぽだった。


気付けば、付けっぱなしだったテレビは、夕方のニュースも終わり、賑やかなバラエティ番組が始まっていた。


 ―― いけない。随分、ボーッとしちゃったわ。


慶子は、慌てて台所に入る。


冷蔵庫から下拵えしてあった食材を取り出し、調理を始めようとして、手が止まった。


 ―― そういえば、珍しく帰り遅いなぁ。


いつもなら、七時ジャスト位に帰ってくる夫である。


「逃げてるな」と慶子は思う。


今夜は、月一回の夫婦が仲良くしなければいけない日なのだ。


不妊治療の一環である。


今日が慶子の排卵日であり、今夜が医師に指定された一番妊娠の可能性が高い日なのだ。


夫には、昼間、婦人科の帰りに携帯にメールをしてある。


だけど、夫婦の揉め事が起こるのも毎月のこの日だった。


慶子は、この日の為に、指定された期日きちんと薬を服用し、とんでもなく痛い注射にも耐えている。


仕事だって何日も早退したり、欠勤する場合もある。


チャンスはピンポイントでしかないのに、夫は慶子の願いを聞いてくれない。


「なんで人に言われて、セックスしないといけないの?義務みたいでさ、愛がねえよ」


そう言う夫の気持ちも分からないではないが、慶子に愛情を持っているのなら、月に一回くらい言うことを聞いてくれたって良さそうなものだ。


「お前、顔が必死で、萎えるんだよ」


そんなの必死で当たり前じゃないか。


この日の為に身を削って努力しているのは、妻である慶子だけなのだから。


今日は「いい感じに卵が育ってますね」と医師にもお墨付きをいただいた。


この日を逃す手はない。


ただ、今日に限っては、さっきの輝元からのメールにより気持ちが落ち込んだ。


昔の傷を思い出してしまい、性欲だのなんだの言っているのが虚しくなってくる。


よりによって、何故。


 ―― 詩真は、あんなに簡単に妊娠できたのに…。


そんな思いに囚われる。


慶子は振り切るように、ブルブルと頭を振ると、ガス台に火を点けた。


今夜は、スタミナ料理だ。

人気ブログランキングへ


* 第二十話 * ~慶子の場合~ ⑥

【アルバイト ハジメタヨ  テル】


【アス、ニュウセキ シマス  テル】


【オンナノコ ウマレタヨ 「ミソノ」 デス  テル】


別れてからも、輝元からは、慶子宛に事あるごとにショートメールが入った。


おめでたいお坊ちゃんだなと呆れつつも、新しく携帯電話を持つようになり、電話番号を変えるたびに教えてしまう自分がいる。


この二人が結婚してどんな生活を送っているのかを知りたかった。


幸せな様子が胸をズタズタに切り裂き、慶子を苦しめるのに、何故かそれを知りたかった。


未練?


遺恨?


あの時、プライドなんかかなぐり捨てて、キレていれば、こんなに自虐的な執着はしなかったのかもしれない。


輝元から聞いて、少し「それ見たことか」と思ったことがある。


詩真は、自分が慶子から輝元を奪取したせいで、浮気に敏感なんだそうだ。


自分のしでかしたことは自分に返ってくると、それくらいは認識しているのだろう。


詩真が浮気に怯えているということは、少しは過去を反省しているのかもしれない。


一度も謝罪の言葉を詩真から貰ったことはないけれど。


輝元は、詩真の嫉妬が激しくて、お互いに狂いそうだとこぼしていた。


どうやら実際、輝元がバイト先の女の子に現を抜かした時期があったようだ。


ちょうどその頃に、慶子の元に何回か無言電話が掛かってきていた。


詩真が、輝元の浮気相手が慶子なんじゃないかと邪推したといったところだろう。


その一件から、輝元の携帯電話は詩真に管理・監視されるようになり、慶子へのたまのメールもなくなった。


すったもんだした二人の様子に、慶子もようやく溜飲を下げたというか、スッキリした感はある。


同じ頃に、慶子は今の夫と出会い、結婚を決めた。


ようやく、過去の傷も癒え、慶子自身も輝元は運命の人ではなかったのだと心から思えるようになった。


彼らの幸せも気にならなくなり、夢に見ることもなくなった。


そして、癒しと幸せを感じられるようになり、長かった心の闇に一筋の光が差したのだ。


頑なだった心を優しく溶かしてくれる、とても温かい光。


輝元と慶子は、それぞれの出来事をキッカケに、ようやく疎遠になったのだった。


それなのに。


五年ぶりに近いメールが、まさか娘の死を知らせるものだったなんて、誰が想像するだろう。



人気ブログランキングへ


* 第二十話 * ~慶子の場合~ ⑤

慶子が帰宅後、家の電話が点滅、留守電に輝元から数件のメッセージが残っていた。


メッセージを聞かずに消去すると、輝元の携帯電話に掛け直した。


「もしもしっ?」


必死な声に、少し笑ってしまう。


「もういいよ、テル。詩真を幸せにしてあげて」


「違うんだ、慶子。俺…」


「何を言っても、言い訳でしょ?私、何よりも嘘吐かれていることが嫌いなのよ」


輝元が黙ってしまった。


「詩真が…、ずっとテルを好きだったのは本当みたいだから」


受話器の向こうで輝元のすすり泣く声が聞こえる。


「こんな別れ方するとは思わなかったし、一生…許せないとは思うけど。赤ちゃんには罪ないでしょ?」


涙が溢れてきたので、気付かれないようにそっと受話器を置いた。


 ―― 先に泣くなんて、ずるいよ…。


暫く泣き続け、ふと窓の外を見ると空が白み始めていた。


なにもかもを無くした夜が終わっていく。







数日後、輝元の父親から慶子のもとに連絡が入った。


彼の実家にて、輝元と慶子と両親の四名で話し合いがもたれた。


「あっちに子どもが出来てしまったからには、慶子には申し訳ないが、詩真と一緒になろうと思う」


輝元は自分に言い聞かせるように、キッパリそう言った。


長年に渡り、輝元と付き合ってきた慶子と親しくしてきた両親は、今回の事態にたいそう立腹していた。


「彼女に堕胎してもらうことも、認知だけして養育費を渡して母子だけで生活してもらうことも、いろいろ選択肢はあるのよ?」


輝元の母親は、慶子の手前もあったのか、そう提案したが、輝元は首を縦には振らなかった。


慶子もそれでいいと思った。


実家は運送業を営んでいて、地元では名士で通っている。


そこを継ぐつもりで、大学卒業後、実家で働いていた輝元は、その場で父親にクビを言い渡され、勘当された。


母親は泣きながら、慶子に頭を下げ続けた。


「お母さん、私は大丈夫ですから。ご縁がなかったんですよ」


慶子は、涙を堪えて、そう伝えた。


話し合いの結果、輝元は職を失い、実家への出入りを禁じられはしたものの、新しい家族の生活の場として、マンションを買い与えてもらうこととなった。


それ以外の援助は今後一切ないということで落ち着き、慶子には相応の慰謝料を渡してきた。


「ごめんなさいね。こんなことくらいしか出来ないけど…」


母親は慶子の手を両手で握って、言った。


慶子は一旦は固辞したが、両親の強い勧めもあり、有難く頂戴することにした。


人気ブログランキングへ


* 第二十話 * ~慶子の場合~ ④

自分の恋人と可愛がっていた後輩との間に新たな命が芽生えたと告げられたあの夜から、もう七年が過ぎる。


慶子が生きてきた人生の中で、あれほど驚愕し、激怒し、絶望し、慟哭した夜はない。


それでもあの時、なんとか落ち着きを取り戻し、最後に詩真に聞いた。


「テルに…、無理矢理に、そういう関係を迫られたワケではないのね?」


「違います…。私、輝元先輩を愛してます」


その言葉を聞いた慶子は、これまでの詩真との付き合いを全て否定されたことに気付き、自分は輝元に近づく為の道具だったに過ぎない事を悟ったのだった。


思えば、滑稽な関係だったのだ。


二人のデートに何故、第三者がくっついてくるのか。


最初のうち、輝元は嫌がっていたのに、慶子が「可愛い後輩なんだから、構わないじゃない」と彼女の非常識な行動を許していた。


それがこんな結果を招き、自分の甘さが情けなくて情けなくて、詩真を一方的に責めることも出来ないでいた。


慶子は、震える手で詩真の部屋の電話の受話器を上げる。


短いコールで、輝元が電話に出た。


「慶子よ。今すぐ…、詩真の部屋まで、来て…」


数分後、現れた輝元は、何かを決心したような生真面目な顔で現れた。


その表情を見ただけで、慶子は「もう、終わりなんだな」と感じた。


三人で膝を付き合わせる。


長い長い沈黙。


それを破ったのは、輝元だった。


「慶子、…ごめんな。あの…」


「先輩!なんで、慶子先輩に謝るの?」


詩真の言葉に思わずポカンとなる。


「謝るんだったら、私にだよね?だって、慶子先輩とはもう別れるからって、私たち付き合ったんでしょ?」


輝元は少し慌てた感じで、詩真を止めようとした。


「いつまでもズルズルして、変よ」


どうやら、輝元は慶子とは別れた前提で詩真に手を出したらしい。


それが、いつまで経っても三人で会うことが変わらず、詩真曰く「ウソツキ!」ということのようだ。


慶子にとっては、どれもこれも寝耳に水の出来事で、輝元の行き当たりばったりの方便には、呆れるしかなかった。


いつのまにか、それぞれ自分が本命の彼女だと思いながら、三人で会っていたのだから。


呆れ果てた慶子は立ち上がり、玄関に向かう。


瞬間、輝元が追いすがる。


「もう話すことないわ。私は貴方とは別れるし、結婚でも出産でも二人で勝手にやって」


最後の、精一杯の、プライドだった。


人気ブログランキングへ


 

* 第二十話 * ~慶子の場合~ ③

「そっか…、詩真、おめでとう」


ひとまず落ち着かせようと思ったら、そんな台詞が慶子の口をついた。


電話口の詩真は泣きじゃくっている。


「一人じゃ不安だよね。今から、そっち行くから。待ってて」


慶子はそう伝えて電話を切ると、真夜中にタクシーで詩真の家へと向かった。






一人暮らしの部屋に着くと、泣き疲れた顔の詩真が出迎えてくれた。


「そこ…座ってください」


そう言って、慶子にクッションを勧める。


「うん、で、体調は大丈夫なの?」


「はい…」


詩真の目に、みるみるうちに涙が盛り上がった。


「さっき…、慶子先輩、おめで…とうって、言ってくれたでしょ?」


「うん」


「私、嬉しくて…」


慶子は優しく詩真の背中をさすった。


「相手の人には話したの?」


詩真は無言で頷いた。


「…彼は、露骨に迷惑そうで…、だから、おめでとうって言葉が…、凄く嬉しくて」


大粒の涙がボロボロと頬を転がっていく。


「堕ろせって?」


「…そこまでは、言われてないけど…、困ったなあって…」


「そう」


慶子は少し姿勢を正して、詩真に問うた。


「で、どうするの?赤ちゃん、産みたいの?」


詩真は、真正面から慶子の目を捉え、力強く頷いた。


「はい、絶対に」


「わかった…。じゃ、相手の男性、説得しよう」


と言ったあとに、慶子ははたと思う。


「不倫とかじゃ、ないでしょ?」


「はい。大丈夫です」


慶子は少し落ち着こうと立ち上がって、窓辺に向かった。


カーテンを少し開けて、夜空を眺めた。


そして、「よし!」と自分に気合を入れると、詩真を振り返った。


「相手は?何処の人?一緒に行ってあげる」


座っていた詩真は慶子を見上げた。


そして、はっきりと。






「輝元先輩です」





慶子の目の前が真っ暗になった。


衝撃を受けると本当に目の前が暗くなるんだと、この時初めて知った。


「なん…?」


絶句するしかなかった。


 ―― 一体何が、大丈夫、なの?

人気ブログランキングへ


 

* 第二十話 * ~慶子の場合~ ②

「娘が死んだって…、美園ちゃんのこと、だよね…」


 ―― ざ・ま・あ・み・ろ。


慶子の心の奥の方から聞こえた声に愕然とする。


そんなことを考えた自分を打ち消そうと慌ててメールを返信する。


【何があったの?奥さんは?大丈夫なの?】


送信すると、そのままギュっと携帯電話を握り締め、目を瞑った。






鈴木輝元は、かつて慶子が初めて結婚を意識した元カレである。


大学4年の頃から、六年付き合った。


それから、輝元と慶子を慕って、二人の後ろを付いて回っていた大学の後輩…、中川詩真。


この三人は、大学を卒業したあともよく一緒に遊んだものだった。


恋多き女の詩真は、二人によく恋愛相談をしてきた。


デートの日も押しかけてきて、二人に自分の相談話を延々と語りだす。


輝元は少々呆れながら、慶子は割と親身になって、詩真の話に付き合ったものだ。


詩真は、そんな図々しい態度ながら、心は案外繊細で、ちょっとしたことで薬を沢山飲んでしまったり、手首に傷をつけたりしてしまう。


他人を振り回すことで、自分に対する愛情を量るタイプ。


そんな詩真を放っておけなくて、慶子はいつも関わって損するタイプ。


「慶子、少しあの子と距離置いた方がいいんじゃないの?」


見かねた輝元が、そんなアドバイスをしたこともあった。


「ダメよ。そんな事したら、詩真は本当に死んじゃう子よ?」


元来、おせっかいな方ではなかった慶子だったが、詩真は特別だった。


本当に妹のように可愛がっていた。


真夜中でも遠慮なく電話が掛かってくる。


「慶子先輩、相談があるんですけど…」


「今日は何があったの?」


少し面倒な思いもあったが、私は頼られている、必要とされていると実感出来る。


そんな思いから、慶子はいつでも詩真を優先して、時間を割いた。


いつもなら機関銃のようにああでもないこうでもないと喋りだす詩真だったが、その日はやや口が重かった。


「どした?なんか辛い?」


電話の向こうは静かで、どうやら泣いているらしい息遣いだけが受話器を通して聞こえてくる。


「詩真?大丈夫?傷つけたりしてない?」


ちょっと異変を感じた慶子は、慎重に声を掛ける。


「……赤ちゃん」


「え?」


「出来ちゃいました…」


搾り出すような声だった。


堰を切ったように、詩真の泣き声が聞こえた。

人気ブログランキングへ


* 第二十話 * ~慶子の場合~ ①

首相が二度も続いて任期途中で職を辞し、去年に引き続き、自民党の総裁選が行われた九月。


豪雨被害、不良債権、食品に有害物質混入、…暗いニュースばかりが続く。


福岡、千葉と続いて子どもが死ぬという惨劇。


慶子は、テレビの中のニュースキャスターに向かって、思わず呟く。


「…なんで、そんな家に生まれちゃったんだろうねぇ」


声に出てしまったことにハッとして、慶子は慌ててダイニングチェアから立ちあがった。


お茶でも淹れようと流しに向かい、急須に入りっぱなしだった出涸らしのお茶の葉を三角コーナーに捨てる。


ひとつ溜息をついた。


山本慶子。


三十路の時に一つ年下の夫と結婚して、この九月で五年が経つ。


子どもは大好きだが、二人の元へは未だコウノトリは訪れていなかった。


新婚のうちは姑や実母から矢のような催促があったものだ。


望んでいるのに五年も妊娠しない慶子を見て、空気を読んだらしく、最近は何も言わなくなってきた。


赤ちゃんはまだなの?と言われると辛いが、何も言われないのも石女だと諦められてしまったようで悲しい。


不妊治療に通っている努力が報われる日を慶子はまだ信じているのだから。


慶子は新しい茶葉を入れた急須にポットからお湯を注いだ。


小さな子が殺されたり、攫われたりする事件を聞くたびに、慶子の心は何とも言えない嫌な気持ちになる。


まして、犯人が実の親だった場合のやりきれなさ。


何故、自分のところには子どもが出来ないのだろう。


ろくでもない親のところに生まれて死んでしまうような運命。


絶対幸せにしてあげられるのに。


「あちちち」


お茶の入った湯呑みを持って、ダイニングテーブルにつくと、置いてあった携帯電話が光った。


マナーモードにしてあるそれを開く。


着信したメールの送信元を見て、慶子は少し驚いた。


 ―― 鈴木、輝元…?


大学のときの同級生である。


懐かしい名前にどうしたんだろうと本件を読んで、慶子は「えっ」と声が出てしまった。


「僕の娘が…死に、ました?」



人気ブログランキングへ



あとがき解説 その7

第十八話 「佑介の場合」

 森中佑介(27)

男女の友情は、どちらかの一生の片想いだってのは香月の持論です。

一応、私自身にも大事な男友達がいます、いました???

親友だと思っていたけど、それは嘘だったなーって今は思います。



ひとりは、私が片想いをしていました。

告白もしました。

でも、彼は私に恋愛感情を持つことはありませんでした。

だけど、ずっと一緒にいたかった私は気持ちを押し殺して友達という関係を続けていました。

エセ友達でした。

私が心変わりをし、彼と一緒にいる意味もなくなり、疎遠になりました。

しょせん、そんなもんです。



もうひとりは、今でも友達と思ってますが…。

男女の関係になった過去があります。

「友達だ」と口では言えますが、厳密に言えば、違うということです。

つまり、「元カレだけど、今は親友~」みたいな関係は、本物の友情とは言わないと考えている香月なのです。



第十九話 「達矢の場合」

 柴田達矢(29)

かなりの集中を要したお話です。

これまでは、実は撮って出し的な感じだったんですけど、今回は推敲いっぱいしました。

当然といえば当然なんですが。

すっごい難しかったです。

間をあけずに次を書きたくて、思いっきり見切り発車した第一回だったのに、面白くなりそう!と応援メッセージを頂いてしまい、えええ?と正直戸惑いました。

メッセージは、とっても励みになって嬉しかったですけどね。

お陰で最後まで乗り切れました。

ありがとうございました。



霊ネタにするのは、ものっすごい迷いました。

途中で先を読まれちゃうかなーとも思ったし。

14話で、達矢と橙子とその後を書いちゃってもいたし。

でも、まあ出来上がった今は、こんな話もアリかなと思ってます。




香月 瞬

人気ブログランキングへ


* 第十九話 * ~達矢の場合~ ⑮終

服を着た達矢が、橙子の向かいに座った。


「何、泣いてんの?」


橙子は無言で首を横に振ると、指で溢れる涙を拭った。


「…立て直そう…、私たちの劇団」


そう言った橙子をじっと見つめて、達矢は思った。


 ―― 私たちの…劇団。


「辞めていった皆にも声掛けたの。もう一度、皆でやり直そうよ」


達矢は、ずっと自分のことしか考えていなかった。


桜子を愛した自分が満足出来る舞台しか。


旗揚げの時から一緒である同志の橙子や、賛同してくれた仲間たちを蔑ろにしていたことに気付く。


「俺…、ごめんな…」


達矢は橙子を正面から真っ直ぐに見た。


「また、一緒に頑張ってくれるか?」


「もちろんよ」


二人は、固く握手を交わした。






 *






「すまん!書けなかった!」


稽古場に辿り着いた達矢は劇団員たちに潔く頭を下げた。


ストレッチ中だった皆があっけにとられた顔で達矢を振り返った。


「焦らない、焦らない」


汗を拭きながら橙子が近づいてきて、達矢の肩を後ろから揉んだ。


「当面は再演でも凌げます。俺たち、新作にこだわってないっすよ」


「そうそう。柴田さんらしい作品にまた出られるなら、ゆっくり待ちます」


達矢は皆の優しい笑顔に包まれた。


なんだか照れくて、鼻の下を掻く。


「あれ、やろうよ。旗揚げ公演の時のさ…」


橙子が提案する。


「あの作品で、初心に帰らない?」


 ―― それもいいかもしれない。


達矢はゆっくり窓辺に向かって歩くと、外を眺めた。




 裏切られたなんて思っていない。


 俺が君に溺れてしまっただけの自業自得。


 桜子、…またどこかで舞台に立っているのか?


 同じように誰かを夢中にさせているのだとしたら…。




達矢の胸が少し痛んだ。




 -終-




人気ブログランキングへ



* 第十九話 * ~達矢の場合~ ⑭

「はは…」


達矢は乾いた笑いを漏らした。


もはや笑うしかなかった。


「そんな馬鹿なこと…」


達矢は片手をおでこに当てて、くっくっくと笑った。


「僕だって、信じられなかった。でも、間違いないと思うんだ」


「桜子が、…もう死んでるってことでしょ?じゃあ、俺たちが会って、話して、抱いたあの女は一体何だって言うんです?」


「…あんまり口には出したくないね」


達矢は軽く膝を叩くと、ベンチから勢い良く立ち上がった。


くるりと主宰を振り向いて、缶コーヒーを高々と挙げた。


「ごっそさんした。じゃ…」


そう言うと、大股で歩き出す。


なんだかムカっ腹が立った。


だけど、身体が軽くなって、視界が明るく開けたような気がした。


少し、清清しささえ覚えた。






達矢がアパートに戻ると、部屋の中に橙子がいた。


「…さっき、鍵も掛けずに出て行っちゃったから…」


橙子が気まずそうに言い訳した。


「ああ、すまん」


達矢は橙子を気にも留めず、そのまま風呂場に向かった。


服を脱いで、熱いシャワーを浴びる。


久しぶりに髭をあたった。


生き返った気がする。


さっきの主宰の話を思い出す。


 ―― そうか、桜子。お前は死んだ人間か…。


目を瞑り、感慨深く、桜子を想った。


この話は誰にも言うまいと心に誓う。


両手で頬を二度はたいて、風呂場を出た。





トランクス一丁で首にタオルを引っ掛けただけの達矢を見て、橙子がそっぽを向いた。


「照れるなよ」


「…バカ。早く上着なさいよ!」


転がっていたTシャツを投げつけた。


「ぅおっと」


橙子が、出かける前と雰囲気の変わった達矢を不思議そうに見つめた。


「なんか…、いつもの柴田…だね」


ん?と反応した表情を見て、橙子は心底ホッとした。


「憑物が落ちたんだよ」


達矢がニッと笑った。


その拍子に橙子はなんだか泣けてきた。




人気ブログランキングへ



* 第十九話 * ~達矢の場合~ ⑬

「調べた…?」


達也は、頭の中がどんどん冷静になっていくのを感じた。


 ―― 俺は、ここ数日、一体何をやっていたんだ。


あまりの自分の堕ちようを恥じた。


「そう。僕、柴田さんに、あの子は芝居がヘタクソで使えないって嘘ついたでしょう?」


「ああ、そういえば、そうでしたね」


「でも、彼女、巧かったでしょ?下地もちゃんとしてた」


達也は、ウンウンと頷いた。


「ま、本当のことを白状するなら、あんな美しい人を僕のドタバタコメディな舞台に立たせなくなかったってのが本音なんだよね」


主宰は、グイとコーヒーを飲み干し、ふっと笑った。


「ギャグとかやらせて美が崩れるようなことさせたくなかった。でも、あの子は舞台に立ちたがっていた…」


「それで、うちに?」


「うん、願いを叶えてあげたかったんだ。柴田さんの舞台なら、彼女は映えると思った」


達也は、舞台に立つ桜子の姿を思い出した。


素晴らしい出来だった。


あんなに創作意欲を掻き立て、あんなに自分の作品にハマる素材とは、今後なかなか出会えないだろう。


「実は、芸名を変えて、土地を変えて、彼女は他の舞台にも立っていたことがあるそうでね…」


「あ…。確か、桜子は映画に出たことがあるって…」


「そう!そうなんだ!」


主宰は、嬉しそうに達矢の顔を見た。


「その映画、観たかい?何の映画か、聞いた?」


「いや…」


そういえば、作品名まで聞いてないことを思い出した。


主宰は、或る映画のタイトルを挙げた。


「どこかで聞いたことあるでしょう?」


そう聞かれて、達矢は少し考えた。


記憶の片隅まで、手繰り寄せた。


「ああ!」


舞台人ならば、必ず一度は聞いたことがあるはずだった。


新進気鋭の監督作品。


多くの舞台役者たちが、その映画に参加した。


幻の名作…。


その映画は、お蔵入りになり、上映はされていないはずだ。


有名なスキャンダル。


達矢はハッとして、主宰の方を向いた。


「いや、まさか…」


主宰は、ゆっくりと頷く。








あの映画の監督は、クランクアップ直後に主演女優を殺し、自殺したのだ。


人気ブログランキングへ



有名人x人気ブログ

* 第十九話 * ~達矢の場合~ ⑫

もう一人の自分を見たら死ぬ。


ドッペルゲンガー?


達矢は怯え、その場から逃げようとしたが、足がうまく動かない。


前からやってきた不気味な男が達矢の姿を捉え、唇の端を歪めた。


「あー、驚いた…」


男は、そう言って笑いながら、達矢に近づいてきた。


「僕を見たのかと思いました。お互い、随分やつれたなあ…」


男はそう言って、達矢の肩を二度叩いた。


思わず、後ずさる。


達也の全身に鳥肌が立った。


「ええ~?やだなあ~」


男はアッハッハと高笑いし、「僕ですよ」と言った。


達也は、ようやく気付く。


見る影もないが、目の前の男は確かに、桜子を紹介してくれたあの主宰だった。








二人は、近くの公園のベンチに腰掛けた。


主宰は、側の自動販売機で買った缶コーヒーを達矢に手渡してくれた。


「いやぁ、僕、失恋しちゃいましてね」


「え?」


「ほら、柴田さんとこに預けた彼女。水城さん…」


桜子とこの男の関係に、にわかに興味が沸いた。


「付き合ってたんですか…?」


「…どうかなぁ」


主宰は、穏やかに微笑むと、缶コーヒーのプルトップを開けた。


「僕は、本気だったけどね。彼女の為なら、何でもしてあげようと思ったよ」


達矢は、ぎゅっと拳を握った。


「でもね。数週間前…、忽然と姿を消しちゃったんだ。僕に何も言わずに」


 ―― 同じだ…。


「お恥ずかしい話、あまりのショックで食事ものどを通らないわ、なんのやる気も起きないわでこんな有様ですよ」


主宰は大仰に両手を広げた。


「でも僕、どうしても、納得いかなくて…」


「…?」


「調べたんですよ。彼女のこと…」




人気ブログランキングへ









有名人x人気ブログ

* 第十九話 * ~達矢の場合~ ⑪

桜子は、達矢の前から、消えた。


達矢にとっては、突然の出来事で、青天の霹靂であった。


携帯電話は解約されている。


住まいを訪ねてみたが、彼女はいなかった。


住んでいたという形跡すら感じることが出来なかった。


達矢は何をする気力も失い、部屋に引きこもっていた。


稽古場にも顔を出さない。


もちろん、新作なんてもう書けない。


 ―― 何を信じればいい?







一方、橙子は、様子を見守りつつ、達矢の知らないところで劇団の建て直しを図っていた。


辞めていった元劇団員や現在残っている仲間たちに、一生懸命掛け合った。


もともと達矢を慕って入団してきた彼らは、変わってしまった達矢を受け入れることを快くは了承してくれない。


だが、橙子は根気良く、必ず達矢を元に戻してみせるからと、説得にまわった。


仲間がようやく目を覚まし、橙子に賛同してくれたある日、橙子は達矢のアパートを訪れた。


湿気のこもった部屋からは、ゲッソリと痩せた無精髭の男がふらりと出てきた。


「…柴田」


達矢は、玄関に立つ橙子をスルーして、そのまま部屋を出て行った。


「ちょっと、どこに行くの?」


「お前と話したくない」


そう言い残すと、達矢は、外階段を降りていった。







達矢は、久しぶりに電車に乗って、街中に出た。


小汚い格好の達矢を道往く人が露骨に避けて通るのが分かる。


軽く自嘲し、背中を丸め、歩き続けた。


どんよりとした空気を感じ、ふと顔をあげると、前から病的に痩せた顔色の悪い男が歩いてくるのを認めた。


思わず、歩みを止める。


 ―― あれは、俺…か?


達矢の脳裏にドッペルゲンガーという言葉が浮かんだ。



人気ブログランキングへ




有名人x人気ブログ

* 第十九話 * ~達矢の場合~ ⑩

橙子と達矢は、あの口喧嘩から少しギクシャクしていた。


そして、桜子しか見えなくなっていた達矢は、心なしか目の下には濃い影が浮き、顔色も悪く、頬は痩けていた。


桜子と他の役者が話している。


たったそれだけで、内心気が気ではないのだ。


達矢の書いた台本の上で、達矢の書いた台詞で。


頭の中に描かれた世界での会話しか認めたくなかった。


我ながらオカシイと感じ、自分自身に問うてみるが、答えは出なかった。


 ―― なぜ、そんなに桜子に執着するんだい?






劇団の芝居は、桜子主演の作品が続いた。


橙子以外の女優たちは達矢に疑問を呈してきたが、達矢は相手にしなかった。


そのうち、一人、また一人と退団していった。


男たちの中でも最近の作風が合わないと見切りをつけて辞めていく者もいた。


残った女優は、橙子と桜子。


そして、桜子にチヤホヤする面々。


 ―― アイツとアイツとアイツと…。


達矢はそれが許せなかった。


 ―― 桜子は、俺だけの女だ。


「近づくんじゃねえっ!」


ある時、達矢が通し稽古の最中に桜子に触れようとした役者を怒鳴って、突き飛ばした。


見ていた橙子は、思わず天を仰いだ。


もう限界だと悟った。


達矢は壊れている。


これ以上、この場で作品を産み落とすことは出来ない。


もうこの芝居は幕を下ろさねばならなくなった。


橙子はパン、パンと手のひらを高く鳴らした。


「柴田はちょっとお疲れみたい。今日は、これで解散にしましょう」


達矢は、稽古場の隅で膝をつき、肩で息をしていた。


橙子はそれを一瞥すると、気付かれないように、呆然と立ち尽くしていた桜子を外に連れ出した。





「あんたさ、もう来ないでくれる?」


橙子は、桜子にそう言い放った。


怯える小鹿のような目で橙子を見上げる桜子。


「柴田の前から消えて」


「…なんで、ですか?」


「ご覧の通りよ。柴田、あんたに狂っちゃった。このままじゃ仕事を失うわ」


桜子が目を伏せると大粒の涙がポロリと頬を転がった。


「私は…、大好きな、お芝居がしたいだけ…です」


橙子は小さく溜息を吐くと、平手で思い切り桜子の頬を叩いた。


桜子の美しい顔にハラリと黒髪がかかる。


「桜子。あんた、舞台に立つ方法を考え直した方がいい。…男には通用しても、私にその手は通じないわよ?」



人気ブログランキングへ




モバ☆ブロ~3D検索
有名人x人気ブログ

* 第十九話 * ~達矢の場合~ ⑨

目の前が真っ暗になるというのはこういうことか。


耳を疑った。


「他の女の子たちも薄々勘付いてるわよ。男たちが鈍感過ぎる」


達矢は橙子に反発した。


「桜子がそんな女なわけないじゃないか!だって…」


どれだけ彼女が魅力的な女性かということを滔々と話して聞かせた。


橙子は鼻で笑った。


「私、衣装探しの時に一緒に電車乗ったけど、あの子、普通に吊革掴まってたわよ?」


達矢は、橙子を信じられないという目で見つめた。


「なんて、底意地が悪いんだ、お前は!」


「柴田が騙されてるんでしょうよ。俺がいないとダメなんだとか?ほっとけないとか?あんまり笑わせないでよ」


頭に血が昇っていくのが分かる。


こめかみに血管が浮き出ている。


「そんなことして何が目的かは知らないけど。とにかく男という男に大股開いてるのは間違いないって言ってんのよ」


女が女を罵倒する。


醜い嫉妬を見たんだと達矢は思った。


「いずれ、ちゃんとしないと、男どもが狂うわよ」






結局、橙子とは喧嘩別れして、家路に着いた。


達矢が階段を昇った先、部屋の前に桜子がいるのが見えた。


「…来てたのか」


ポケットから鍵を取り出しながら、溜め息混じりに声を掛けた。


「どうしたんですか?なんか元気ない…ですね」


「いや」


グイと大きく扉を開き、「入れよ」と促した。


達矢は、さっき見掛けた桜子らしき人物と今目の前の桜子の服装が違うことに対し、安堵と不安の入り混じった複雑なものを感じた。


「君は…、今日は誰かと会った?」


桜子は不思議そうに小首を傾げ、長い睫毛を瞬かせた。


「いや…、ごめん。いいんだ」


そう言って、達矢は桜子を大きく抱きしめると、そのまま床に押し倒した。


 ―― 桜子。お前は、俺の…、俺だけのものだろ?



人気ブログランキングへ



* 第十九話 * ~達矢の場合~ ⑧

座ったまま、ただ茫然と窓の外の二人の後ろ姿を目で追う。


店員が飛んできて、ダスターでこぼれたコーヒーを拭いてくれている。


我に返った達矢は慌ててパソコンを鞄にしまうと小脇に抱え、走って店の外に飛び出した。


 ―― 桜子?


潤んだ大きな瞳、切なくなるほど甘美な吐息、愛くるしい表情、匂い立つ色香、達矢を呼ぶ声。


脳裏に浮かんでは消えていく。


あの桜子が、自分以外の男と二人で一体どこに行くというのか。


彼らが進んだであろう先を追ってはみたが、もう姿は見えなかった。


達矢は、歩みを緩めた。


「…どうかしてる」


頭を振って、踵を返すと、達矢はまた稽古場に向かった。






稽古場には、まだ橙子がいて、軽くストレッチをしていた。


「どうしたの?血相変えて」


「…いや」


「なんだ、謝りにでも来てくれたのかと思ったのに」


橙子はぷいと向き直って、ストレッチを続けた。


達矢は鞄を投げ出し、パイプ椅子にどっかり座ると、大きな溜息をついた。


誰も口をきかない数分が流れた。


衣擦れの音だけが室内に響いている。


達矢がやっとの思いで口を開いた。


「周りが見えてないって、…何に関してだ?」


橙子が意外そうな表情で振り向いた。


「今さっき、桜子と前んとこの主宰とが二人で歩いているのを見たんだ」


橙子は、立ち上がってタオルをとった。


「必死な顔してるね」


達矢は、え?と顔を上げる。


「歩いてたから?何なのよ」


「いや…」


苦しげに顔を歪めて、俯く。


 ―― そうだよ、歩いてただけで…。


こんなあからさまに嫉妬の様子を橙子に見せてしまったことを恥じて、唇を噛む。


が、そもそも達矢が桜子を想っていることは、橙子にはとっくにお見通しだったのだろう。


「まあ、柴田の想像は当たってると思うけどね」


「俺の、想像?」


「そ。デキてると思ってるんでしょ?」


人差し指をくるりと回すと達矢の鼻先を指差す。


達矢は、うなだれるように頷いた。


「あの子、それだけじゃないわよ」


橙子がもうひとつのパイプ椅子を引っ張って、達矢の前に置くとゆっくりと腰掛けた。


「私が周りをもっと見ろって言ったのはぁ…」


もったいぶって間を開ける。


達矢の顔を覗き込むようにじっと見ると、ニヤリと笑った。


「桜子ね、うちの男連中のほとんどとヤっちゃってるわよ」




人気ブログランキングへ





* 第十九話 * ~達矢の場合~ ⑦

部屋に差し込む陽光が眩しくて、目が覚めた。


「…さく…」


達矢の隣に寝ていたはずの桜子の姿は見当たらなかった。


ふと目を落とした右手の指先に長い黒髪が一本絡んでいる。


苦しくなるほどの切なさが胸を襲い、タオルケットをぎゅっと握った。







 *






二ヵ月後、桜子主演で芝居を打った。


興行は、そこそこの成功を収めた。


達矢は、次の舞台に向けて、また桜子をイメージした作品を作り続けた。


反対するかと思った看板女優の橙子は、意外にも桜子のことを認めていた。


稽古が休みの日に、橙子は達矢を稽古場に呼び出し、次に向けての話し合いをしていた。


「前いたところも、芝居が下手だから出してもらえなかったんじゃないと思うわよ。桜子は、むしろ上手いわ」


橙子はそう言った。


達矢も同意だった。


「もっと違う理由でしょ。そろそろ柴田も気付いた方がいい」


「え?」


橙子の言っている意味がよく理解できなかった。


「もうちょっと周りを観察して。あんた、何盲目になってんのよ?」


叱責されたような気がして、達矢はムキになった。


「どういう意味だよ!芝居は成功したんだ、文句ないだろう。俺と彼女の才能だ!」


あっけにとられた橙子を残し、達矢は稽古場を出た。


桜子に夢中になっている自分を指摘されたようで、バツが悪かった。


二人の関係は誰も知らないはずだ。


心を落ち着けようと、達矢は駅前のファーストフード店に入った。


ホットコーヒーを持って二階に上がると、窓に向かっているカウンター席に座った。


 ―― 才能だ!は言い過ぎたな…。


面映さを隠すために仕事をしようと思った。


足下の鞄からノートパソコンを取り出そうと屈んだ時に、視界の端に見覚えのある姿が映った。


身体を起こして、窓の外を見る。


「あ」


以前、桜子が所属していた劇団の主宰が歩いていた。


ウキウキした感じの足取りが止まり、携帯電話を確認している。


その場で、煙草を取り出し、美味そうに吹かしだした主宰を二階から興味深く眺めていた。


 ―― 待ち合わせかな。


そう判断して、達矢はノートパソコンに向かい直した。


台本の続きを打ち込む。


脇に置いたコーヒーを取ろうとして、ついでに向かった目の先。


窓の外に映る主宰と並ぶ女性の後姿に思わず手元が狂った。


カップが倒れ、コーヒーがカウンターから床に滴っても、達矢は動くことが出来なかった。



人気ブログランキングへ

* 第十九話 * ~達矢の場合~ ⑥

歓迎会はなごやかに終わった。


劇団員たちも桜子を文字通り歓迎しているようで、連れてきた達矢は心底ホッとした。


橙子の目がやや冷ややかなのと、男性陣が必要以上にチヤホヤしている感じが気懸かりではあったが…。


「じゃ、みんな気をつけて」


達矢は、タクシーを拾いに、ひとりで駅とは反対方向に歩いていった。


頭の中は、やっぱり創作意欲で満杯だった。


これは!という手ごたえのある思い付きが次々と浮かんでくる。


思い切って、桜子を主役に舞台デビューを飾らせようか。


そんなことをしたら橙子のババアが反対するか。


相手役をアイツらの誰かにやらせるのは、ちょっと悔しいな。


…などと、ニヤニヤしながら、思考を巡らせていた。


遠くに「空車」らしきタクシーが見えてきた時、後ろから呼び止められた。


「柴田さんっ」


「えっ?」


驚いて振り向くと、桜子だった。


「よかった。追いついて」


「何、どうしたの?」


タクシーは達矢の目の前を通り過ぎていった。


「あの…、もう少し、付き合っていただけませんか?」


桜子が、上目遣いに達矢を飲みに誘った。


腕時計を見る。


「…もう、結構な時間だぜ?帰った方がいいんじゃないか?」


「いえ、少しでいいんです。柴田さんともうちょっとだけお話したくて…」


このまま帰宅して、脚本作りに勤しもうと思っていた達矢だったが、本心はまんざらでもない。


そして、やや勝負に出る。


「じゃあ、俺んち、来るか?そこで、飲みなおそう」


普通の子なら、家飲みは断るだろうと思ったし、逆に、アワヨクバという下心もあった。


「はいっ!是非!」


「え、いいの?」


桜子の張り切った返事に少し面食らったが、悪い気はしなかった。


ふたりは、丁度来たタクシーに乗り込み、達矢のアパートへ向かう。







その夜、達矢は自分が誘うまでもなく。


桜子に乞われるまま、彼女を抱いた。


人気ブログランキングへ




* 第十九話 * ~達矢の場合~ ⑤

「柴田ぁ、先行ってるわよ!」


橙子を先頭に劇団員たちが、歓迎会の為に下北沢にある行き着けの居酒屋に移動していった。


桜子は、皆とは一緒に行かずに達矢を待っていた。


「みんなと行けば良かったのに」


達矢は困惑気味に桜子と共に稽古場を出た。


私服に着替えた桜子は、相変わらずスッピンだったが、とても可愛らしかった。


金曜の夜、街は活気づいている。


駅までの道のり。


桜子は、歩くのが遅いのかちょこちょこと一生懸命に達矢についてきた。


混雑する電車内。


吊革や手すりに掴まればいいのに、何故か自分の足だけで踏ん張っている桜子。


自分の左手を吊革に引っ掛けながら、達矢は、不思議そうに小さな桜子の様子を見下ろしていた。


「どっか掴まりゃいいじゃん」


思わず、そう声を掛けたが、桜子はフルフルとかぶりを振って、頑として踏ん張っていた。


 ―― 子どもみてえ。


ガクンッ。


車内が揺れ、周囲の人たちがどっと傾いた。


「や…」


案の定、ふらついて倒れそうになった桜子を達矢の腕が咄嗟に支える。


「ほら、だから、掴まっとけって言っただろ?」


「すいません…」


桜子はそう言って俯くと、達矢の胸に右手を置いた。


 ―― そ、そういう意味じゃなく…。


達矢の顎のすぐ下に桜子の頭がある。


ドキリとした心臓の音が伝わらないかとハラハラした。


下北沢駅に着くと、乗客がどっと降りた。


二人もその波に乗り、ホームに降り立つ。


そのまま階段に向かって、歩き出す。


「これから行く店はさ、」


隣にいる桜子に話しかけると誰もいなかった。


「あれ?」


慌てて振り返ると、遥か後方の人波に桜子が埋もれていた。


笑いと溜息が同時に出た。


「…しょうがねえなぁ」


達矢は人の流れに逆らって、少し後ろに下がると、グイと桜子の手を掴んだ。


「この程度の人ごみに紛れてんじゃねえよ。渋谷とか行けねえぞ?」


そう言って笑うと、真っ赤な顔をした桜子のほっぺたを軽くつまんだ。


「迷子になるから、このまま掴まってろ」


達矢は、桜子の手を握ったまま、引っ張るように歩き出した。



人気ブログランキングへ



* 第十九話 * ~達矢の場合~ ④

桜子の稽古の様子を見る限り、体力はあるようだった。


長距離走にもついてこれるし、腹筋や腕立て伏せも問題ない。


身体の柔軟性もある。


あんな華奢な身体のどこにそんなパワーがあるのだろう?と不思議に思ってしまう程だった。


「運動神経良さそうだね」


達矢がストレッチをしている桜子に声を掛ける。


「はい、身体には自信があるんです。殺陣も日舞も経験あります」


桜子ははきはきと答えた。


前屈をすると、汗が首筋を伝い、襟元からTシャツの中に落ちた。


その様子が艶めかしくて、達矢は思わず目を逸らした。


発声もちゃんとしていた。


早口言葉も言える。


 ―― なんで、彼女は役をつけてもらえなかったんだ?


達矢は不思議でしようがなかった。


ハッキリ言って、桜子なら、こんなしがない小劇団にいなくとも、大手のオーディションを受ければ合格出来るだろうレベルだ。


ルックスだけでもモデル事務所で拾ってもらえるかもしれない。


一体、どれほどの大根役者なのか。


「舞台…立ったこと、ある?」


「いえ、ないんです」


桜子は伏し目がちに言った。


「以前、映画に出たことはあるんですけど…」


 ―― やっぱり…。芸能界に身を置いてはいたんだ。


その時、何の映画に出たかは聞かなかった。


聞いたら、観たくなるだろうし、観てしまったら、イメージが制限される気がしたからだ。


「柴田さん!」


ある男の役者が提案してきた。


「今日、桜子ちゃんの歓迎会でもやりましょうよ。稽古終わったら、パーッと」


そう言って、手で酒を飲むジェスチャーをした。


演劇人は、金もないくせに何かと理由をつけて飲みたがる。


達矢はその時なんとなく心の中に重たい何かを感じたのだが、それが何だか分からなかった。


そして、大して気にもせずにいつものことだと劇団員全員で飲みに行くことに賛成した。


「よし、じゃ、そうしよう」


言いだしっぺの肩をポンとはたいた。


「お前、店予約しといて」


「うへ、俺かー」


桜子は嬉しそうにニコニコとみんなを眺めていた。




叱咤激励!




* 第十九話 * ~達矢の場合~ ③

数日後、達矢は水城桜子を稽古場に呼んだ。


現れた桜子は、首に使い古した白いタオルを引っ掛け、こちらが一瞬引く程にダサいエンジ色のジャージを着ていた。


長い黒髪をひっつめ、頭上におだんごに結い上げている。


ただ、顔だけは異常に美しかった。


先日と打って変わって、スッピンなのにそれを感じさせない程、透明感のある白い素肌。


マスカラもつけてないのに長く豊かな睫毛と大きな瞳は、とても印象的だった。


達矢は、正直、見惚れた。


コホンっと一つ咳払いをすると、稽古場の劇団員に向かって、話した。


「今日から入団した水城桜子さん。とりあえず、練習生として扱うから。みんな、よろしく頼むよ」


あちらこちらから返事が聞こえる。


気のせいか、男性陣の声が弾んで聞こえた。


「じゃあ、基礎練習からだから。ひとっ走り、みんなと、行って来て」


達矢は、劇団員にランニングを指示した。


みんなが出口へ向かう中、看板女優の堀川橙子が、達矢に耳打ちしてきた。


「どっから引っ張ってきたのよ、あの子」


「ああ、あいつがこの前に客演したとこにいた新人だよ。そこの主宰に押し付けられたんだ」


「へーえ…」


橙子は意味ありげに達矢を見てニヤリと笑った。


「気をつけなさいよ?」


そう言って、外に出て行った。


「どういう意味だよ」


達矢は首をかしげながら、鞄からノートパソコンを取り出すと、電源を入れた。


さっきから、ありえないくらいに創作意欲が湧いているのだ。


身体の芯の辺りからフツフツとアイディアが湧き出てくる。


モチーフは全て、桜子の存在感だった。


彼女をイメージした話がどんどん浮かんでくる。


達矢は、溢れるように出てくる言葉たちを漏らさないように、パソコンに次々と打ち込んでいった。




叱咤激励!


* 第十九話 * ~達矢の場合~ ②

彼女とは、達矢の劇団に所属する役者が客演した他の劇団の打ち上げで出会った。


千秋楽の後、「柴田さんも是非」と誘われ、出演した役者と共に飲み会に参加した。


ひたすらお酌をして回っている若い女の子に目が行った。


漆黒の長い髪が印象的な美女だった。


「あの子は、ここの女優さん?」


そこの劇団の主宰者に尋ねた。


「ああ、新人募集で来た子なんだけど、芝居が下手でね~。でも演劇に関わりたいって言うからさ、とりあえずいてもらってんの」


「舞台に出す気はないんですか?」


見る限り、相当の美貌を持っていると思った。


ただ、少し暗い影がある。


耽美な印象ではあった。


「うーん。下手でも爆発的に下手だったらいいんだけどさ。笑えねえのよ。今のところ、出しようもないんだよねぇ」


「へえ」


「ああキレイなだけじゃ、お人形さんの役しかねえな」


確かに、お笑い系のそこの劇団のカラーにはそぐわない気はした。


「制作側に行ってくれれば助かるんだけど、そういう気はないっていうし。ちょっと扱い辛くて…」


主宰が、少しこぼした。


「…柴田さん、預かってくれないか?」


「え?」


達矢は、少し悩んだ。


ただ、この飲み会の場にいる人物の中で、唯一目に留まったという自分の勘を信じた。


「…面白いか」


達矢は呟く。


「じゃ、ちょっと借りていいですか?」


「いいよ、いいよ。ってか、移籍させてくれ。僕には、あの子の望む様な役をつけてやれないから」


彼女が、達矢と主宰の元にお酌にやってきた。


いい香りが、達矢の鼻腔をくすぐった。


「ねえ、君、柴田さんとこの劇団に見学行ってみないか?」


黒くて長い睫毛が音を立てそうなほど、瞬いた。


「お芝居…、出来るんですか?」


「まあ、テスト次第でね。どう?」


彼女は、瓶ビールをテーブルに置くと、居住まいを正した。


「はい、水城桜子といいます。よろしくお願いします」


桜子は、達矢に深々と礼をした。



叱咤激励!


* 第十九話 * ~達矢の場合~ ①

「ネタ…、ネタ…」


深夜。


真っ暗なアパートの一部屋。


柴田達矢は、パソコンの液晶画面の光に顔を照らされながら、「ネタ…」と呟いている。


マウスを握りしめる右手。


顔は、画面スレスレにまで寄っている。


2chのスレッドを各板隅々まで読み漁るが、達矢の琴線に触れるものはなかった。


「うおー、去年の今頃は、電車男で盛り上がってたのになあ…」


両手で顔面を覆うと、後ろに仰け反った。


小劇団の作・演出家の達矢は、かなりのスランプに陥っていた。


その電車男も映画化され、初夏には放映されるらしい。


舞台化の話も耳に入って来ていた。


「やられたよなー…」


仰け反ったまま、後ろの壁掛け時計に焦点を合わせる。


「8時半…?ちげえ、3時だ」


今日の午後の劇団の稽古時間までに、脚本をあげなければと思っていたが、無理そうだ。


プロットすら出来上がっていなかった。


今回は、誰かのエチュードから話を発展させるか、と諦めモードになる。


達矢が、こうもネタ切れになった理由は、一人の劇団員の裏切りに原因があった。


自分が思った以上に、メンタル面にダメージが来た。


 ―― 裏切り…?


暗闇を歩いて、冷蔵庫を開ける。


中に一本だけあった発泡酒を取り出した。


 ―― 自業自得だろう。


プルトップを開け、達矢は自嘲する。


冷えた発泡酒を勢い良く喉に流し込んだ。


一人の劇団員。


「っあー、…んめ」


それは、入団の頃から達矢が可愛がってきた女優だった。



叱咤激励!


* 第十八話 * ~佑介の場合~ ⑥終

佑介が自宅に着いた頃、携帯電話が鳴った。


佳澄だった。


「はい…」


「あー、良かった。携帯、使えたね」


あんな態度をとったのに、いつもと変わらない佳澄の声だった。


「さっき…悪かった。なんか、急に酒が回っちゃって、気分悪かったんだ」


佑介は、どうしていいか分からなかった心の葛藤を酔いのせいにした。


「ううん、いいの。今夜は私もおかしかったしさ。お互い様~」


一生懸命、明るく振舞おうとしているのが伝わりすぎて、すこし辛かった。


「それよりさー、半落ち、読み終わったら貸してよ。私も貸すからさ」


「泣ける純愛小説なんか読まねえよ」


佑介は電話したまま、ベッドにごろりと横になった。


「もー、読まず嫌いはダメだって!…あ、そういえばさ」


「ん?」


「佑ちゃんは、男女の友情ってアリだと思ってるタイプ?」


佑介は、がばっと上半身を起こした。


「くだらねえこと聞くなよ。あるよ。俺たちが生き証人だろうが」


一笑に付す。


うまく笑えてただろうか。


「ふふ、そうよね。でも私はね、ないと思ってたの」


佳澄の声が真面目になったのが分かる。


「男女の友情ってね、ゲイか…」


「俺、ゲイじゃねぇし」


「それか、どっちかの、…一生の片想いだと思う」


その言葉が、佑介の心臓の真ん中に突き刺さったような気がした。


 ―― 一生の片想い?


「私、結婚するの」


佳澄が突然、外国語を喋ったのかと思った。


ワタシ、ケッコンスルノ。


佑介の脳に達するまで、信じられないくらいの時間を要した。


「え?」


「え?じゃなくて!」


 ―― 今、なんて言った?


「結婚!私が、すーるーのっ!」


ハハ…と、歯の隙間から乾いた笑いが漏れた。


「今日、それ言いたかったんだけど、言いそびれちゃって…」


佑介は、絶句した。


「佑ちゃん、これからも私と友達でいてくれる?」


「…あー、あー、うん、もちろん…。おめでとう」


声が上ずったのが自分でも分かった。


 ―― 俺、バカだ…。






一生の片想い…。




 -終-




叱咤激励!



* 第十八話 * ~佑介の場合~ ⑤

佑介と佳澄は、上野駅パンダ橋を歩いていた。


「いやー、さっきごめんねー。周りの人、別れ話でもしてるとか思ったかなあ?」


佳澄が妙に明るく話しかけてくる。


心地良い夜風が吹いていたが、そんなのを気にする心の余裕も佑介にはなかった。


女性が自分の隣で泣いたということにここまで動揺するとは。


「…佑ちゃん、私さ、ホントは」


佳澄が意を決して何かを言おうとした時、酔いに任せて、佑介は携帯電話を投げつけた。


多分、佳澄じゃなかったら、抱き締めていたかもしれない力の行方をどう逃がしていいのか分からなかったのだ。


佳澄がビックリして、佑介を見る。


「くっそ」


地面に落ちた携帯電話を蹴っ飛ばそうとして、当たらずにスカッと足が抜けた。


恥ずかしさで、苛々がピークに達する。


「~~~んんもうっ!」


「ちょっと、佑ちゃん?」


髪を掻き毟る佑介の背中に佳澄が手を触れた。


びくっとして、佳澄は手を離す。


佑介は携帯電話を拾うと、大きく深呼吸した。


「すまん。悪酔いした…」


聞き取れないくらいに小さな声でそう告げると、佑介は早足で駅構内に向かっていった。


「ちょっと、…ねえ!佑ちゃん!」


唖然とした様子で、佳澄は佑介を呼び止めたが、彼が歩を緩めることはなかった。





京浜東北線に乗った佑介は、ドアの隅に立ったまま、頭をガラスにつけた。


 ―― ずっと前から気付いてたよ…。


手に握り締めていた携帯電話を見た。


液晶画面にヒビが入っていた。


そこに映る佑介の顔が歪んでいる。


 ―― 佳澄は、俺のことが好きなんだろう。


そんなことには、大学の頃から気付いていた。


だけど、言わせちゃいけないと思って、わざとそれを否定し続けてきた。


自分もあいつも、そんな恋愛感情なんて、ありえないと。


佳澄のことを人間として大事に思うから、今のまま友情を保ちたかった。


男女の関係になったら、いつか佳澄を失う日が来るから。




叱咤激励!






* 第十八話 * ~佑介の場合~ ④

「そ、同期もどんどん辞めてくしさ。結構、孤独感じちゃって…。地方に親戚もいるし、別の場所で心機一転してみるのもいいかなーとかね」


「佑ちゃんがそんなん考えてたの全然知らなかったな…」


大型の契約が取れた反動で舞い上がっていたのだろうか、佑介は今まで誰にも言わずにいた心情を吐露していた。


なんで、こんなことを話し出したのかもよく分からない。


ただ、佑介も佳澄も、今日は酔っているなと感じた。


「あれ…?」


急に佳澄が指で頬をなぞった。


泣いていた。


ポロポロと大粒の涙が佳澄の大きな瞳から後から後から零れ落ちている。


「な、なんだよ、泣くなよ」


「ごめ…。あれ?なんで…だろ」


笑って誤魔化そうとするが、涙は止まらない。


佑介は、どうしていいか分からない。


しまいに佳澄はしゃくりあげてきた。


「もう…、ごめん…」


佳澄は両手で顔を覆って、泣き崩れた。


カウンターの中やホールにいる店員にも微妙な表情でチラチラ見られる。


「なんだよ…」


恥ずかしくて、少しイラついた。


少し落ち着いてきたのか、佳澄が佑介の方を見て、言った。


「ごめん。辛かったんだね…。全然気付けなくて、私…」


横にあったおしぼりを目頭に当てる。


「なんか、佑ちゃんが遠くに行っちゃってたかもしれないと思ったら、急に泣けてきちゃって…」


「…」


「今みたいに気軽に会えないなんて、すっごい寂しいじゃん?」


佑介の心臓がキュッと痛んだ。


泣き止んでも、さっきのように話は盛り上がらなかった。


少し口を開いては、沈黙が流れてしまう。


気まずかった…。


 ―― 佳澄が俺の為に泣くなんて。


友達として、それだけ思ってくれているのかと思うと嬉しい反面、涙を流すという女性らしい行動に佑介は戸惑いを隠せなかった。


「出ようか…」




叱咤激励!



* 第十八話 * ~佑介の場合~ ③

「最近、本、何読んでんの?」


佳澄がジョッキのウーロンハイをあおりながら、聞いてきた。


「んとね、半落ち。今、カバン中あるよ」


「へー、横山秀夫だっけ。…私、世界の中心で、愛を叫ぶ読み終わった」


「軽っ」


「んなことないよー。泣けるよー?やばいから」


とりとめのない会話。


佑介と佳澄はいつもこんな感じだ。


「純愛ねえ」


佑介がしらけたように言うと、佳澄が突っ込んでくる。


「あんた、エレガとどうなったのよ?」


「えー?どうもこうも、とっくの昔にフラれたよ。何回か合コンセッティングさせられただけ」


「うわー、悲惨。かなり入れ込んでたのにねえ」


うるせえよ、と佑介もビールから焼酎に切り替えた。


酒が回ってきたらしい佳澄が、潤んだ目で隣の佑介を見つめた。


少し引く。


「何?」


「…なんでもない」


佳澄は、鶏せんべいを手に取った。


時々、こういうことがある。


何か言いたげに佑介を見るのだが、決して言葉にしない。


もしかしたら、自分のことを好きなんだろうか?と考えたこともあったが、普段の佳澄を思うと、それはないなと即座に否定出来た。


そもそも、万が一そんな感情をぶつけてこられても、困惑するしかない。


佑介にはその気がサラサラないのだから。


「今日さ、契約取れたんだ」


「へー。良かったじゃん」


佳澄は本当に嬉しそうに笑ってくれた。


「今回、ダメだったら、転職も考えてたんだ。東京から離れるのもいいかなって」


「え?」


佑介のこの告白に佳澄は相当ビックリしたようだった。


「逃げるわけじゃないけど…。結構追いつめられてたんだよね、実は」


「…」


佳澄は、じっと自分の手を見つめていた。


少しの沈黙のあとに「そっか…」と小さく呟いた。




叱咤激励!






* 第十八話 * ~佑介の場合~ ②

無事に新規契約を取れた佑介は軽い足取りで、上野にある支店に帰社した。


佑介の勤める中堅保険会社は、今年の四月から吸収合併された。


原因は度重なる保険料未払いの不祥事によるダメージから逃れられず、業績が著しく落ちた為だ。


生き残るには、他の保険会社の傘下に下るしか方法はなかった。


悪いイメージはなかなか払拭できない。


社名が変わっても「えー?あの保険屋さんでしょ?」と契約を渋る者が多かった。


同期たちも合併をキッカケに転職したり、退職したり…。


社に残って頑張ってきた佑介にとって、今回の契約は努力の賜物だった。


帰ってきてから、いろいろ作業をし終え、壁の時計を見遣ると既に19時を回っていた。


「おっと…」


もう佳澄は、店で待っているだろう。


急がねばならない。


今日は、気分が良いから奢ってやるのも悪くない。


佳澄がいう“いつもの店”とは、上野駅浅草口の近くにある焼き鳥屋だ。


安いし、美味いし、一人でも入りやすい。


洒落た店内ではあるのだが、あまりデートっぽい雰囲気にもならないので、佑介と佳澄が二人きりで会うのによく利用する。


向かいながら、佳澄に電話を掛けると、もう既に一杯引っ掛けた様子だった。







暖簾をくぐると、入り口からまっすぐのカウンター席に佳澄の後姿が見えた。


ベージュのタイトスカートからすらりと伸びた脚が場違いだった。


「お待たせっ」


佑介が後ろから軽く佳澄の頭を叩いた。


隣に腰掛け、生ビールを注文する。


「あうっ、遅かったじゃない」


お通しの味噌キャベツを齧りながら、佳澄がぼやいた。


「まあまあ、今夜は奢ってやるから、許してよ」


佑介はネクタイを緩めた。


珍しいものでも見たような表情で佳澄が佑介の顔を覗き込む。


「えっとね、ボンチとネックと皮…、塩で」



叱咤激励!



* 第十八話 * ~佑介の場合~ ①

森中佑介は、出来たばかりの六本木ヒルズに来ていた。


1階のカフェでランチがてら、優雅に読書をしている。


ふと腕時計に目を落とすとまもなく13時をさすところだった。


「さて…」


読んでいたミステリー小説をビジネスバッグにしまうと、残っていたコーヒーに軽く口をつけた。


佑介が席を立つと、


 ピピピ…


胸元で携帯電話が鳴る。


液晶には、高橋佳澄の名前があった。


「はい」


「あ、佑ちゃん?今、大丈夫?」


「ああ、これからお客んとこ。」


「お、保険加入してもらえたんだ」


佑介は、先方との約束の時間を気にして、少し早足になった。


「いーや、それを頼みに行くところ。…で、何だよ?」


「今夜空いてたら飲み行かないかなって」


佑介は少し考えると、答えた。


「あー、明日早いから、あんまり遅くならないんならいいけど」


「わかった。じゃ、仕事終わったら電話して。いつもの上野の店で待ってるから」


そう言って、電話は切れた。


横断歩道を前に立ち止まった。


佳澄は、大学時代からの友人である。


社会人になって、中堅保険会社に勤務してからも何かと連絡をしてくる数少ない女友達だ。


お互い読書好きで、色恋関係なく会えるという点において、佑介は佳澄との時間を割と気に入っている。


歩行者用の信号が青に変わった。


少しの距離でも歩くと汗ばむ季節。


佑介は、ポケットからタオルハンカチを出すと額の汗を抑え、目の前のオフィスビルに入った。


 ―― 今日こそ、契約が取れますように!


そう願いつつ、エレベーターの上ボタンを押した。



人気ブログランキングへ


プロフィール

香月 瞬

Author:香月 瞬
短編小説を主に、様々な恋路を綴ってまいります。
友達のコイバナを聞くようなつもりで読んでいただけると嬉しいです。

検索&ランキング
参加しています。
にほんブログ村 小説ブログへ 人気ブログランキングへ
よろしくどうぞ。
カテゴリ
最新記事
Twitter
リンク
このブログをリンクに追加する
MicroAd
CHECK IT!
RSSリンクの表示
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。