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恋愛小説短編集。
壁をグルリと見回すと半分は鏡。
柱の照明や天井のシャンデリアが映りこんで、部屋中キラキラと光る。
ふかふかの真っ赤なソファ。
硝子のテーブル。
部屋の中央には磨き上げられた真っ黒なグランドピアノ。
装飾は金色やクリスタル。
とにかく煌びやかな空間だった。
こんな場所に、カジュアルなカットソーとジーパンで来てしまったことをひたすら後悔した。
赤いソファに浅く腰掛けているのは、宮尾久美、25歳。
目前の低めのテーブルには、久美自身が書いた履歴書が置いてある。
「おまたせ~」
奥から黒のスラックスと黒い蝶ネクタイをした白シャツの男性が現れ、久美の斜め前に座った。
「はじめまして、後藤といいます」
男性は人懐っこい笑顔で、久美に名刺を差し出した。
“サブマネージャー 後藤茂樹”と書かれていた。
「こういうところで働くのは初めてなのかな?」
後藤は明るく、久美に尋ねた。
「はい、今まで派遣で働いてて、今もパートですが昼間は普通にOLしてます」
ここは、都内主要駅近くに多く立ち並ぶ夜の店の中のひとつ…。
いわゆるキャバクラだった。
「やっぱ、ここに来た理由はお金…かな?」
お金もそうだったが、久美はとにかく男性と出会いたかった。
半年ほど前に手痛い体験をした。
その傷を強引にでも男性と出会って、癒したかった。
「はい…、でも、もう25だから、どうですか…ね」
実は、ここの店の面接の前に、既に一件断られていた。
理由は、働くなら夜一本に絞って欲しいこと、それと年齢がやや高かったことだった。
「うちは、そういうのこだわらないよ。やってる女の子たちも大学生とかが多いし、掛け持ちは問題ないかな」
久美は、少しホッとした。
実家住まいであるし、親も健在なので、水商売をすることは当然秘密にしたい。
ゆえに、昼間の仕事もしていたい。
「これ内緒だけど、うちのNO.2の女の子はね、もう30近いけど、26歳で始めたんだよ。子どももいる」
久美は驚いて、顔を上げた。
「NO.1の子も最近、新宿から店替えてうちに来たんだけど、実は結構歳いってるし、年齢とかはあんまり関係ないんだよね」
「そうなんですか…」
「お客様とお話がちゃんと出来れば、大丈夫。久美ちゃん、見た目可愛いしOKでしょ」
案外、軽く採用された。
「でね、スカートは腰でまくって、これくらいは短くしてほしいわけ」
後藤は手で腿の半分より上を示した。
「ハンカチをさ、必ず持ってきて。お客様のグラスの水滴を拭くのに使うんだけど、脚の上に置いておくのにも丁度いいでしょ」
「あ、洋服…、あんまり派手なの持ってないんですけど」
「平気、平気。幾らかかかるけど、貸与アリよ。衣装はたくさんあるから、今日みたいな格好で出勤したって構わない。ヘアメイクさんもいるしね」
優しく、話しやすい後藤に久美は徐々に慣れていった。
見た目はごつい猿っぽい雰囲気だが、笑うと八重歯が可愛い。
「でね、女の子には担当マネージャーってのがつくんだ。だから、マネージャーの為に売り上げUP出来るように頑張ってほしいわけ」
後藤が担当なら頑張れるかな、と久美は思った。
「じゃ、名前決めちゃおうか。本名でも構わないんだけど、付けたい名前ある?」
「いえ、何も考えてませんでした…」
源氏名を決めるらしい。
後藤は片手で自分の顎を触りながら、少し頭を引いて、久美を上から下まで眺めた。
「うー…ん、サキ…ちゃん、かなぁ」
そう呟いてから、クルっと後ろを向いて、奥に向かって大きな声を掛けた。
「サキちゃんて子、いなかったよねー?」
奥から、後藤よりもかなり背が高くスラリとした男性が出てきた。
「おー、新しい子?」
後藤と同じ服装で、顎髭を生やしている。
目は少し冷たい雰囲気だった。
「この人、チーフマネージャーの伊達さん。久美ちゃんの担当さんね」
後藤が紹介した。
「え…、そうですか。よ、ろしくお願いします」
久美は少し落胆した。
それを感じたのか、後藤が答えた。
「ごめんね、俺、まだ下っ端だから、担当つかないのよ」
「よし、じゃあ、俺の為に頑張ってよ、サキちゃん!」
伊達は少し傲慢な態度で名刺を渡してきた。
怖いな、と感じた。
「シフトとかの相談は俺にして。ここに書いてある番号かお店に電話くれるとかでいいから」
“チーフマネージャー 伊達和人”。
久美は、後藤と伊達の名刺を鞄にしまった。
「じゃあ、この名前で名刺刷っとくから。あと、ちっちゃいポーチにライターと名刺入れ、用意しといて」
・・・【麻宮 沙綺】
この名前で、久美はキャバ嬢として、夜のバイトをすることになった。
Author:香月 瞬
短編小説を主に、様々な恋路を綴ってまいります。
友達のコイバナを聞くようなつもりで読んでいただけると嬉しいです。